信頼できる人
「約束しよう。嘘はつかない。ありがとう、ロカ。心から感謝する」
「礼を言ってくるなんて気持ちが悪いな」
「ひどいな。わたしだって人の子だ。感謝する気持ちくらい持ち合わせている」
「あんたはキツネだ。タヌキと同じで人を化かす」
「タヌキ?――もしかして大都長のことか?」
「あんたたちは同類だろ」
結局、大都長の思惑にはまった形になってしまった。
そう気が付いてロカが顔をしかめると、ブルーがここまで子どもの前以外で綻ばせなかった表情を、わずかに緩ませた。
「君は大都長の前でもその調子だったんだろうな」
「タヌキは嫌いだ」
「君のことは買っているようだぞ」
「いや、お互い馬が合わないと思っている。初対面で感じた」
「直感か?それまでの経験に裏打ちされて感じるものだし侮れない感覚だ。わたしがロカを護衛官にと思ったのも直感だからな。君になら妻と子どもたちを任せられると思った。それにしても大都長の同類ね。そう言われたんじゃ君に嫌われるのも仕方のないこととあきらめよう」
ブルーは肘掛けを支えにソファを立ち上がった。
「ひとまずはロカが護衛となってくれて安心した。まだ話は残っているが先に妻の様子を見に行かせてくれ」
部屋を出ていこうとするブルーの背中へロカは言った。
「あんたのことは嫌いじゃない」
足を止め、ブルーが瞠目しつつロカを振り返る。
「タヌキほどにはな」
ロカの台詞に彼は今度こそ笑みをのぞかせた。
「君はやっぱり生意気だ」
そうして扉を開けて部屋を出て行った。
ロカはソファの前にあるローテーブルへ視線を向けた。
胸にナイフを突き立てられた絵を手に取ってポケットに突っ込む。ダイナとミカに見せられるものではない。
直後、ロカの耳に廊下を走る足音が届いた。軽いのは子どもの足音だからだ。
それが二人分。ダイナとミカが食事を終えたのだろう。
部屋を出てからあまり時間がたっていないが、ショックからあまり食べられなかったのかもしれない。
ロカがそんなことを思ったところで、ばん、と派手に扉があいた。
「こら、ミカ。父上とロカがまだ話をしてるかもしれないだろ」
「父さまいないもん。ロカ、ごはん」
パンを乗せた皿を手にミカが駆けてくる。ダイナの手にも皿があった。こっちはスープのようだ。オレンジ色をして甘い香りがする。
「ばあやにパンにハムと卵を挟んでもらいました。こっちはカボチャのスープです」
ミカが皿にあるパンをぶちまける勢いでテーブルに置き、ダイナは丁寧にロカの前にスープ皿とスプーンを置いた。
性格の違いがよく表れている。
ともかく誘拐犯から彼らを助けたことで一気に二人の信頼を得られたようだ。そして懐かれると邪険にもできなくなった。
ミカが小さな手でパンを持ちロカの前に持ってきた。
「ロカ、あーん」
「駄目だよミカ。ロカは父上じゃない」
「あーん」
兄の静止にも言うことを聞かず、食べてとばかりにミカが手を持ち上げる。
ソファの背凭れに背中を押し付け逃げていたロカだったが、まったく引く様子のないミカとの無言のせめぎあいに結局負けた。
身を乗り出し、口を開けてぱくと一口食べる。瞬間、ミカがぱあと顔を輝かせた。
「おいしい?ロカ」
「ん、うまい」
ミカは嬉しそうにまたパンをロカの口へ持ってきた。噛み切り、咀嚼し、飲み込むと口の前にパンがやってくる。
結局全部食べ切ったロカは親指で唇をぬぐった。目の前でミカがにこぉと笑ってご機嫌な様子になると、ドヤ顔でダイナを見た。
「ロカ、食べた」
「ああ、うん――すみません、わがままで。ロカ、よかったらスープも」
「ああ、もらおう」
テーブルが低いため手で皿を持ちながら、湯気の立つカボチャスープを一口飲む。
