ブルー邸へ
副ロスロイ長のブルーに会った翌日の午後、ロカは彼の家に出向いていた。
彼の家族を護衛すると決めたわけではない。でも昨夜の話から無下に断ることもしづらかった。
報酬もいいことだしと出向いてきたが、ここへ来た理由が言い訳じみている気がしないでもない。
ニアンにブルー邸へ行ってみると話したとき、嬉しそうな様子を見せてまたあの曇りない尊敬の眼差しを向けられた。その顔をやめてくれと言えば「照れなくても」と笑う。
いつもながらいいように変換する頭にはなにを言っても無駄だろう。
ニアンは午後からカーナとともに新生活に必要なものを見に行くということだった。
基本的なものはなんでも屋のライの店、「未知なる出会い」で仕入れて安価で譲ってくれるらしいので、おそらくはニアンのものを買いにいったに違いない。
カーナは同い年だしニアンも遠慮なく何が欲しいと言えるだろう。それにカーナならば店主に騙されて価値以上の支払いをしてくることもない。
彼女と買い物をすることでニアンも一般的な金銭感覚を養ってくれるといいが。
家の修繕は風呂づくりに取り掛かっている。ロカが抜けることは作業に遅れがでるはずだったが、ちょうどよいことにポロがいた。
彼は鍋を届けてすぐにゲンロクへ帰るつもりはなかったようだ。岩に囲まれたゲンロクとは違ってロスロイは人も物も多い。
物見遊山でもして羽を伸ばす気でいたのだろう。実際昨夜はそんなようなことを話していた。
しかし今朝、ヘリングとラッシに挟まれて萎れながら、ロカたちのいる修繕中の家に現れた。無理やり連れてこられたのは明白だった。
ヘリングはロスロイ滞在中ラッシの家に泊まっていて、彼の口利きでポロも世話になることになっている。宿代が浮いてその分遊べると喜んでいたのに、それがおしゃかになればがっかりもするだろう。
溜息をついては遊びたいとポロは文句を言い、しかしカーナがいることを喜んでいる節もあった。よほど好みだったらしい。
そのカーナが午後からニアンと買い物に出ると聞いて、ポロは明らかに落胆していた。
が、すぐに何か企んでいるような顔をしていたから、修繕作業を抜けてカーナを追いかけるつもりに違いない。
まぁ元傭兵が三人もいてはそれも無理だろう。いまごろ逃げられないと気が付いているころか。
ニアンとカーナは昨夜遅くまで話していたようで、今朝は二人してあくびをしていた。ロカはまさか、彼女らがここまで仲良くなるとは予想していなかった。
しかし考えてみればニアンは籠の鳥であったし、カーナは傭兵の集まる特殊な家庭の娘であることで敬遠されていたのか、時折一緒に出掛ける友人はいても、親友と呼べる人物はいなかったように思う。
お互い初めて色眼鏡で自分を見ない人物と出会ったのだから、なるべくして仲良くなったのかもしれない。
(さてと……俺も終わらせるか)
ロカは敷地の外からブルーの家を見た。彼は副町長とはいえ要職にある人物だ。
どんな屋敷に住んでいるのかと思ったが、貴族や富豪のそれとは違い想像より小さかった。それでもロカが買った家の倍は優にあるけれど。
そして偶然だがブルーの家はロカが買った家から近かった。
ロカが買った家は元貴族邸であっても末端で、そう力もなかったに違いない。それでもロスロイの町人の中でも貴族や金持ちといった富裕層が暮らす地区の中にあるし、近隣となるのは当たり前といえば当たりかもしれない。
昨日、時雨れたせいで屋敷からロカの立つ門にまで、土に馬車の轍が残っていて、それはそのまま遠くに続いている。ブルーは馬車でロスロイ庁へ行くらしい。
そんなことを思いながら、門扉が開いているのをいいことにロカは勝手に敷地内へ入る。
扉には大きな獅子のドアノッカーがあってロカはそれを叩いた。しばらく待っていると内側に扉が開いて男が出てきた。30代後半の髪をきっちり7:3にわけた紳士だ。
一瞬執事かと思ったがフロックコートにズボン、タイ、靴、どれをとっても上質のもので、貴族のそれを思わせた。それに外套を羽織っていてこれから出かけるところのように見えた。
男はロカを上から下まで眺めたあと、不審者でも見るような目をして眉を寄せた。
「誰だ?」
上から物を言うことに慣れた態度。やはり貴族かと思いつつロカは口を開いた。
「この家の主にここへ来るよう言われた」
「にいさんに?」
にいさん?ということはブルーの弟か?
顔も雰囲気もこれっぽっちも似ていないが。
思ったところで奥から女の声がした。
「ダフニス、どなた?」
「ねえさん、不用意に出てきちゃだめだ」
「でもあの人の紹介の方だって聞こえて――」
ダフニスと呼ばれた男の背後から女が姿を見せた。年齢はブルーより若く見え、ここにいる男と同じくらいに見えた。
瞳に合わせたのか深い緑色をした裾の長いワンピースを着た、いかにも淑女といった落ち着いた雰囲気がある。頭部でまとめた髪は緩く波打ち、ニアンのような柔らかな髪を思わせた。
「副ロスロイ長の奥方とお見受けするが」
「ええ、はい。あなたはもしかして昨晩、夫が言っていた「ロカ」さんかしら?」
「ああ」
頷くと彼女はポンと手を打ち合わせて微笑んだ。
「来てくださったのね。嬉しいわ。さぁ入ってちょうだい。息子と娘が中にいるのよ。紹介するわね。あ、わたしはクロエです。彼はわたしの従弟でダフニスというの」
クロエが扉を大きく開け放ってロカを招く仕草をすると、ダフニスと言われた男が慌てて止めた。
「ねえさん、こんな素性の知れない奴を家に招き入れるなんて」
ねえさんというからにはダフニスのほうが年下なのだろう。従弟だからか顔も似ていなかった。
「あら、彼はあの人だけでなく大都長からも凄腕と称された新しい護衛の方よ。元傭兵でなんと金階級らしいわ」
クロエの説明にダフニスが嘘だろうといわんばかりにロカを見つめた。
「ねえさんの言うことは本当か?」
「護衛になると言ってはいない」
「そっちじゃない。ゴールドランクって……おまえ、いくつだ?」
ロカはダフニスを一度ひたと見据え、すぐに視線を外しながら足を踏み出し屋敷に入った。
通り過ぎるときに、
「あんたよりは若いな」
こう言えばカッとなったように怒鳴られた。
「生意気なっ。誰が入っていいと言った」
「この家の主はあんたじゃない。夫人が俺を招いたのを見ていなかったのか?」
「きさま!」
怒りに任せてダフニスが手を伸ばしてきたのをロカは難なくよけた。ダフニスがぎょっと驚く。
その様子から察するに腕に覚えがあるらしい。ロカからすると相手にもならないが。
そこへ廊下から靴音がして少年が姿を現す。
「何事ですか」
天井近くに明かり窓を設けているおかげでエントランスは明るい。ブルーグレーのダマスク柄の壁紙に手をかける少年は、細い肢体を持ち利発そうな目をしていた。