マセガキになったわけ
ブルーが帰宅したのは日暮れてからだった。あれからすぐ知らせに発ったのに、間が悪いことにブルーはロスロイ庁にはいなかったらしい。
出先に連絡が行き、そこから帰るまでにずいぶんと時間がたってしまった。
この家に執事はいないと思っていたが、どうやら以前にミカが攫われそうになったとき、市場に同行していて犯人を追いかけ転んで骨折したらしい。
そのため今は執事不在であったが、子どもらの世話をする「ばあや」と呼ばれる中年女が屋敷のことは取りまとめているようだ。
そしてブルーは帰宅後、部屋に来るまでに彼女から大まかな話を聞いたようだ。勢いよく扉を開けるなりダイナとミカの名を呼んで駆け寄ってくる。
ソファでミカは兄の膝枕でうとうととしていたが、父の顔を見たとたん腕をのばし抱き着いて、大声で泣き出した。ダイナもブルーの胸にしがみついて離れようとしない。
そんな子どもたちをしっかりと抱くブルーも喉を詰まらせているようだった。
「二人ともよく頑張ったな。無事でよかった」
「父上、母上はまだ――」
「ああ、眠っているだけだと聞いた。医師から日頃の疲れが出たと言われたんだろう?」
「でもあれからずいぶんと経ちます」
「父さんがあとで様子を見てくるからもう少し眠らせてあげよう。それより二人とも夕飯は食べたのか?」
首を振る二人にブルーは微笑みかけた。
「では食べておいで。アルルが心配していた」
ブルーがそう言うと三人を見守るように控えていた中年女が大きく頷いた。
「ダイナ様、ミカ様、何か召し上がってください」
ダイナとミカが「ばあや」と呼ぶ女はアルルというらしい。
「父さまも一緒がいい」
ブルーに抱き上げられているミカが涙目で駄々をこねる。
「父さんは母さんのことが気になるからあとからにするよ」
ミカの頭をなでながらブルーが言うと、今度はダイナがロカを振り返った。
「ロカも何も食べていません。ずっと僕たちの側についていてくれました」
「いや、俺はいい」
ロカはすかさず辞退したがミカもロカを振り返ってくる。
「父さまが駄目ならロカと食べる。ロカ、ご飯行こう」
ダイナとミカの様子にブルーがわずかに目を見張って、次いでロカに向き直った。
「君には礼を言わねばならなかった。妻と子どもたちを守ってくれて感謝する。ありがとう、ロカ」
ブルーが礼を言うのをまねてダイナとミカにまで礼を言われた。ミカが父の抱っこからおりるそぶりを見せ、ブルーが床におろすのを見つつロカは口を開く。
「目の前で事が起こればさすがに無視できない。成り行きだ」
パタタと軽い足音をさせて近づくミカがソファに座るロカの手を引っ張った。
「いらない、だめ。ロカもご飯行くの」
ぐいぐいとミカに腕を引かれ、ロカはどうしていいかわからない。ブルーはそんなロカを見て笑った。
「成り行き、な。二人に随分となつかれているようだが」
「頼れる大人が俺しかいなかったからだろ」
するとブルーは側にいるダイナを見下ろした。
「ロカはああ言っているが?」
「確かにそれはありますけど、それだけじゃなくてロカはいい人だから……」
ダイナは照れたようにそっぽを向いた。
ここに来た当初は睨まれたのにえらい変わりようだ。
だがそのあと、とんでもないことを口にしてくれた。
「母上の美しさに邪な目を向けていましたけど」
「は?だからあれは違うと言っただろう」
「ロカ、クロエになにをした!?」
「いや、あんたも本気にしないでくれ。というか昨日、ニアンを見てるだろう」
「本命の彼女は清純派。でも遊びは熟女がいいとか――」
「子どもの前でなに言ってるんだ」
ロカはミカの耳を両手で押さえていた。こちらを見上げてくるミカは意味を理解していないのか不思議そうだ。
だがダイナは違った。
「ロカ、大丈夫です。慣れていますから。父上は普段からこんな感じです」
「おまえがマセガキなのがどうしてかわかった」
「知識だけです。ミカ、おいで。ご飯は僕と二人で食べよう」
「えー?」
「ロカは父上とお話しがあるって」
ミカの緑の瞳がロカを見上げてきた。
「ご飯」
「ダイナと食べてきてくれるか」
ロカが言うと、ぶす、と一瞬拗ねた顔をしたミカだったが、ダイナに呼ばれて側を離れる。
「ここにいてね」
言い置いてミカはダイナ、アルルとともに部屋を出て行った。
扉が閉まったところでブルーが驚いた様子を見せる。
「すごいな。すっかり懐かれて。わたしやうちで働く者たち以外、ミカは男は苦手なんだが」
「それ、前に攫われかけたことと関係が?」
「ああ、ばれてしまったのか」
悪びれもしないブルーが近づいて、先ほどまでダイナたちが座っていたソファに腰を下ろした。ロカの座るソファから見て直角に配置されている。
「どうして黙っていた」
「話したら今日君はうちに来てくれたか?すでに厄介ごとが起きていると敬遠したんじゃないか?」
「脅迫されてる時点で厄介ごとが起こっている」
ナイフを突き立てられた絵をローテーブルに置いて、指でブルーのほうへおした。
昨日ロカが握りつぶしたせいでくしゃくしゃになったそれを、ブルーが手に取った。
「ミカを攫うのに失敗したしこちらも警戒する。もうわたしにしか手を出してこないと思っていたんだがな。まさか二度も誘拐を試みるとは」
絵を見つめるブルーの顔がしかめられ、紙をテーブルに放る。
「人質を取ったほうがあんたの手足をもげる。護衛探しなんて呑気にやってないで、適当に腕の立つ奴らを数人揃えてれば家族は安全だろう」
「金を積んだら裏切るようなやつらはいらない」
「え?」
「最初に雇った連中がそういうやつらだった。護衛であるがゆえに妻たちの予定を知っている。それを売ったらしい。ミカが市場で攫われたのはあの日、市場に出向くと知っていたからだ。強さだけにこだわって傭兵ギルドに依頼し、人となりなんて見なかった結果だな。それからはどういう人間か見るようにしたが、どの人物もしっくりこなかった」
「ダフニスに追い返されていたと聞いたぞ」
「ああ、会ったのか。……そうだ、ダフニスは少しばかり腕に覚えがあるようで、彼に勝てないようでは話にならない。ただそこはクリアできても彼はあの通り口煩いからもめてばかりでね。その点君はダフニスより強いし、彼の難癖にもうまく対処できるだけの機転もあると感じた。実際わたしの見込んだ通りだったようだ。しかも子どもたちまで君に懐いている。もう君しかいないんだ。ロカ頼む。どうかわたしの家族を守ってほしい」
真剣な声と眼差しがロカを困らせた。話を受ければ危険が伴う。
ニアンとの暮らしを穏やかに過ごしたかったロカにとって、それは真逆の行為となる。心配性のニアンを不安にさせる。
しかし昨夜、ニアンは確かに言ったのだ。
――ロカがしたいようにしてください。
そして自分は是と頷いた。
ブルーは家族に隠しているようだが今日のことで、何かが起こっているとクロエに気づかれただろう。いやそれとも彼女はうすうすわかっていたのかもしれない。
あの隈と顔色の悪さはよく眠れていないから。だとしたらクロエはすぐに限界が来る。
ブルー自身、家族を守りたくとも矢面にたてばそれこそ敵の的となる。
ロカは膝にある手を見つめた。