謝罪
ロカの隣でニアンが「はう」と変な声を上げて真っ赤になった。見られたことで羞恥が募ったのだろう。
ルスティもニアンの様子から、からかうような声音で言ってくる。
「覗き見じゃないから。俺が下に行こうとしたときに二人が出てきたんだよ。邪魔しちゃ悪いと思って待ってたら、そっちが勝手にいちゃいちゃ始めたの。――ロカは今から出勤か。いってら~……ってかさ、もしかして下にカルミナが来てない?」
部屋を出るとき扉を完全に閉めていなかったようで隙間がある。そこからカルミナの高い声が漏れ聞こえていた。それに皆がいる部屋はちょうどルスティの部屋の真下だ。
話声がなんとなくでも聞こえていただろう。
ロカが頷くとルスティは顔をしかめて立ち上がった。
「やっぱいま降りるのはやめとくわ。もっかい寝直そ」
欠伸を噛み殺して部屋に戻りしな、ルスティが、あ、とロカへ視線を戻した。
「カルミナの言ってた金持ちの夜会っての、おまえ行かなきゃ駄目なんじゃないか?貴族やら有力者やら招待されてるだろうし、カルミナの旦那みたくロスロイの外からも客を招くくらいだ。副ロスロイ長だって招かれてるかもよ?なら護衛として参加決定だろ」
「俺はブルーの家族の護衛だ」
「副ロスロイ長と一緒に夫人が夜会に参加すれば、おまえも行かなきゃだめなんじゃん?」
「屋敷で子どもの護衛をしている」
ロカが答えるとルスティは苦笑を浮かべた。
「今日、副町長に確認とっといたほうがいいと思うぞ。んじゃな」
軽く手を振ってルスティが部屋に消える。
夜会参加?
(いやだ)
ロカが心の中で拒否しているところに外套が差し出された。
「そろそろ出ないと遅れてしまいますよ?」
ニアンに送り出されてブルーの家へ向かう。
冬空は雲がかかってはいたが切れ間は澄んだ青をしていた。
大通りを北北東へ行けばロスロイ庁につながる。その西側がロカの買った家やブルーの屋敷がある富裕層の住む地域だ。メイン通りをロスロイ庁に向かって進み途中で逸れていくことになる。
朝早いこともあって通りの西側の店はほとんど閉まっていて、反対側の宿屋につながる飲食店も通りに面した扉はまだ開いていない。
宿屋で朝食の支度をしているのか、うまそうな飯の匂いが通りにまで流れてきていた。
人通りの少ないメイン通りを足早に歩くロカは、背後でチリリンとベルの音を聞いた。
「ロカ」
振り返ると焦げ茶の織物を羽織ったトムが追いかけてきた。
ニアンを雇ってくれたというが、経緯を聞けばカーナがゴリ押ししたようだし、文句の一つも言われるのかもしれない。
「足が速いな。店から見えたと思って追いかけてきたんだが」
「ニアンの雇用の話なら――」
身構えたロカであったが、トムはまず、はぁと大きく息をついた。
「ああ、違う……いや、その話もおまえさんとせんといかんが――そうじゃなく、ロカに謝らねばならんと……」
少しの距離を走るだけでも老人には応えるようだ。そんなことが頭をよぎったロカは、一瞬遅れてトムの台詞に耳を疑った。
謝る?
「昨日、本当はカルミナとつきあっていたのは、ロカではなくルスティであったと聞いた。わしが勘違いをしたのをいいことに、あの二人はおまえを餌にしてわしの目を欺いていたとな。誤解だとおまえはずっと言い続けていたのに、わしはまったく聞く耳をもたなかっただろう。ロカ、本当にすまなかった」
心底反省したような顔をして謝るトムだ。
「あー……誤解が解けたのならまぁ」
急に態度を改められても少年のころから睨まれ続けてきたせいか、苦手意識は簡単に消えない。ロカは言葉を濁し、そして思い至った疑問を口にした。
「爺さんがニアンを雇うのはもしかして――」
「ロカへの罪滅ぼしではない。わしがあの子自身を見て決めた。開店前の掃除や閉店後の片づけなんかを手伝ってもらえると助かる。だから一日数時間だ。ニアンにもそう伝えた。この年だ、どうにも昔ほど動けなくてな」
「俺としては爺さんのもとなら安心だ。ニアンは働くのは初めてだし、爺さんに迷惑をかけることもあると思う。ニアンのことよろしく頼む」
ロカがそう言うとトムは感慨深そうな様子になった。
「おまえさん、そんなに丸かったか?」
「…………」
「はっ、表情も出るようになったな。ニアンといるからだろうな。――いい子を選んだじゃないか。わしの店をほめてくれた。わしのような古臭い店なのに素敵な店だとな」
元々は夫婦で始めた店だと子どものころ聞いたように思う。
妻の名前を店につけるなんてどういう思いがあったのか。店名からは宝石店とは思わないんじゃないかという気がする。
「新しいもののほうが綺麗だろうが、爺さんの店は全てが大事にされてるように見えた。店の雰囲気は古臭いんじゃなくて味わい深くなったと言うんじゃないか?この前店内に入ったとき、子どものころ見た覚えのあるランプや置物が変わらずあって、俺には懐かしかった」
ピアスを見てもらったときに数分いただけの店内は、昔に戻ってきたのかと思うくらい変わらなかった。
「俺は爺さんの店、嫌いじゃない」
ロカが言うとトムは瞠目し、それから苦く笑って首を振った。
「ああ、わしは本当に……」
独り言を呟くトムにロカは眉を寄せた。
「爺さん?」
「いや、おまえさんがニアンに宝石を贈るときは格安で譲ってやろう」
「その予定はないが」
「嫁に贈り物の一つもやらないつもりか」
「嫁ではない」
「一緒に暮らすんだし将来はそうなる予定だろうが」
どうして一緒に住むことを知っているのだ。
いやそれよりも。
ロカはトムに言われて気が付いた。
つきあっている男女が共に暮らすなら夫婦となるのが一般的だ。しかしこれまでロカは、結婚について考えたことなどなかった。
自分が平穏な人生を送れるはずもない。傭兵を生業にすると決めたとき、どこかでそう思ったのかもしれない。
何事にも執着しない。愛着はあっても捨てられないわけじゃない。それは物だけでなく人に対しても同じで、いなくなった相手に未練なんて感じなかった。
だがニアンを好きになって今までのようにできなくなった。
共に住んだらニアンに手を出すのは絶対で、そうなれば子どもができることだってあるだろう。
(子ども?俺の!?)