15センチ
「あらやだ、やっぱり逃げる気だったのね」
ロカがブルーの家へ出かけようと準備を整えた早朝にカルミナはやってきた。
昨夜遅くに帰宅したロカであったが、ニアンからトムの店で働くと決まったこと、トムの店でカルミナに会ったことを聞いた。そして彼女が今日会いに来るとも。
「仕事だ」
真っ赤なコートに身を包んだカルミナはふうんとロカを上から下まで眺め、傍にいるニアンと交互に見比べた。
「まるで似合わない二人ね、あなたたちって」
「似合……」
ニアンが小さくつぶやいて、ショックを受けたように顔を引きつらせている。
昔から媚びる相手以外には思ったことを遠慮なく口にする女だった。
カルミナがルスティとつきあっているときはよく絡まれたものだ。ルスティが他の女と仲良くすると、男はいったい何を考えているのだとキレられ、彼女の友人であったカーナとともに手を焼いた。
そう言いながらカルミナも好みの男には媚びを売っていたし、似た者同士だとロカは思っていたが、面倒なので口にしたことはない。
けれど今日は黙っていなかった。
「似合っていないと共にいてはいけないか?」
おおかた昨日の役人男と同じで、世間知らずな女を誑かした悪人とでも言いたいのだろう。
「いけないわね。ロカ、あなた昔より身長が伸びたわね。女との理想の身長差は15センチ。ヒールのある靴を履いても頭をなでたり抱きしめたりしやすいのがいいのに」
「は?」
身長差?
似合わないというのは、並んだ時に二人のバランスが悪いという意味か?
「その身長差じゃダンスだって踊りにくいでしょう。ニアンがうんと底上げした靴で踊れるなら別だけれど」
真面目に取り合ったのが馬鹿だった。カルミナが昔からおかしなこだわりを持っていたのをロカは思い出し、相手にしないで出かけることに決めた。
「あいにくダンスなんてもん、踊る機会がないからな」
「え?踊れないの?五日後、夜会があるのよ。裸一貫から財を築いた大金持ちのお宅よ。夫が知人の紹介で昨日お目にかかって招待を受けたの。そういう方だからお高くとまっていなくて、町の人にも参加してもらいたいって呼びかけているそうよ。せっかくだからロカたちも参加したらと思ったのに」
町人も参加していいとの言葉を真に受けて、庶民が参加すれば笑いものにされるのがおちだ。それとも金持ちが施しを行うことで周りに善人アピールをしたいだけかもしれない。
どちらにしてもそんなものにつきあう気はさらさらない。
カルミナに返事をする気もなくなってしまった。
「行ってくる」
ニアンに出立を告げると彼女は外への扉まで見送りに来た。店からの表通りではなく裏通りに通じる扉だ。すぐ側には二階へ続く階段がある。
会いたがっていたというカルミナは最初の対面で満足したのか、ロカを追ってくることはなく、ライやレリア、カーナとの話に花を咲かせているようだ。
ルスティは、昨夜ロカから護衛の仕事が決まったので風呂づくりができなくなったと聞いて、遅くまで工程の調整をしていたからまだ寝ている。
自分の家のことなのでロカ自身、仕事終わりや早朝に少しでも修繕作業をするつもりだが、それでもほとんどを仲間に任せることになってしまった。なのに誰も嫌な顔をせず逆に仕事が決まったことを喜んでくれるのだ。
「今日は契約の手続きがあるとかで早く出ないとならないが、明日からは仕事に行く前に家のほうも直していく。帰りも早めに上がれたら顔を出す」
「はい。でも副ロスロイ長夫人の体調が優れないなら子どもたちも不安でしょう。ロカは昨日に引き続いて子どもたちの側についていてあげてください。お家のことはわたしにまかせて大丈夫です――と言いたいところですが、ルスティが頑張ってくれるそうですから安心ですよ」
昨夜遅くなった理由を、「クロエが体調を崩し子どもらが不安がったのでブルーが帰るまで一緒にいた」、とニアンに話してある。
ブルーやその家族が狙われていることはニアンも知っているが、さっそく賊が現れたなどと彼女を心配させるような話はしたくなかったからだ。なのでそのあたりをふせたままブルーの家族を護衛することにしたと伝えた。
ニアンは「思った通りでした」と笑っていたし、いまもなんら憂えている様子はない。
ロカは見上げてくるニアンに手を伸ばした。
手のひらで優しく頬を撫でると嬉しそうに摺り寄せてくる。
身を屈めてロカは唇を合わせた。
(ああ、確かにいつも腰を折る)
身長差をカルミナに指摘されたことを思い出し、ロカはニアンの腰に腕を回すとグイと持ち上げた。
「っ!急にどうしたんですか?」
「こうして見下ろされるのは新鮮だと思って」
「わたしもロカに見上げられるのは新鮮です」
言いながら首に腕を回したニアンが唇を重ねてきた。キスをしたら避けられたのが今は懐かしい。
額が合わさって赤茶色の瞳がロカをのぞき込んできた。
「初出勤、頑張ってきてくださいね」
「昨日も仕事のようなものだったがな」
「ロカは見かけによらず子どもに好かれますし、不安なときはそれは頼られます」
「見かけによらず?」
聞き捨てならないと問い返せば、ニアンが笑いながらロカの目尻を指で押し下げた。
「こうして目尻を下げたら優しいお顔になりますよ」
くすくすと楽し気なニアンにつられてロカも口の端を持ち上げた。
ニアンを床に下して扉の側に立てかけてあった剣を手に取る。もう使うことはないかもしれないと思っていたが。
慣れた重みが腰にあると不思議と落ち着く。
(根っからの傭兵なのかもな)
普通の職にはつけないだろうとルスティやヘリングに言われたのは間違いじゃなかった。
「はー、いちゃいちゃはやっと終わったな」
そこへいきなり頭上で声がした。見れば階段にルスティがいて最上段に座り込んでいる。