対抗馬
この手を引っ張ったミカの小さな手を思い返される。そして意識を失う母に動揺しつつも、妹のために強くあろうとしたダイナの表情が脳裏に浮かんだ。
「今日から門扉を固く閉ざしておいてくれ。今度は馬小屋じゃなく屋敷に火をつけられるぞ。それからさすがに俺一人じゃ三人も手が回らない。他に最低でも一人つけてくれ」
ロカの話を聞いていたブルーの顔が徐々に変化していく。期待に満ちたそれへと。
「受けてくれるのか!?」
「そのかわりあんたは絶対ロスロイの代表になってくれ」
ブルーはロカの言葉を受けて急に冷静になったような顔をした。
「もちろんだ。まだ表には出ていないがロスロイ長は年内で退くことが決まった。年が明けてすぐに選任会が行われる」
町長や副町長、そのほかの要職はもともとロスロイ庁に勤めていた役人がなる。
もちろん優秀な人物しかなることができず、今回のように病気によって退いたりすると、庁のお偉方が集り選任会が設けられ新たな者が選任される。
「他に候補は?」
「何人かいるな」
「その中であんたのライバルは?」
「わたしが最有力者だぞ」
「その自信はどこからくるんだ」
副ロスロイ長だからというだけでなく、優秀であることと町人人気から、ブルーが次のロスロイ長となる可能性が高いと言われている。
――が、本人のこの自信家なところはいかがなものか。
まぁ己に自信がないような人物では人の上に立てないのかもしれないが。
「口にすれば本当になる。わたしの持論だがな。それと口にして逃げ道をなくしておくんだ。こうして人に話してロスロイ長になれなかったら、わたしは口だけ男になるだろう?そうならないように必死になれば思い描く結果に繋がる……と思いたい」
「思いたいって……恰好をつけるなら最後まで貫いてくれ」
「さすがに今日は虚勢もはれない。察してくれ」
力なく笑うブルーに隠し切れない疲れが見えた。肘掛けに腕を預けて頬杖を突く彼の目の下にもクロエと同じような隈がある。
「助役のハーリヤ・ノシュ」
ぽつ、とブルーは言った。
「は?」
「わたしの対抗馬となる男だよ。貴族や有力者とつながりが強く彼らに支持されている。彼自身、名家の出だ」
「助役ってのは?」
「世界大戦以前にあった役職でいまでいう副町長がそれだ。当時、助役は町長の補佐や役人の事務の管理をしたり、町長不在時に職務を代わりに務めたりして、そこらはいまの副町長と変わらない。ただ昔は貴族や有力者が町政に深く食い込んで口出ししてくることが多かった。で、彼らの意見をまとめ、町政を行う役人との繋ぎ役を担っていたのが助役だ。大戦後、助役を副町長と改めたんだが、助役をなくすこともできず仕事を分けることになってね。前者を副町長が、そして後者を助役が担うことになった」
「要職ポストを増やして一人でも多くの役人が肥え太りたいみたいに聞こえるが」
ロカの指摘にブルーは苦笑いを浮かべた。
「分けたのは副町長の仕事量が多かったからだ。しかしハーリヤのような貴族が助役を務めたら、貴族や有力者の発言権が増すことになる。そうなるとわたしたちがどれだけ民衆のために尽力しようと、横やりが入って町政が進めにくくなってしまう。下手をすれば滞るだろう。地方の町じゃ大戦以前のように、貴族たちが町政にいまだ根強く関わってくるようだ。町人が搾取され続け、とうとう暴動が起きた町もあるくらいだからな」
ブルーの話す地方の町はニアンのいたグレーシャーではないかとロカは思った。
大都長からの書簡ではニアンのことは触れてなかったのか、ブルーは彼女がパリト伯爵縁の人間だとは気づいていないようだ。
ロカは暴動話には触れずにブルーには別の質問をした。
「つまりそのハーリヤってのがロスロイ長になると、俺たち町人が搾取されると?」
「おそらく。数年前、税改革をし、収入に応じて税を重くしたのだが、貴族たちはいまだ納得していないようだ。ロスロイ長が半ば強引に町会で決定させたからな。だがそのおかげでロスロイの水路が町全体にいきわたることになった。もちろん税率は常識の範囲内だ。選任会のメンバーは愚かではないと思いたいが、ハーリヤを推す者たちは金持ちが多く潤沢な資金がある。金を積まれると欲に目がくらむ者もいるかもしれない」
町長選任者を金で買収するということか。
「あんた、金は?」
「あると思うか?」
「俺への給金を自腹で出せるんだ。副町長ってのはたんまりもらえるんじゃないのか?」
「もらえるわけないだろう。副町長という立場上自身だけでなく家族まで危険が及ぶような場合、緊急であればロスロイ庁雇いの護衛官で対処するが、長引くようなら家族の人数分の護衛を雇っていいことになっている。もちろん人件費に上限はあるが補助される。わたしはその上限にいくらか足した金額を君に示したんだ」
「ちょっと待ってくれ。ということはあんたの仕事を受けると、俺は役人扱いになるんじゃないか?」
そのとたんブルーの歯切れが悪くなった。彼の視線が泳ぐ。
「あー……「町役人特別職」となるのだったか?」
「で、家族から危険が去った場合、その「町役人特別職」とかいう家族の護衛はどうなる?」
「必要なくなる、……な」
完全にブルーと目が合わなくなってしまった。
「つまりクビか」
「違う。君は優秀な護衛官になれるのだから、そのままわたしの護衛として働いてもらえたらと――」
「俺を騙したな」
ブルーの言葉を遮りロカは眼差しを鋭くした。彼の護衛官になる気はないと伝えたはずだ。
「私設護衛官と誤解させるような言い方をしたことは認める。すまない」
「謝ればいいってもんじゃない。あんたは最初から嘘ばかりだ。家族はすでに狙われていて危険が迫っていた。ならばあのアルメというあんたの護衛を家族の護衛にすることもできただろう。緊急の場合はロスロイ庁雇いの護衛官に家族の護衛をしてもらえるんだしな。それにインヴィやセーラムだっているだろう」
「アルメは本当にミカが怖がって駄目だった。インヴィとセーラムではアルメに及ばないから不安だった。わたしが君を妻たちの護衛に望んだ理由は話したろう。あれに嘘偽りはないよ。そこは信じてほしい。わたしを嘘つきと罵りたいならいくらでも罵ってくれてかまわない。頼むから妻と子どもたちを守ってくれ。お願いだ」
そう言ったブルーの顔は真剣そのもので引き下がる様子はなかった。
ロカから溜息がもれる。
「一度は話を受けると決めてあんたにその意思を示したんだ。なにより子どもが巻き込まれていちゃ助けないわけにはいかない」
ダイナとミカに過去の自分が重なるのか。
戦争という己の力の及ばない事象に踏みにじられて、わけがわからないままに一人になっていたあの頃をよく覚えていなくとも、身を苛むほどの不安を抱いていたことは覚えている。
ロカは二人にそんな思いをさせたくはないと思った。
「本当か?」
「ああ。ただしもう嘘はなしにしてくれ」
ロカの返事にブルーが安堵の吐息をもらし、ああと顔を覆った。