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Dog tag  作者: 七緒湖李
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二つの手

「これ食べな」

 扉の隙間から差し出された木皿には、根菜たっぷりのホワイトシチューが入っていた。

 あたたかな料理を差し出しているのは昼間、ロカたちがアルセナール家の場所を尋ねた女だ。彼女の足元に男の子がいて部屋の中を覗こうとしている。

 さらに向こうにはテーブルにつきながらも、心配そうな様子を見せている人の好さそうな男の姿もあった。

 女の夫だ。

「急に押し掛けたのに、すまない」

「いいんだよ。それよりあの子はどうだい?」

「まだ眠っている。精神的にまいっているんだろう」

「そうだろうねぇ。ずっと探していた肉親を訪ねてきてみれば亡くなっていただなんて――なんて可哀想なんだろうね。アルセナール家で働いていたのかい?」

「ああ。それより寝室を借りてしまって本当にいいのか?」

「ん?気にするんじゃないよ。あたしたちはどこでだって寝られるからね。あの子が目を覚ましたときあたしらが寝ちまってたら、勝手に竈でシチューをあっためて食べさせてやるんだよ」

「何から何まで世話になる。ご主人も、感謝する」

 礼を言ったロカに女は明るく笑った。

「やだよ、昼間ツレなかったのが嘘みたいに素直じゃないか。そんなにあの子が大事なんだねぇ」

「は?」

「とぼけんじゃないよ。あたしが迫ったらあの子の目を気にして逃げたくせに」

「いや、そんなことは」

「今ならあたしの誘いに乗ってくれるかい?」

 流し目をよこす女にロカは苦笑を浮かべた。

「旦那の目の前で堂々と――本気じゃないのがバレバレだ」

「なんだい、からかいがいのない」

 はん、とばかりに手を振った女はまたさっきまでのような明るい笑顔に戻る。

「おかわりがほしかったら言いなよ」

 扉を閉めてロカはベッドの側にある丸椅子に座った。木皿とスプーンを置いたサイドチェストのランプが揺れるたび、ベッドで眠るニアンの顔の陰影が変わる。

 大泣きしたニアンは泣き止んだ後も父親と母親がいる家の側にいたがった。

 もちろん門は固く閉ざされ、ニアンは屋敷の窓のカーテンが動くたび期待し、すぐに閉ざされては落胆していた。

 ロカの仕事はニアンを両親のもとへ送り届けることでもう契約は果たしていたが、さすがに普通の状態じゃない彼女を置いてはいけなかった。

 暗くなるまでつきあって、二人はこないとニアンに言い聞かせると、彼女は張りつめていた糸が切れたように気を失った。

 小さな田舎町には宿屋なんてものはなく、野宿できる場所もなかったため、ロカは一か八か昼間の女を頼るしかなかった。ニアンを背負って扉を叩き、一晩だけと頼めば、女はニアンの瞼が晴れていることに気が付いたのだろう。

 仕事から戻っていた夫と頷きあって家に入れてくれた。何があったのかと理由を尋ねられ、身内の死にショックを受けて倒れたと伝えた。

 もちろん嘘だ。しかし嘘とも言い切れないのではとロカは思う。

 祖父に引き取られてからのニアンは、おそらく愛していた両親を心の支えにしていたに違いない。

 だがそれは今日、幻想だったと思い知らされただろう。 

 父親の言葉に、母親の態度に、ニアンの顔が歪んでいったのをロカは見ていた。

 あれは絶望だ。それでも一縷の望みをかけて家の周りをうろついて、時間がたつほどに現実を突きつけられる。

 二人はこない。

 わかっても認められないニアンの代わりに、ロカはそれを口にした。そのせいで、一瞬にして生気を失っていく彼女に何を言えばよかったのだろう。

 ロカは赤く腫れぼったいニアンの瞼を見つめた。ニアンを祖父に差し出すことで自由を手に入れたという両親は、彼女を育てた十二年の間、一度も彼女を愛さなかったのだろうか。

