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Dog tag  作者: 七緒湖李
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一緒に

色づき始めた樹木の一つに彼女らはいた。ロカは乾いた土を踏む。

 夏場の青さはなくなった芝の上に敷物を広げ、二人は仲良く横になっている。  

 近づけば二人ともすやすやと眠っていた。

「いつまでも戻ってこないから見に来れば――起きろ、風邪をひくぞ。ニアン、チビ」

 敷物の外側で屈みこんだロカは、チビの小さな手が何かを探すように動くのを見た。

 それはすぐに傍らで眠るニアンの胸に触れ、柔らかさを確かめるように動く。

「まーま?」

 どうやら触り心地が違うようだ。寝ぼけた声をもらして眠ったまま、眉間に皺が寄っている。

(ほんとこいつ、欲望に忠実だな)

 ニアンがいつ気が付くかと二人を起こすことをやめて、ロカは観察することにした。

「……ん……っ……」

 揉まれ放題のニアンも眠っているが、なんとなく身もだえているようにも見える。

 意外にテクニシャンか。

 とはいえ彼女よりチビの母親のほうが豊満な肉体をしている。どんなに触ったところで望む心地は得られないだろう。

「エロガキ、いい加減起きろ」

 しつこく揉み続けるのでさすがに洒落にならない。ロカがチビを抱き上げたのと、ニアンが声をあげて目を覚ましたのが同時だった。

「やッ……あれ?ロカ……え?」

「迎えに来た」

「ロカ……あの、いま」

 身を起こすニアンが困惑した眼差しを向けてきたため、ロカは彼女の言わんとすることがわかった。

「あんたを触りまくっていたのはこのエロガキだ。おおかた母親と間違えたんだろう」

「あ、そ……ですか、スゥちゃんが――て、えぇ!?デリラさんと?わたし、あんなに……」

 胸を見下ろしたニアンは、しかし言いかけた言葉を飲み込んで赤くなる。

「夢の中であんたはチビの母親だったんだろ。違いは感じていたみたいだぞ。眠りながら眉を寄せていたからな」

「ずっと見ていたんですか?」

「いつ起きるかと思ってな」

 よ、とロカはチビを抱いたまま立ち上がる。

「帰るぞ」

「悪趣味ですよっ、ロカ!!」

「だから途中で助けてやった。文句はチビに言え」

 敷物を畳んだニアンがロカを追いかけてきた。横目で見降ろせば薄茶色の髪に葉っぱがついている。柔らかそうな髪なので風で飛んできたものが引っ掛かったのだろう。

「髪に葉っぱがついているぞ」

「え?どこですか?」

「後ろの右側――もう少し上だ。いやだから右側」

「え?え?どこ?」

「手、どけろ」

 つまんで枯葉を取ってやるとありがとうと言われた。素直な性格なのだろう。

 触るなとか取ってくれと頼んでいないなどのひねくれた言葉は、頭に浮かびすらしないに違いない。

(俺なら触られる前によけてるか)

 何日も一緒にいれば自分とは違う人種だとわかる。

 隣を歩くニアンの足裏の傷はほとんど癒えた。一晩のつもりで頼った若夫婦は、ニアンの怪我が治るまでいていいと言ってきた。

 肉体の怪我よりも、本当は心に負った傷を案じての言葉だとロカにはわかった。ロカにしても精神的に参っているニアンと旅に出るのは無理だと感じていたし、なにより契約を遂行したのだから共にいる理由もない。

 ニアンが落ち着いたら今後のことを話さねばと思っていた。

「足はどうだ?」

 両親との再会が彼らの拒絶に終わり、あんなに両親の家の側から離れたがらなかったニアンだ。

 ロカは彼女の心が病んでいくことも考えた。

 実際、目覚めた初日はそうなるかもしれないと思うくらい、ぼんやりと虚ろな目をしていた。

「歩くと痛むこともありますけど、傷はふさがったと思います。ロカの薬のおかげですね」

 ニアンを元気にしたのはチビだ。

 家族以外の人間が家にいるのが珍しいのか、ことあるごとに部屋にやってきてそこで遊ぶのだ。しかもロカを相手に。

 何度追い払っても膝にのぼってきて玩具を振り回したり、よくわからないごっこ遊びの仲間に引き入れようとする。

 両親が止めても無駄で、ロカ自身根負けしておとなしくすることを条件に、部屋にいることを許してしまった。

 そしてロカが少しの間、部屋を離れたときに、チビはニアンの凍りついた心を溶かした。あのほんの数十分という間にいったい何があったのか。

 幼いチビに尋ねても明確な答えを言えるわけもなく、真相は謎のままだ。

 ロカとニアンは並んでゆっくりと歩んでいく。この町は民家より農地や牧場で占められていた。

 広い牧草地に羊や牛が放たれてのんびりと草を食んでいる。

 若夫婦もそう広くはないが農地を持ち、他に鶏とヤギを飼っているそうだ。

 子どもが小さいので夫が中心となって働き、妻は時折畑を手伝うだけで、ほとんどは家事と子育てにと役割を分担しているらしい。

 畦道に入って歩くと、畑で農作業中の人にあいさつされた。泊めてもらう礼に若夫婦が畑仕事の間、彼らの子どもの面倒を見るうち、二人の客人としてすっかり顔が知れ渡ってしまったのだ。

