迫力負け
「え?あなたロカの恋人なの?」
カルミナにそう尋ねられたニアンは何度も頷く。人はあり得ないことを言われると、思考回路が馬鹿になってしまうらしい。同じ動作を振り子人形みたいに繰り返すだけだ。
メリーの店にやってきたカルミナにトムの愛人と誤解されたのを否定したのは、彼女の祖父であるトムだった。
トムはカルミナを溺愛しているようだったが、彼女の愛人発言にはさすがに苦い顔をした。
「うっそ、あの堅物ロカに?ていうかこういう、いかにも一途そうな子が好みだったのね。どおりでわたしが迫っても反応が薄かったわけだわ」
いま聞き捨てならないことを聞いた。
しかしニアンより早くトムが反応した。
「カルミナ、おまえルスティとつきあってたんじゃないのか?」
「あら?どうしてお爺ちゃんにばれてるの?わたしがロカとつきあってるって誤解して、彼のことを目の敵にしてたはずじゃなかった?」
「それはおまえがいつもロカに必要以上に近づいていたからだろう。抱きついているのを見れば誤解もする。というかいま、ロカに迫っていたと言ったな?」
「寡黙なところが素敵に見えたのよ。ルスティのことを相談してるついでに、ちょっとからかっちゃおうかなーって思ったの。でもまったく乗ってこないし不愛想だし言葉もきついし。だからすぐにやめたわ。当時のわたし、ルスティみたいなノリがよくて楽しい人が好きだったの。お爺ちゃんがロカとのことを誤解してくれたおかげで、いい隠れ蓑になってくれたしルスティとデートし放題だったわ」
「カルミナ、おまえ……」
溜息をつきながらトムが頭が痛いというように額をおさえる。
カルミナがそんな祖父を見てふふふと笑う。
「やだ、昔の話だったら。いまのわたしの理想はお爺ちゃんくらい優しい人よ。夫は理想そのもの。わたしに優しくて全然怒らないの。それにわたしのことを一番愛してくれてるわ」
そして再びニアンを見て腰に手を当てると上から下までを眺めまわす。
不躾な眼差しにニアンは居心地が悪くなりながら椅子の上で縮こまった。
カルミナはニアンやカーナより少し年上のように見えた。美しさを自覚し、自信にあふれていて、そして何より色っぽい。
肉体的にというより内面から滲み出る色気というのだろうか。例えばいま、何気なく持ち上げた手で頬を押さえる、たったそれだけの仕草がもう艶めかしい。
「お名前、伺ってもいいかしら?」
「ニ、ニアン・アルセナールです」
「ここの出身じゃないわよね。あなたみたいな子、ロスロイにはいなかったわ」
「東の小さな町に住んでい――」
「ああ、田舎の子ね。どおりで……素材はいいのにもったいないわ」
最後まで言わせず、カルミナの指が伸びてニアンの顎にかかり、つい、と上に仰のかされた。顔を覗き込まれて息を詰める。
「あら、お肌がつるぴか。羨ましいくらいにきれいな肌ね。でも髪の手入れをしている?毛先に潤いがないわ。それから髪は短くてもサイドを結うとか工夫なさい。爪はきれいな山なりで問題ないけれど、指先がかさついてる。唇も冬場は荒れるのよ。ちゃんとケアして。服は無難すぎて駄目。靴も同じのを履いてばかりいない?簡単にチェックしただけだけど、あなた、女らしさマイナス50点よ」
「マイナス?」
「なに「意味わかんない」って顔をしてるのよ」
していません。ショックを受けているのです。
とは初対面の、しかも我の強い人を相手にニアンが言えるわけもない。なによりカルミナの迫力に完全に押し切られている。
「ロカの恋人なんでしょ?もうちょっと綺麗にしないと厭きられるわよ。堅物ほど女に変なこだわりとか持ってたりするんだから。ね、お爺ちゃん」
「なぜわしに言う」
「お爺ちゃん、ずーっとお婆ちゃんの髪を切らせなかったんでしょ。長くてさらさら~な髪が大好きでいっつもハァハァしてたって、小さいとき聞いた覚えが――」
「うえっほん!カルミナ、ニアンが困っている。やめなさい」
「都合が悪くなるとそうやっていつも以上に偉そうぶるの、お爺ちゃんの悪い癖よ」
