キツネに騙されて
「可愛いでしょう?」
「自慢されてもな」
「あら、子ども好きなんじゃないの?」
「触れ合う機会がほぼなかったからよくわからない」
「そうなの?あの子たちに目線を合わせて話すからてっきり子ども慣れしているのだと。あ、じゃあ自然にできたってこと?すごいわ」
「以前、ミカより少し幼い子どもと数日過ごしたことがある。俺がでかくてびびっていたから視線を同じにした。それを思い出した」
クロエがロカを見上げてフフと笑う。
「確かにあなた、大きいわ。小さなあの子たちなら見上げるのに首が疲れちゃうわね。どうやったらそんなに大きくなるのかしら」
「肉を食えばいい」
「ダイナが大きくなりたいみたいだから勧めてみるわ。ちょっと食が細いのよ」
くすくすと笑うクロエはニアンより小さい。ブルーが標準男性の身長だからロカとニアンのように少し身長差がある。
体つきはニアンよりはるかに女らしい。似たような肉体のカーナは健康的だがクロエは何となく色っぽい。いまだって明るい茶髪がおくれ毛として垂れているのが男はそそられるだろう。
人妻であるがゆえに余計にほしくなる男もいるに違いない。
それは例えば――。
「さっきのダフニスは従弟ということだが、やけにあんたに執着しているようだな」
あの男は結局、護衛はクロエにつけたいのだ。ロカはそう感じた。
「そんなふうに見えた?」
クロエの顔から笑みが消え歩みが止まった。
「最後のが本音だろう」
――ねえさんが心配なんだ。
ダフニスは確かにこう言った。
ねえさんたち、や、ねえさんと家族、とは言わなかった。
「困ってるなら旦那に相談したほうがいいぞ」
「とっくに知っているわ。昔はあんなじゃなかったのに、わたしが結婚してからひどくなったの」
「ダフニス自身結婚は?」
「していないわ。廃れていたうちの一族を立て直したいみたいで、いろんな人と顔をつなげてはお金儲けのことばかりよ」
「ということは実家は元金持ちか貴族か?」
「貴族だけれど大昔の話。いまじゃもう爵位があるだけのものよ。一族は選民意識が強すぎて古臭い人たちばかり。ダフニスは一族を盛り立てようとするだけの意欲はあるし、口ばかりの人たちよりましだけれど、貴族以外の人たちを見下すところがあるの。あなたも嫌な気分になったでしょう。ごめんなさい」
「因みにブルーは貴族なのか?」
クロエが目を丸くしてロカを見た。そしてクス、と笑う。
「あの人のことを呼び捨てにするなんて人、久しくいなかったわ。ロカっていつもそうなの?」
「生意気だとよく言われる」
ふ、とクロエが吹き出した。
「でしょうね」
否定しないところを見ると彼女もそう思っているのか。
「あの人は貴族じゃないわ。素敵なご両親の元で誠実な人に育っただけ」
クロエの表情はブルーを想ってか愛しげなものへ変わった。これはダフニスの入り込む余地など全くない。
プライドの塊のような男にとっては耐え難い屈辱だろう。
「余計なお世話だろうがあの男、――家族内のことにまで口出すのはやめさせたほうがよくはないか?放っておけばどんどん踏み込んできそうだ」
返事はなく苦く笑うクロエにロカは気になっていたことを尋ねる。
「それからさっき、俺を紹介するとき「新しい護衛」と言っていたが、前に護衛がいたのか?」
「いたというかいてもすぐに辞めたというか――」
「どういう意味だ?」
「ダフニスがなにかと難癖をつけるものだから……」
「辞めた?」
ロカが確認するとクロエが困ったように頷く。
「彼は文武両道を極めたいタイプだったからけっこう腕が立つの。下手な護衛ならのしてしまうくらい。なのにさっきロカはダフニスの手を簡単に避けてしまったでしょう。驚いたわ。やっぱりゴールドランクの傭兵はすごいのね。ダフニスもそれを感じたみたい。あんなに簡単に引き下がることってなかったのよ」
「ブルーの護衛に腕の立つ男がいるだろう。目つきの悪い……あの男ならダフニスも納得するんじゃないか?」
「ああ、アルメさん?彼はミカが怖がってしまって。鋭い目をして近寄りがたい雰囲気でしょう。あの子を連れ去ろうとした誘拐犯を思い出すみたい。大泣きしてしまって……彼には悪いことしたわ。夫の護衛なのにわたしたちのことを夫に頼まれて、しばらくうちに来てくれていたの」
顔は怖いけれどいい人よ、とのんきなことを言うクロエだったがロカはそれどころではない。信じがたいことを聞いた。
「連れ去られた?」
すでに子どもが拐かされかけていたのか?
(あのキツネ、そんなこと一言も!)
熱心に護衛を探すはずだ。
「あの人から聞いていないの?最近、幼い男の子や女の子を連れ去る事件が多いらしくて、ロスロイ庁でも問題になっているそうよ」
その話はおそらくブルーの嘘だ。
誘拐が横行している話が本当なら町中もっと大騒ぎになっている。
彼はクロエや子どもたちを不安にさせないために、自身ともども狙われていることを伏せているに違いない。
「うちはあの子たちと一緒に市場に買い物に行ったときにね。ダイナが気付いて騒いだおかげで逃げて行ったけれど、あれ以来ミカはとても臆病になってしまって、いまじゃ家を出たがらないわ。ダイナもミカにつきあって学校を休んでしまうし。なのにあの人ったらダイナは優秀だから少しぐらいさぼっても平気だって……あ、ごめんなさい。つい愚痴を」
クロエの表情に翳りが見えた。化粧でごまかされていたが目の下に隈がある。
明るく振る舞っていただけなのだ。無理をすれば心労がたたって体を壊しかねない。
「母上、ばあやがお茶の用意ができたと――お話し中でしたか?」
廊下を戻ってきたダイナがロカとクロエの雰囲気を察したように、控える様子を見せた。
彼が人の動向を探るようにじっと見据えるのはどうしてかと思っていたが、なるほど、妹が誘拐されそうになったのなら知らない相手を警戒するだろう。
「あらダイナ、わざわざ呼びに来てくれたの?ありがとう。若い男の人に会えてちょっとお話をしてみたくなったのよ。父様には内緒ね」
ウィンクして笑うクロエはもうさっきのような暗さは微塵もない。
いきましょうと促されてロカも歩き出す。
ダイナがこちらを睨んでいる。母親にちょっかいをかけたと思われたのか。
ダイナの目に誤解だと口にすべきか迷うロカは小さくため息を吐いた。