喉を流れるスープはほんのり甘くとてもうまかった。野菜を好んで食べないロカでも、空腹であればうまく感じるようだ。それとも料理人の腕がいいのか。
ダイナはロカの食事を邪魔しないためか静かにソファに腰を下ろした。ミカが兄の隣にちょこんと座り足をぶらぶらと振る。
「ロカは僕たちの護衛になってくれるのですか?」
「ああ」
ロカの返事にダイナはほっとした様子を見せた。その表情が父であるブルーと似ていた。
「僕たちに護衛が必要ということは父上に危険が迫っているからですか?」
残り少ないスープを掬うロカの手が一瞬止まった。ダイナの視線が痛いくらいに感じられるなか、ロカはそのままスープすべてを飲み干して、皿をローテーブルに置く。
ダイナは聡い。きっとブルーもダイナが本当のことを知りたがっていると気づいている。
それでも黙っているのにロカがなにを話せるだろう。
「僕が子どもだから言えないんですか?」
焦れたようにダイナが突っ込んできた。
「俺は答えられる立場にないんだ。おまえが尋ねるべき相手は俺じゃないだろう?」
「父上ははぐらかして答えてくれませんでした」
「ならそれが答えだ」
ダイナの顔が不満げに歪む。
「そこで子ども扱いされたと拗ねるてるようじゃ、これから先も何も話してもらえない。ちょっとは別の角度から物事を見れるようになれ、クソガキ」
ロカの「クソガキ」発言にダイナはむっとしたように反論した。
「そんなこと言ったって僕がいきなり背が伸びて、大人になれるわけないじゃないか」
「背が伸びて体が大きくなって年を食えば大人じゃない。いろんな知識を得て経験を積んで、心も成長しろってことだ」
「でも僕は「いま」、父上の力になりたい」
「その思いがもう父親の力になってるんじゃないか?焦らないで蓄えていろ。いつか必ず助けになれると信じていればいい」
「いつかっていつ?僕は間に合うの?」
「今日、ミカが攫われなかったのはおまえが必死に守っていたからだ。だから俺も間に合った。そんなふうに直接ではなくても、できることをしていれば、ひいては父親の助けになるかもしれない」
ロカの言葉にダイナは沈黙した。
隣にあるミカへ目を向けて、欠伸をしているあどけない姿に兄の顔で笑う。その表情は十歳でありながらも大人びていて、ロカにはダイナが急いで大人になろうとしているように思えた。
「信頼できる人間はいるか?」
「え?はい、います。えっと父上と母上、ミカとアルルと――」
ダイナが家族以外に使用人だろう名前を挙げていく。信頼というよりなんとなく好きな人物の名前を挙げているような気がする。
なにしろ「学校だと」と教師や友達の名前まで挙げだした。
利発な優等生タイプのようだが友人が多いところをみると、きっとやんちゃな面だってある。
「――……それからロカ」
「え?」
「ロカも信頼できる人です」
「俺とは今日が初対面だ」
「その初対面のはずの僕たちを助けてくれたし、僕やミカにちゃんと向き合ってくれる人だから」
言ってて気恥ずかしくなったのかダイナが言葉を濁し、ロカから目を逸らした。そして恥ずかしさを誤魔化すように、頭が揺れだしたミカを支えて「眠い?」などと世話を焼きはじめる。
「そりゃどうも」
ロカの返事にダイナがチラとこちらを見た。簡単に目が合って、また素早く逸らされたため思わず笑ってしまう。
最初睨みまくっていたはずが随分としおらしくなったものだ。
ソファを立ちロカはダイナに凭れ掛かるミカを抱き上げた。ミカは一瞬目を開け、ロカを父親であるブルーと勘違いしたのか「とうしゃま」と寝ぼけた声で抱き着いてくる。
四歳だというしまだまだ甘えたい盛りなのだろう。
「ミカを寝かせないとな。ダイナも今日は疲れただろう。早めに休むといい」
ロカを見上げていたダイナは素直にはいと頷いた。