劣等感
「トム爺、隠していてすみません!本当は俺がカルミナとつきあってましたっ!!」
扉を開け放ちそう叫ぶのはルスティだった。家の修繕に出ていると思っていたが、ちょうどモンダ家にでもいたのだろう。ここへ来る早さからニアンはそう予想する。
大声のあと、ルスティは椅子に座るトムを見てあんぐりと口を開けた。
「トム爺がカルミナ以外の前で笑ってるところ、初めて見た」
タタタと足音がしてカーナが後に続く。
「もー、兄さん先にいかないでってば――どうしたの?」
「いや、トム爺がニアンと談笑して……あれ?笑顔は?見間違い?」
ルスティの目線を追ってニアンがトムを見ると、凶悪犯のようなあの恐ろしい顔になっていて、ビクと彼女は椅子に背を押し付けのけぞった。
「ちょっと兄さん、どこが笑顔?ニアン、ごめんなさい。おいていっちゃって」
言いながらカーナはおいでとばかりにニアンを手招く。
「ううん、全然――」
「来たな、お調子者めが。こっちにこい」
カーナに返事をしたニアンだったがトムが話し出したため、席を立つ機会を逃してしまった。
先ほどまでの穏やかな声はどこへいったと思うほど、トムの声は低くドスがきいている。恐る恐るといった様子でルスティがこちらに近づき、ニアンの後ろに立った。
「おい、ニアンの後ろに隠れるな」
「や、なんかトム爺、ニアンには優しい気がするし。だからニアンが間にいてくれたらトム爺の怒りも和らぐんじゃないかと」
「ほう、わしが怒っている理由がわかっているようじゃないか」
「だからカルミナとのことを隠していたからだろ」
「違う」
「え?違う?ってかカルミナとのこと怒ってないの?なんだ、よかった。怖い顔と声でビビらされてただけ――」
「おまえが友達を身代わりにして今日まで平然としていたのが気に食わんのだっ!!この卑怯者っ!」
トムの怒鳴り声があまりに大きくて、ニアンは目を瞑って体を縮めた。
ルスティはニアンの後ろで「ひゃ」と声をあげる。
「ロカのやつ、おまえのことは一言も言わなかったぞ。わしがどれだけきつく当たってもな。そうやっておまえを守ったロカになんとも思わんか?」
「え、トム爺が怒ってるのってそっち?じゃあカルミナとつきあってたことはマジでおとがめなし?」
「年頃だったカルミナに恋愛事の一つや二つ起こりうることぐらい想定していたわ。もちろん相手が誰であろうと気に食わんがな」
「じゃあ俺でもダメじゃん」
「わしの前に堂々と現れもしないおまえのような腰抜けが一番嫌いだ。隠れてこそこそと情けのないやつじゃ」
吐き捨てるトムにルスティがムッとしたように言い返した。
「トム爺がそんなだからカルミナが隠したがったんだろ」
「カルミナのせいにするのか。卑怯者の腰抜けはなんでもかんでも人のせいにして、己の保身に走るらしい」
ハ、とばかりにトムが薄ら笑いを浮かべる。再びルスティが反論した。
「トム爺はカルミナがロカとつきあってるって誤解したあと、ロカを目の敵にしたじゃん。俺、まだ15の子どもだったし同じ目にあうのかって思ったら、ビビんないほうがおかしいっての」
「それがロカを身代わりにした理由か。やはり情けない男だ」
馬鹿にするトムにルスティはいきりたつ。大きな音をさせて床板を踏みつけ前へ進み出た。
ちょうどニアンの隣に立ったため、そっと見上げれば彼の顔に隠しきれない怒りが浮かんでいた。
「あーあー情けないよ、俺は。彼氏だってのにカルミナがロカにちょっかいかけてんのも何にも言えなかった。カルミナにやきもち焼かせようとして他の女の子と仲良くしたら、ロカに相談し始めて余計に二人を近づける結果になったりしてさ。それでもロカはカルミナになびいたりしなかったし、トム爺に誤解されても俺のこと言わないでくれたし、すっげぇいいやつだった。なんで俺とこんなに違うんだって、劣等感ばっかだったよ。そんなだからカルミナにもフラれて、それでまた落ち込んで……あの頃の俺は笑顔の裏じゃロカに嫉妬して、勝てないからってそれ誤魔化すためにめちゃくちゃ格好つけてただけの、ただのつまんないガキでした。悪かったな!」
「開き直るやつがあるか。おまえさん、ロカに嫉妬してたからわしの誤解を解かなかったのか」
「そうだよ。あとトム爺が怖かったのもマジ」
ルスティがふてくされたような顔になった。
まさかルスティがロカに劣等感を抱いているなんて、ニアンは思いもしなかった。ロカとルスティの二人はじゃれあうような言い合いをするくらいとても仲がいいのに。
ルスティがニアンを見下ろし苦く笑う。
「ニアン、君はロカを選んで正解だったんだ。あいつは昔から格好よくて俺が憧れる男だから」
「なんだ、ルスティ、おまえ、ロカとニアンをとりあってたのか?」
トムの質問にすかさずカーナが答えた。
「違うわ、トム爺。兄さんははなっからニアンに相手にされていなかったの。二人がくっつくための当て馬みたいなものよ」
「そりゃ似合いの役どころだな」
「本人いるから!ってかひっどいな、二人とも。カーナ、兄ちゃん泣いちゃうよ」
「泣けば?こっちこそわが兄がこんなちっさい男だったなんて正直がっかりよ」
言いながらカーナが近づいてきて、キッと目つきを鋭くし、兄であるルスティの鼻先へ指をつきつけた。
「ロカに謝んなさい」
「え?なんで?」
瞬間カーナはルスティの耳を思い切りひっぱった。
イダダダダ、とルスティが悲鳴を上げるのもお構いなしだ。
「カルミナとのことで迷惑かけたんでしょう。どうせ兄さんのことだから適当にはぐらかして、今も昔もなにも言ってないんでしょ?」
「最近になって俺、仕事の報酬を踏み倒されたぞ。それでチャラになってる――やめてっ!カーナ、痛いって!耳がもげるっ」
「やっぱり何も言ってないんじゃない!ロカが優しいのを知ってて甘えてるんでしょ。それとも昔みたいにまだロカに劣等感を抱いてて卑屈になってるの?」
耳が、耳が、と騒いでいたルスティがカーナの問いかけに大人しくなった。
カーナが耳を引っ張るのをやめて彼を伺う。
ニアンとトムもルスティを見つめた。三人からの視線を受けて誤魔化せなくなったのか、彼は渋々といった様子で口を開く。