心の糧
「甘やかしすぎたのだろう」
ニアンがトムに向き直ると、机を見つめる彼は組んでいた腕を解いて、疲れたように長い息を漏らした。
「両親をいっぺんに亡くしたのが不憫でな。寂しい思いをさせたくなくてとにかく可愛がった。そのせいか我がままで奔放な子に育ってしまって。結婚して贅沢な暮らしに慣れて、会うたびに傲慢な振る舞いが目立つようになってきた。子どもが生まれたのだから落ち着くと思っていたが――すまんな、不快な思いをさせた」
「いえ、女子力がないって言われてショックだっただけで、別に怒っていません。カルミナさんは言うだけあって自分磨きに手を抜いていないみたいです。それにトムさんや旦那さんやお子さんのことを大切に思う愛情深い方ですね」
「そう言ってもらえると……だが、いまのカルミナには端々に驕った発言がある気がしてな。わしはもうずっとここで生きている。裕福とまではいかんが昔からの客がついておるし、衣食住のなにも困っていないんだ。もちろんたまにの贅沢は人間には必要だとは思うが、それでもあんなふうに言われては」
「あんなふう?」
トムは着ている服をつまんでみせた。
「わしもおまえさんもみすぼらしくはあるまい?その姿で町を歩くのが恥ずかしいかね?」
「いいえ。でも上品なお店に行くには向きません。カルミナさんはそういう意味でおっしゃっただけだと思います」
「わかっている。わかっているとも……違うんだ、わしが言いたいのは――いや、いい。年寄りの世迷言と思ってくれ」
首を振るトムの表情が暗く晴れない。
ニアンはこのまま話を流していいとは思えなかった。
けれどこれ以上踏み込むのもどうなのだろう。
ニアンはスカートを握る。
(わたしはいつだって黙り込んで、そのせいでもうずっと言いたいことも言えなくなってた)
ロカが俺を真似ろと言っていたではないか。
ニアンは勇気を出して息を吸い込んだ。
「は、話してくださいっ。お力になれるかどうかはわかりませんが、お話を聞くことはできます」
必死の形相をしていたらしい。ニアンを見てしばらくぽかんとしていたトムが、やがてしみじみと言った。
「ああ、ロカはいい娘を嫁にするのだな」
「嫁ッ!?いえだから、嫁ではありません。そうなる予定ではありますけど……なんて一方的に思ってるだけで」
「嫁」という言葉に嬉しくなって、にへ~、とニアンがだらしなくにやけると、トムがこらえきれない様子で吹き出し、そのまま表情を綻ばせた。
「じゃあ聞いてもらおうか。爺のたわごとを」
「はい、いつでもどうぞ」
意気込むニアンにトムはまた笑うと、そのまま青い瞳を細めて、どこか遠くを見つめるような目になった。
「わしはただ、ここでまたあの頃のような時間を過ごせたらと思っていた」
「あの頃?」
「ああ。小さなカルミナを必死にあやして、どうすれば泣き止むのか頭を悩ませて――しんどかったが、ふりかえってみると楽しい時間だった。かけがえのない時間だったんだ。その孫が今度はひ孫を連れてやってくる。なんて楽しみなことだ。たった数日だろうがこの家で賑やかに過ごせる。昔みたいな時間が帰ってくる……」
トムの言葉が途切れそれからまた唇が動いた。
「食べたことのないごちそうなんぞいらん。わしが欲しいのは会えない時間の心の糧となる思い出だ」
そう言ったトムがニアンには寂しそうに見えた。
幸せな思い出が心の支えになることはニアンにもわかる。冷たい祖父の下で孤独に耐えながら生きてこられたのは、両親とのあたたかな思い出があったから。
今になってそれが偽物であったと知っても、当時のニアンにはいつか優しい両親に会えるはずと、二人を心の拠り所にして厳しい生活を耐えいた。
祖父のもとへ引き取られる際に、もし愛情は見せかけだったと知ってしまっていたら、早いうちに心は壊れていたに違いない。
「今の話をそのままカルミナさんに伝えてはどうでしょうか?」
「この店を閉めてカルミナたちの住む家に来いと言われるのがおちだ」
ということはトムはこの家を、町を離れたくないということだ。
ニアンは店内を改めて見直した。
妻のメリーがこだわって作った店にトム自身も愛着があるのだ。大切にしたいのだ。
きっとそれだけトムはメリーを愛していた。
「いいなぁ」
「ん?」
ニアンの呟きにトムが反応したため彼女はあっと我に返った。
「いえ、あの……トムさんがロスロイを離れたくないのは、亡くなったメリーさんとの思い出の詰まったここを大事に思っているからで、いまでも奥様のことを愛しているんだなあと思ったら、わたしもロカにそんなふうに思われたいって本音が漏れていました」
「わしが店を守るのはそんな美談ではない。年を取ると新しい場所へ移る勇気がなくなるんだ。住み慣れた町で生涯を終えたいとな。そもそもカルミナを奪った男の家になんぞ、住みたくはない」
話すうちトムにはいつもの調子が戻ってきたようで、孫の婿への憎まれ口をたたく。
その様子にニアンは胸を撫でおろした。
「明日はカルミナさんがひ孫さんを連れてくるのですし、めいっぱい遊んだらどうですか?そういえばカルミナさんが「あの子たち」と言っていましたけど、お子さんは何人いるのですか?」
「二人だ。双子で男と女。そろそろ二歳になる」
「二歳の男の子と女の子?」
ジュビリーで一緒に過ごした男の子、スゥはもうすぐ四歳になるとダンとデリラ夫妻がと言っていたから、スゥを基準にできそうもない。きっとスゥより言葉を知らなくて、歩くのもよちよちしているに違いない。
「可愛いでしょうねぇ」
想像でニアンが表情を和ませていると、トムが同じようにデレデレと眦を下げた。
「もちろんだ。わしのひ孫だぞ」
そこへいきなり店内に人が飛び込んできた。