補佐に欲しい
「これで契約成立だ」
雇用の条件や保証などまったく同じことをを書いた二枚の契約書に、ロカとブルー二人がそれぞれ署名する。そのうちの一枚をブルーに手渡されロカは頷いた。
雇用主が仕事内容を明確にせず従業員をこき使うということは往々にしてある。読み書きが苦手な者ほど不当な扱いを受けるのだ。
その点ブルーは信用できる雇用主といえた。
「すまないな、朝早くから。わたしはすぐに出る」
「昨日の賊をあんた自ら取り調べるつもりなのか?」
ロカが倒した二人のうち一人はやはり息絶えていた。残った一人は昨夜のうちに牢へ移している。
「わたしが自ら行うことはできない。そこは町を守る警備人たちの領分だ。それに捕まえた男はその道のプロだろう。だとしたら黒幕が何者でどういう目的かなんて、本当のことはなにもわからない。昨日のことはただの賊の仕業として処理されて終わりだ。だからといってわたしもいつまでもおとなしくしているつもりはない」
「なにをするつもりだ」
「向こうがわたしを探っていたようにわたしも相手を探っていた。裏でなにかを行っていることはわかっている。その「なにか」を暴けばわたしの勝ちだ」
「現ロスロイ長のように飼いならす材料にするのか」
「今の地位から引きずり下ろすとは思わないのか?」
「強欲ゆえの人脈を捨てがたいと言っていた」
ロカの返答にブルーは小さく笑い席を立った。出立の時刻が迫っているのだろう。ロカも脇に置いてあった剣を持って同じように立ち上がる。
「君をわたしの補佐に欲しいくらいだよ」
「断る」
「言うと思った」
今度こそ笑い出してブルーは扉に向かって歩く。そこへ廊下を走る足音が聞こえた。
ノブに手をかけたブルーがロカを振り返る。
「うちの姫が君に夢中だ」
「?」
ブルーが内に扉を開いて一歩退いた。開け放った扉から小さな塊が突っ込んできてロカに飛びつく。
「ロカ!見つけた」
ミカだ。
思わず手にした剣を背後に避けてミカに触れないようにする。幼い子どもが触れるものではない気がしたからだ。
「ミカ、待ってってば。まだ朝食の途中だろ」
ボーイソプラノをもつ少年があとに続きブルーとロカを前に立ち止まる。
「父上、お騒がせして申し訳ありません。おはようございます、ロカ」
ダイナもミカも昨日の騒ぎで体調を崩してもおかしくないが変わらず元気なものだ。一晩寝たら忘れたなんてことはないはずだろうに。
「ロカ、どうして昨日帰っちゃったの?ずっとここにいなきゃダメなのよ。ミカたちの護衛だもん」
足元でぴょんぴょん跳ねるミカの頬が膨らんでいる。ロカはブルーを見た。
「まさか住み込みで護衛なんてことは」
「ミカが言ってるだけだ。わたしはそれでもかまわないがね」
「ぼくもいてもらったほうが安心です」
ダイナが声を張って言うのを聞いてブルーは苦笑を浮かべる。
「ダイナまでも君が欲しいらしい。モテるな、ロカ」
からかわれたことに対してロカが白けた目を向けると、ブルーは苦笑を弱り顔に変えて肩を落とした。
「君と仲良くなるには骨が折れそうだ」
そうしてロカにまとわりつくミカを抱き上げる。
「そろそろ出かけるよ。二人とも見送ってくれるかい?」
頷く子どもたちに笑みを向けるブルーは父親らしい顔をしていた。
エントランスではクロエが待っていた。昨日倒れたはずがおくびにも出さず、夫であるブルーに「いってらっしゃい」とキスをおくる。
妻と子に「いってくる」と告げてからブルーは、一歩離れたところに控えるロカへ視線を向けた。
「三人を頼む」
「ああ」
馬車に乗り込むブルーは夫でも父親でもない副町長という男の顔になっていた。
張り詰めた雰囲気は、昨日の家族を狙われたことがそうさせているのだろう。
馬車が出たあと使用人が門扉を閉ざしている。ロカは周りにざっと視線を走らせた。
クロエに促された子どもたちが屋敷に入って夫人も続く。
怪しい気配がないことを確認しロカは最後に扉の奥へと消えた。
それから平和に時間は流れた。家族全員が一つ部屋に集まってダイナは自ら勉強し、その横でミカは兄を真似て絵ばかりの絵本を開く。
それを見つめながらクロエは端切れを合わせて人形を作っていた。ミカのもののようで彼女が遊ぶぬいぐるみはすべてクロエの手製らしい。
「お裁縫が珍しい?」
見つめていたのを気付かれたようだ。
「いや、うまいものだと思っていただけだ」
「あら、ありがとう。昔からこういった可愛い小物を作るのが好きなのよ。実家では成長するにつれ、人形遊びなんてみっともないって言われて我慢していたけれど、ミカが生まれて思い出しちゃったの。家の中に飾るのはさすがに雰囲気が損なわれるから控えているけれど。たくさんあるしロカもどう?確かこの袋にも入っていたわ」
裁縫途中の人形を置いてクロエは端切れを詰めた袋を探る。
「ほら、これなら小さくて男の人でも一つくらいお部屋に飾っておけるでしょう」
言って手のひら半分くらいのクマを取り出した。
「いや、俺はいい」
「え、一つくらいもらってくれても――あ!ロカには彼女がいるんだったわね。じゃあその彼女にプレゼントするわ。待ってね、女の子ならピンク系のウサギとペアで――」
いそいそと袋を探るクロエだ。いらない、とロカが言う前にミカの声がした。
「にーさま、彼女ってなに?」
「え?えっと、大好きな人ってことかな。ロカには大好きで一緒にいたい人がいるんだって」
瞬間、ミカがぐるんとロカのほうを向いた。