 ニアンが現れたことで喚き散らす父親は狂人じみていた。母親は恐怖に怯え切っていた。

 二人のあの態度は、ニアンをスケープゴートにしたことへの良心の呵責からくるものなのか。切り捨てた過去が突然目の前に現れたことに嫌悪し、慄いただけなのか。

 わかったことは二人にはニアンを案じ、懐かしむ素振りはみじんもなかった。

 彼女の心に住んでいた両親は今日死んだのだ。 

 ベッドから目をそらしたロカはサイドチェストのシチューを手に取って口に運ぶ。

 一気に平らげ席を立つと、器を返すため部屋を出て行った。





◇ ◆ ◇





 コツ、コツンとたどたどしいノックの音を聞いたロカは目を覚ました。

 夜中まで起きていたはずがいつの間にか、椅子に座ったまま寝てしまったらしい。本来寝る用途には使われない椅子で寝たため、あちこちが軋むような錯覚を覚える。

 組んでいた腕をほどき凝った首をめぐらせていると、またノックがあった。さっきより少し大きいのはこちらに気づいてほしいからだろう。

 室内はかなり暗い。布を窓枠に張り付けてあるのは、貴族の屋敷にあるカーテンをまねているようだ。

 ロカはベッドに視線を走らせた。ニアンはまだ眠っているようだ。

 昨日から一度も目を覚まさないことが気になったが、とりあえずは部屋の扉を開けるため立ち上がる。

 ゴンゴンゴン。

 ノックがかなり激しくなっていたからだ。

「うるさい」

 内開きの扉が突然空いたことに驚いたのか、拳を握ったまま相手は固まっている。

 ノックの相手はこの家の子どもだった。

 自分よりはるかに背の高いロカを見上げ、目が合うと怯んだ様子で右に左と誰かを探すそぶりを見せる。

 母親は竃の前に立って朝食づくりに忙しいのか、「悪いね、ちょっと相手していてくれるかい」と声だけが返された。

「いつも母親の陰に隠れていないで用があるならちゃんと言え」

「……ちゃ……てる?」

「あ?」

 声が聞こえなくて尋ね返すと完全にビビったのか泣きそうになってしまった。

 はぁ、と溜息をついてロカは屈み込む。

「いちいち怯えるな。怒ってるんじゃなくて愛想がないんだ」

 自分で言ってて馬鹿げた発言に思えた。

「あいちょ?」

「愛想……あー、チビみたくなつっこくないというか――ってなんの説明だ。……何か用か?」

 名前は何といったかとっさに思い出せず、勝手に「チビ」と名付ける。

「ねーちゃ、起きてる?」

 部屋をのぞき込む姿に彼もまたニアンを心配しているのだと気づいた。

「まだ寝ている。入るか?」

 頷き軽い足音をさせてチビはベッドに駆け寄ると、背伸びをしてベッドにあるニアンの様子をうかがっている。

「昨日から一度も起きていないからじきに目を覚ますだろう」

「ねーちゃ、泣いてる」

 確かのチビの言う通り、覗き込んだニアンの目じりが濡れていた。

「たいの?」

「たい?」

 ロカが首を傾げるとチビが腹を押さえた。

「たいの?」

 どうやら腹痛を心配しているらしい。

「腹じゃなくてこっちだ」

 言いながらロカは胸を押さえる。

 チビはロカを真似て胸を押さえ、

「おっぱい、たいの?」

 と、まるで一大事だと言わんばかりの顔になった。女好きということだし、胸も好きなのだろう。

「おまえの将来が心配だ」

 マザコンでエロいことしか頭にない男になるんじゃなかろうか。

「痛いのは心。胸の奥にある目には見えないものだ。だから怪我をしても病気になっても、どれだけ痛くて苦しいのか俺たちにはわからない」

「なおりゅ?」

 治るかと尋ねられてもロカにはわからない。

「さぁな、こいつ次第だ」

 チビが手を伸ばしてニアンの頭を撫でた。

「だいちょぶ。しゅぐなおりゅ、だいちょぶ」 

 そんなチビの頭にロカは手をのせる。

「前言撤回する。おまえはそのまま生きろ」

「にーちゃ?」

 開け放った扉から遠く声がした。

「みんなー、朝ごはんができたよ。さっさとおいで」

「ごはん」

 チビがぴくと反応を見せた。

「行くか」

 ロカが誘うように声をかけると、チビに手を捕まれた。

「にーちゃ、はやく」

 引っ張られながら部屋を出ていくと、テーブルに朝食を並べていたチビの母親がへぇと嬉しそうに笑った。

「うちの子とずいぶん仲良くなってくれたね。子どもは苦手そうに見えたけど」

「接する機会がなかったから扱い方がわからないだけで、好き嫌いは考えたことがないな」

「ああ、全くそんな感じだね。見たところ大人も子どもも変わらず接してるって感じだ。なのに好かれるのかい。不思議な男だよ。ますます惚れるね」

 ちゅと投げキスをよこされたところで、彼女の夫が欠伸をしつつやってきた。

 椅子につきながらロカを見て、のんきな様子でおはようと言われた。

「うちの奥さんと息子はそっくりだろう。異性が大好きなんだ」

 言われてロカは二人を見比べ、わずかに口元を緩めながら空いた席に着いた。

 その通りと言えば、彼の妻を怒らせそうなので黙っていた。





◇ ◆ ◇





 室内は先ほどより明るくなっていた。完全に日が昇ったからだ。

 ベッドの脇の椅子には誰も座っていない。眠るニアンの閉じた瞼から涙が滲み出る。

 滴が睫毛を濡らしながら目尻をこぼれていった。眉間に皺が寄る。

「……っ……」

 夢を見ているのか僅かに声が漏れた。

 キィと静かに扉が開いた。

 たた、と足音をさせて小さな影がベッドに近づく。

「だいちょぶ、だいちょぶ」

 ニアンの頭を子どもの手が撫でる。

「チビ?どこに消えたかと思ったらまたおまえ――」

「にーちゃ。きて」

「どうした?」

 歩く足音は子どもより重い。

「ねーちゃ、いい子いい子」

「は?」

「いい子ちて!」

 強い口調に負けた大きな手がニアンの頭に触れる。

「だいちょぶ、て。ねーちゃ、だいちょぶ。いい子いい子なの」

「俺におまえを真似ろと?」

「まねちて!」

 額に触れたまま手が硬直していたが、やがてぎこちなく動き出す。

 ベッドが軋んで、うーんとばかりに小さな手も伸ばされた。

 大きさの違うあたたかな手のひらがニアンを撫で続ける。

 いつしか目尻を流れる涙は止まっていた。






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