愛に悩む
思ってロカは愕然とする。
人の命を奪ってきた人間が新たな生命を育むことなんてできるのか。
ニアンに家族にしてと言われたときは心が満たされたが、あれは気持ちの上でのものだと思っていた。モンダ家の者や仲間が自分を家族のように思ってくれているように、ニアンもそのように思ってくれたのだと。
ロカにとっても、ニアンはとっくにそのような大切な存在だったからこその充足感。
けれど現実的に夫婦となるのはまた別の話だ。
ロカの想像が及ばない事柄だった。
「爺さん、すまん。仕事がある」
トムに返事ができなくて誤魔化す。仕事と聞いたトムの目がロカの腰に向いた。
「傭兵はやめたとニアンに聞いたが」
外套で隠れてはいても剣先が布を押し上げているため分かったのだろう。
「傭兵ではなく護衛になった」
するとトムは安堵した様子を見せて、皺の刻む顔にわずかに笑みのようなものを浮かべた。
「持った技術を活かすいい職だ。おまえさんのような男には傭兵より向いた職かもな」
「向いているように思うか?」
「何のメリットもないのにルスティを守るため何年も真実を語らなかった。そういう自己犠牲を行える人間は誰かを守る仕事が向いている。ま、早く特定の相手を守ってやれ」
特定の相手とはニアンだろう。また話が戻ってしまいそうだと思ったロカは、しかしふと気が変わってそれを口にしていた。
「爺さんはどうして結婚しようと思った?」
「は?」
どうしてそんな質問をしてしまったのかわからない。
唐突な質問に驚くトムにロカは重ねて言った。
「教えてくれ」
「そんなもん、惚れた女と生涯を共にしたいと思ったからに決まってるだろう」
「夫婦という関係にならなくとも共にいられる」
「夫婦であれば他の男が簡単に手をだせん」
まさかそんな返事をされるとは思っていなかった。
ロカが言葉を返せないのを見て、トムはにやりと口の端を持ち上げると腕を組んだ。
「メリーはわしにはもったいないくらいのいい女だった。美人で明るくて町の男どものほとんどがあこがれていた。わしもその一人だ。メリーがわしを選んでくれた理由はいまだもってわからん。町の奴らも不思議がっていたくらいだしな。わしとつきあってからもいろんな男がちょっかいを出していた。それでもわしといたいとメリーに言われてどれほど嬉しかったか。一生をかけて幸せにしたいと心から思った。他の男に奪われてなるものかとも思った。わしとメリーが一緒になったのはつきあって半年も経たんうちだ。どうだ?参考になるか?」
「……いや……あー……」
「なんだ。聞きたいというから人が過去の恥ずかしい話をしてやったというのに――ま、考え方というのは人それぞれだ。生き方も人の数だけある。で?なにがひっかかっとるんだ。おまえはニアンと夫婦になるのが嫌なのか?」
「結婚だとか夫婦だとかこれまで一度も考えたことがない」
「はぁ?ニアンと出会う前にも恋人ぐらいいただろう」
「いるにはいたが、なんとなく始まってそのまま同じように終わっていた。関係を明確にした相手はいなかったから、そういうことを考えなかった」
話を聞いてトムは苦い顔になった。
「やはりルスティの親友だけあるな」
類友と言われた気がして反論する。
「あんなに軽くない」
しかしロカの反論は受け入れる様子もなく、トムはやれやれと首を振る。
「良くも悪くもライがおまえたちの父ということか。こと女関係ではおまえとルスティを足したような男だったぞ、ライは。レリアと出会って真面目になったが。……そうか、ロカの場合はニアンか」
一人納得したようなトムがうむうむと頷いた。
「ロカ、おまえはニアンと一緒になるほうがいい」
「いろんな生き方があるといま言ったばかりだぞ?」
「それはそれとして、だ。夫婦というのは二人あってのことだ。ニアンの気持ちも汲んでやれ。昨日、おまえの嫁になるのが夢と言っていたぞ」
「そんな話を……?ニアンが?」
初対面の相手には人見知りをするのに。
にわかには信じがたくてロカは思わず尋ね返していた。
「話をしたというかあの子が一方的に話しだしたというか。おまえさんの話になると暴走するらしい。そうとう惚れられているようだな」
ロカを見上げたトムが、ふ、と吹き出した。
「ベタ惚れと聞いて嬉しいか」
ロカは表情を引き締めた。
喜んだつもりはない。だからまさか顔に出ていたはずもない。
そんなロカの様子にトムが笑顔を深める。初めて見るその笑みはまだ彼に嫌われるずっと前、幼いころに見たことがあるという気がした。
「本当に変わったな、ロカ。――好きあう二人が必ずしも一緒にならねばいけないということはない。だがわしは結婚は証であると思う」
「証?」
尋ねるロカにトムは頷きもって言葉を続けた。
「相手がある限り死ぬまで添い遂げるという証。愛し続けるという証。不貞を働かぬという証……そんな様々なことへの証だ。そして証を破らぬ覚悟も同時に持たねばいけない。一緒になることは幸せだけでなく苦労もともに分かち合う。そのときにお互いがお互いを支えあえるのは、相手への証があるからだ。だからこそ信頼も絆も深まる。そうして恋人から夫婦へ、家族へ変わってゆけるのだとわしは思う」
「それは証というより相手との契約ともとれる」
「契約な。それではあまりに心がないと思わんか。相手を愛する気持ちから生まれた証だ。誓いとも言っていい。なぁロカよ、不確かなものを信じられなくなるのが人間なんだ」
トムの言葉の意味を考えるようにロカは無言になった。そんな彼の様子にトムは再び口を開く。
「今まで考えてこなかったならこれから考えればいいだけだ。ニアンと二人幸せになれる関係を探せばいい。――ほれ、仕事があるんだろう。引き留めて悪かった」
「行った行った」とトムに促されロカは歩き出す。
その背中を見送るトムが呟いた声は、彼には届かない。
「あのロカがまさか愛に悩むとは」
冷えた空気に煙る息に笑いが混じる。ロカがさらに遠く離れたところで、トムは店へ戻っていく。
二人がいた場所に凍てついた風が流れた。