「おまえこそそうやって人を外見で判断するのをどうにかしたらどうだ」
「違うわ。わたしはその人にあった装いをしたほうがいいって言ってるだけ。顔の造作で卑屈になったり逆に優越感に浸ったりしないで、自分に似合うものを見つけておしゃれすればいいのよ。それは男も女も一緒。自信を持って立っている人が素敵に見えるわ」
トムが始まったとばかりに首を振った。
迫力もそうだけれど確固たる持論のある人だ。
カルミナが美しいだけでなく輝いて見えるのは、もともとの美貌に胡坐をかかず、努力してきたから。そうやって美しく咲き誇っている人なのだ。
「もうお爺ちゃん、聞いてる?」
「わしはひ孫の顔が見たい」
「あの子たちは宿で乳母が見てるわ」
「うちに泊ればいいだろうが」
「駄目。今回は夫の用事もかねてロスロイに来たの」
「用事?」
「詳しくは知らないけれどあの人のお知り合いの方が紹介してくれた人に会うみたい。着いて早々出かけたわ。そんなわけだから相手が用意してくれた宿に泊まらなきゃ。子どもたちも疲れて寝ているから起こすのは可哀そうでしょ。それでわたしだけ出て来たのよ。お爺ちゃん、夕飯は宿で一緒に食べましょ。ごちそうするわ。あ、服はいいものに着替えてよ」
一方的に話すカルミナにトムは腕を組んで背もたれに体を預けた。ため息のような息を吐く姿にニアンはトムが怒っているように思えた。
「わしは行かん」
「え?なにか用事があるの?」
「人が来る」
「あらためてもらったら?」
「わしが呼んだんだ。そうもいくまい」
「せっかくのごちそうなのに。お爺ちゃんが食べたこともないような料理がたくさん食べられるわよ」
「あいにくわしは一張羅すら持ってないんでな。おまえたち家族で楽しむといい。ひ孫たちには明日にでも会いに行く。宿はどこだ?」
「もう、頑固者。子どもたちはわたしが連れてくるわ。あの子たちも宿にずっと閉じ込めてちゃかわいそうだもの」
「わかった」
「じゃお爺ちゃん、わたし行くわ。お友達にも会いたいし」
軽く手を挙げたカルミナは去りかけて、けれど思い出したようにニアンを見下ろした。
「ロカはいまロスロイにいるの?」
「……はい」
昔ロカに迫ったというし、もしかしていまも彼に興味があるのだろうか。そう思うとニアンの返事が遅れた。
「どこの宿?それともあなたの家を拠点にしてるのかしら。ならお家はどこ?ロカにも会ってみたいの」
どうやらカルミナはロカが傭兵をしていたのを知っていて、まだ続けていると思っているようだ。そしてニアンのことは、田舎からロスロイに出てきた女だと勘違いして、ロカが仕事を終えるたび帰ってくる場所だと思っている。
そんな想像がついたニアンは否定するように首を振った。
「いまはライさん……あ、モンダ家にお世話になっていて――」
「カーナの家にいるの?ああ、そうか昔一緒に住んでたわね。じゃあルスティとも顔を合わせることになるの……」
少し考えるそぶりを見せていたカルミナは、まぁいいわ、と言った。
「ルスティはともかくカーナには会いたいし。ね、ロカに「久しぶりに会いましょう」って伝えておいて」
「あ、はい」
「なら明日モンダ家を訪ねるわ。そうね、朝にでも。そのときはあなたもロカと一緒にいてちょうだい」
「え?わたしもですか?」
「そうよ、ちゃんと見張っておいて。でないと彼逃げるから。それとも用がある?仕事があるのかしら」
「い、いえ仕事は――」
「お休み?ならお願いね」
仕事はまだしていないと言いきる前に、カルミナの言葉がかぶさった。
先ほどから言葉尻に彼女の声が重なる。話す速さがニアンの2倍とまでは言わないが、1.5倍くらいあるような気がする。
カツ、とカルミナがブーツを鳴らして店を出ていく。
扉を引き開けて一度トムを振り返った。
手袋をした手を何度か握る仕草をしながら「それじゃあ」とだけ言って、扉の向こうへ消える。
ドアベルが鳴り終わるのに合わせてトムの声がした。