「そうやってスゥ坊を抱いて歩いていると、お前さんたち、仲のいい夫婦みたいだなぁ」

「ほんとお似合いだ」

 作業の手を止めて笑いあう町人に、ニアンが慌てて否定する。

「ロカとはそういうんじゃありません」

「まぁ、照れちゃって」

「初々しいなあ」

「ちょ……もう本当、やめてください」

「ニアン、行くぞ」

 ロカがその場を立ち去るとニアンがほっとした様子でついてきた。後ろでは「彼もシャイなのかね?」などと聞こえてくる。

 どうあってもニアンと恋人同士にしたいようだ。

「助かりました、ロカ」

「いちいち反応するから面白がられる」

「からかわれてるって思っても――ロカはなんともないんですか?」

「否定しても信じてもらえないなら聞き流すしかない。動揺する要素がどこに?」

「あ……はい……そう、ですね」

 声音が暗い。いきなりニアンの元気がなくなってしまった。

「またなにか腹にため込んだか?」

「え?」

「声と顔がそんな感じだ」

 そのとたんニアンは顔の前に両手をやって、ロカの目から逃げるように隠れた。

「表情を読まないでください」

「ということは当たりか。今度はなんだ?」

「言いたくありません」

「そうか」

 すると今度は怒ったような声が上がった。

「どうしてすぐに引き下がるんですか!?」

「またそれか。だからどっちだ」

「ロカってそういうところがありますよね。きっかけをくれるくせに踏み込んでこないから、こっちも足踏みしちゃうんです。もう一歩踏み込んできてくれたらって思うのに」

 面倒くさい。

 しかしそれを口にすると火に油を注ぐだろうことはわかる。

「要求が高度すぎて俺にはわからん」

「ええ?どうしてですか。言いたいけど言えない、そういう微妙な心の揺らぎとか……ロカにもあるでしょう?」

「言いたいことは言えばいいんじゃないか?」

「それで誰かを悩ませるようなことになってもですか?」

「それは聞いた相手の問題であって、あんたがどうこうできるものでもない」

「でも……困らせるってわかってて言えません」

 なら突っ込んだところで何も答えないということではないか。

 はぁと吐息を漏らしてロカはチビを抱えなおし、ん?と気が付く。

「俺を困らせるから言えないということか?」

 ロカが尋ねるとニアンはしまったという表情になって黙り込んだ。

 今度は黙秘らしい。

 これはつきあうべきだろうか。こちらからも話があるのだが。

「いつかロカに言います。その時は聞いてください」

 いつか――。

 ロカはいまが切り出すいい機会だと思った。

「俺はここを発とうと思う」

 こちらを見上げてくるニアンのぽかんとした顔がロカの瞳に映った。

 随分と間があってやっと間抜けな声がした。

「え?」

「あんたを両親のもとまで送るという契約は終わっている。だよな?」

「……じゃあどうして今まで……」

「完遂したとは言い難い。あんたの様子も気になっていたしな。だがもう大丈夫そうだ」

「いつ、発つのですか?」

「明日」

 隣を歩いていたはずのニアンの足が止まった。数歩先に進んでしまったロカは振り返る。

「どうした?」

「わたしは……どう、すれば」

「それは自分で決めることだ」

 ニアンが胸に抱えていた敷物を握りしめた。

「っ、そう……ですよね。すみません、いつまでも甘えてはいけませんね」

「甘え?そんな話はしていないだろう。あんたがこの町に残りたいなら、今晩チビの両親に相談すればいい。二人なら力になってくれる。だがここにいるのが辛いなら俺と一緒に町を出て、違う地に行くのも手だ。なんなら働き口も――」

「ロカと行きたいです!」

 言葉を遮ってくる勢いにロカのほうが驚いた。

 我に返ったらしいニアンがもう一度落ち着いた声で言った。

「ロカと一緒に行きたいです。いいですか?」

「わかった、そうしよう」

 振り返っていた体をもとに戻してロカは歩き出す。タタと足音がしてニアンが駆けてきた。

「もうお支払いできるものはなにもありません」

「完遂したと言えない仕事だと言ったろう。おまけだ」

 それを聞いたニアンがくすりと笑った。

 ロカがわずかに顔を向けて見下ろすと、視線に気が付いた彼女が笑いを滲ませたまま言った。

「ロカが認めなくてもやっぱりロカは優しいです」

 答える気になれなくてロカは視線を前方へ向けた。そろそろ若夫婦の家が見えてきていた。





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