二枚のメモ
「そうなのか?それは失礼をした。あとで駄目にした服の代わりを届けよう。そうか、お互い非はあったということでここは水に流そうじゃないか。――で、話を戻すが、わたしが腕のいい護衛を探していると覚えていた大都長が、君のことを紹介してくれたわけだが……」
違う町の副長と長が頻繁に会えるわけもなく、なのに私的な話までするのはよほど信頼しあっているのだろう。が、タヌキの次はキツネとこっちは厄介この上ない。
いまだって弱味を握れないとなるとさっさと話しを変える。有能な為政者は頭の回転が速いものだが、ブルーも例にもれず相当頭が切れそうだ。
こういう相手と話をすると話が早くて助かるが、意見が違えば途端に厄介な人物になる。
「再三会いたいとヘリングに伝言を頼んでも、君は一向にわたしを訪ねてくれなかった。君とは今日が初対面だ。嫌われるようなことをした覚えがない」
「大都長のせいで俺がここであんたの護衛として働くことが決まったと聞いたからだ」
「まさか。本当に君を推薦されただけだよ」
「ともかく俺の知らないところで勝手に話を決めているのが気に食わなかった。だから無視したんだ」
「では誤解が解けたところで改めて尋ねよう。話を受けてはくれないか?」
「その前に――あんたを狙うのは誰かだいたいの目星はついているんじゃないのか?どうしてたたかない」
医務室ではインヴィに邪魔をされたが、セーラムはそんな口ぶりだった。
ロカの質問にブルーは指を組んだまま肘を立てて顎をあずけた。
「そんなに単純にはいかないんだ。欲深な人物がゆえにいろんな方面に顔が利く。ロスロイ長のように飼いならすことはできなくても共存はしたい。だからそれまで妻と子どもたちを君に守っていてもらいたい。問題が片付いたあとももちろん約束通りの待遇と報酬を保証する。どうだ?」
「どうして俺なんだ?あの目つきの悪い男がいるじゃないか」
目つきの悪い、という言葉にブルーが笑う。
「彼はアルメというんだ。その目つきの悪さから下の娘がアルメを見るたび大泣きする。彼自身も子どもは好きではないらしい。愛想をと頼んでも威圧する始末だ。そもそもアルメは公人の護衛官としてロスロイ庁に雇われているから、差し迫った危険がわたしを含む家族に迫っていない限り、家族の護衛をしてもらえない」
「俺だって子どもをあやしたことなどない」
「確かに君も不愛想だが大丈夫じゃないかと思う」
言いながらブルーはチラリとニアンを見やり、再びロカを見た。
意味ありげに笑うのが癪に障る。
「俺の実力があの男以下かもしれないが」
「思ってもないことを。負ける気はなさそうだ」
「奴がヘリングと同等なら俺じゃ勝てない」
「それも今の時点ではということだろう。対等かそれ以上を目指しているんじゃないか?心配しなくてもアルメもヘリングには勝てなかった。君たちのように剣を握ってきた者は、強い相手と手合わせをしないと気が済まないのか?わたしには理解できないが」
「自分のレベルを知る目安になることは確かだ。俺はそこまで見境なくやらない。手合わせをしたいと思える相手とだけだ。出会う奴出会う奴、いちいち相手をしていたら疲れる」
話を聞いたブルーは「確かに」と喉を鳴らして笑う。それから一呼吸おいて顔つきを改めた。
「うん、やはり君がいい」
「なにが?」
「人とのコミュニケーションはちゃんととれるようだし、思考もまともだ。恋人がいるくらいだから他人への情もある。強さはヘリングの折り紙付きで、生意気なところも自制するくらいには大人だし、冷静な頭を持っている。何より娘が泣かない程度には男前だ。――わたしには劣るがな」
「おい、俺があんたの家族を護衛をする方向で話が進んでいる気がするが?勝手に決めないでもらいたい」
「こんな好条件ないだろう」
「好条件ってのは大金積まれて、隠居した年寄りの平穏を守るような仕事だ」
「ではわたしが年老いたときはお願いしよう。ロカ、考えてみたまえ。ヘリングを打ち負かしたいなら腕がなまるような仕事はしないほうがいいんじゃないか?」
それは確かに。
思ったロカは、ん?と気が付いた。
「ちょっと待て。だったらあんたの仕事、腕がなまる暇がないってことじゃないか」
ブルーは明後日の方向に視線をそらし、はははとかわいた笑い声をあげた。
席を立って歩んでくると、上着の内ポケットから取り出したメモをロカに握らせる。
「明日にでも一度、わたしの妻と子どもたちに会ってくれ。家までの地図と、家の者が君を賊と勘違いしないための身分証だ」
「勝手に話を終わらせ――」
肩をつかまれてロカは言葉を途切れさせた。
「頼む、ロカ。君が妻たちに会ってみてどうしても嫌なら諦める」
ブルーの手に力がこもる。
「……頼む」
もう一度言って彼はロカの返事も聞かず、「仕事に戻る」と応接室を出ていった。
去り際の背中は戦う男のそれだった。ロカは二つ折りにしてあった紙を広げた。
一枚目はブルーの家への地図だった。そして二枚目は――。
「ロカ、どうかしましたか?」
手元の紙を見つめたままのロカを不思議に思ったのかニアンが近づいてきた。
彼女が覗くより早くロカはメモを握りつぶす。
「え?そんなに嫌なんですか?副ロスロイ長様はとてもお困りのようでしたし、考えてみるだけでも……」
二枚目の紙は身分証などではなかった。
人が胸にナイフを突き立てられた絵に大きく「退け」とあった。
ブルーは脅迫されている。退かねば絵のようになるということだろう。
「ロカ?」
ニアンの声にロカは彼女を見下ろした。
「おまえは俺が仕事を受けるほうがいいのか?聞いていただろう。あの男の周囲はきな臭い」
「もちろん心配です。ロカが怪我をしたらと思うと怖いです。でもだからロカはわたしが不安にならないよう、断るような気がして……。ロカは優しくて、本当は困っている人を放っておけない人です。わたしはあなたの邪魔をしたくありません。ロカがしたいようにしてください」
そう言ったニアンの顔色が青ざめて見えた。ブルーとの会話を聞いていて危険な仕事だと感じているのかもしれない。
それでも仕事を受けないでくれとは言わないニアンは、ブルーが困っているのを助けてやりたいと思っているのだろう。
(優しいのはおまえだ)
思いながらロカは彼女を安心させるようにわずかに口元をほころばせた。
「ニアンは俺を買い被りすぎだ。――が、わかった。ちゃんと考えて決めよう」
「はい」
頷くニアンの表情が明るくなった。
ロカは手にあるメモ紙をポケットに突っ込んだ。