まるで誰かさん
「あの、奥様は?」
「娘夫婦のところに行ってた時に戦火に巻き込まれてあっけなくな」
先ほどから過去形で話すのはどうしてかと思ったがそういうことであったのか。
ニアンが表情を曇らせると、トムは今度こそ誰が見てもわかるくらいに優しい顔になった。
「生き残った孫娘を育てなければならんかったんだ。悲しんでる暇なんかなかった。そんな顔をせんでくれ。ほれ、看板を運ぶぞ。その孫娘がひ孫を連れて近々やってくると手紙が届いたんだ」
「え?お孫さん、ご結婚されているんですか?」
ルスティとつきあっていたらしいことと、トムの怒り具合からまだルスティを想っているのかと思ったけれど。
「ああ、男らしくもなんともない優男とな。あいつも一緒に来るのがな……」
綻んだはずのトムの表情が一瞬で再び凶悪犯に変化した。
まったくカルミナに心底惚れているところくらいしか取り柄がない、いやあの男とならカルミナも苦労せんか、などとぶつぶつ言いながらトムは店を出ていく。
ちりんとドアベルが鳴ったのを合図にニアンも遅れて外に出た。指輪の形をした看板は大きく、トムと二人で運んでも結構な重さがあった。
年老いたトム一人でこれを毎日出し入れするのはたいへんだろう。
「助かった。最近、腰がちょっとな」
「持ち運びしやすいように工夫できないでしょうか?」
「いよいよ運べなくなったら出しっぱなしにしておくさ」
「ルスティは物を作るのが得意みたいです。来たら知恵を貸してもらいましょう」
「ああ、あいつにただ働きさせてやるのはいい案だ」
ニヤ、とトムが笑うのをニアンは無言でやり過ごした。
(ごめんなさい、ルスティ)
わたしには止められないと、心の中でルスティに謝罪していると、トムはショーケースに立てかけてあった箒を持って店の奥に歩いていく。
帰ったほうがいいのかニアンが迷っていると、そういや、と声がした。
「幽霊屋敷をきれいにしてるって聞いたが、もしかしてロカと二人で住むのか?」
「トムさんも幽霊屋敷というくらいですしやっぱり出るんですか?」
質問されたのに質問し返してしまった。
店主の座る椅子の後ろが住まいにつながっているようで、扉を開けて箒を片付けようとしていたトムが動きを止めた。
ニアンを見て何かを察したらしい。箒を片付けたあと扉を閉めてトントンと腰を叩いた。
「ルスティが来るまで話し相手になってくれんか?」
手招かれてニアンは荷物を抱えてトムに近づく。店主用の椅子と机を挟んで木の椅子が二つあった。一つを促されてニアンは腰を落ち着ける。
「荷物は隣の椅子に。……で幽霊屋敷のことだったな。この仕事をしてるとあのあたりに住む者から呼ばれることもある。これまで何度も家の前を通ったがわしは一度も見たことがない」
ほ、とニアンが息を吐くのを見つめ、トムがわからんと呟いた。
「おまえさんは普通の娘だろう。いや、むしろ育ちがよさそうだ。幽霊屋敷のあるあそこらへん一帯に住むような裕福な家庭で育ったんじゃないか?それがなんだってロカと結婚なんてしようと――」
「結婚っ!?」
ニアンが素っ頓狂な声を出したためトムがぎょっと目をむいた。
そんなトムに気づかないままニアンは熱くなっていく頬を押さえた。
「ロカとはまだつきあったばかりで結婚とかでは……いずれはそうなったら嬉しいですけど。っていうかしたいですけど、一緒に暮らせるだけでも夢みたいなのに、結婚?ロカがだんな様ですか?いえ、その前に求婚という一大イベントがあります。ロカがしてくれるんでしょうか?いえ、それともわたしから?結婚式だってできるんですか?ロカと結婚式……ああだめです、嬉しすぎて死んじゃいます」
ふぐ、とおかしな音が聞こえたせいでニアンはトムに目を向けた。
視線が合ったとたん彼に吹き出される。
「いやいい、わかった。そうか、おまえさんのような子がロカのな。あいつも案外まともだったんだな」
「まとも?ロカのことですか?」
「傭兵なんぞしとるだろう」
「辞めましたよ」
「辞めた?」
「自分のお家を買う目標のために傭兵をしていたんです。住むところは決まったので今度はお仕事探しをするって。わたしも負けてられません。ロカに負担をかけないように働き口を探すんです」
「ああ、そういえばあいつはライが……」
何かを思い返すそぶりをトムは見せた。腕を組み何度か頷く。
「なるほどな。そういうことだったか」
「どうかされましたか?」
「ロカのことを見直しておっただけだ。カルミナのことで誤解してしまった。悪いことをしたな」
「ロカは誤解されやすいですけれど本当はとても優しい人ですよ」
間に挟んだ横長の机に乗り出すようにしてニアンが言い切ると、トムは面食らった様子をみせぱちぱちと何度も瞬いた。
「そうらしい。だがあいつも悪いんだぞ。愛想がなさすぎてとっつきにくいうえ、態度が生意気だ」
愛想がなくてとっつきにくい。まるで目の前の誰かさんのようだ。
思いながらニアンはふふと笑う。
「自覚はあるみたいですよ」
「直さんのがな」
「それが最近、頑張ってるみたいです」
「あのロカが?」
トムが意外そうに皺の刻まれた顔を変化させた。
「あのロカが」
そう言ってニアンが大きく頷くと、トムはとうとう声を上げて笑い出した。ニアンもつられて笑い出す。
二人してクスクス笑いあっていると、店の扉が開いてチリンと来訪を告げるベルが鳴った。トムが入り口に目を向けるのとほぼ同時に、ニアンも背後を振り返る。
「やだ、お爺ちゃんが笑ってる!天変地異の前触れかしら」
店内に入ってきたのは首に毛皮のついた外套と毛皮の帽子を被った女だった。もちろん手には皮の手袋をしてこちらも手首周りに毛皮がついている。
トムによく似た青色の瞳を持つ月光色の髪をした派手な美人だ。トムをお爺ちゃんというからには彼女が孫娘のカルミナだろう。
カツカツとブーツの踵をならしてカルミナは店内を歩んでくると、ニアンを見下ろした。きれいに化粧をした美女の突然の登場に、ニアンは圧倒され言葉を発するどころか動くこともできない。
赤い唇が動く。
「あなた、お爺ちゃんの愛人?」