向けられる敵意
インヴィの意識が戻らないためロスロイ庁の医務室に運んだ。
ロカたちが揉めていた間に役所の営業時間が終わっていたらしい。帰り支度をして扉の鍵を閉めていた医師をつかまえ診てもらえば、打ち身だけで心配ないということだった。
腐っても護衛官。体を鍛えていたことが幸いしたようだ。
医師は診療を終えると戸締りを頼んでさっさと帰宅してしまった。
それからロカたちはインヴィが目を覚ますのを待つ間、ヘリングに騒ぎの一部始終を話すこととなった。
「つまり二人は町住届の手続きに来て、ロカが役人に金階級の元傭兵と話したら、インヴィとセーラムが現れてロカに無理やり手合わせしろと詰め寄った――……というわけだな」
ヘリングが確認してきたため、窓を背にニアンと並んで立つロカは頷く。
「本当か?」というようにセーラムへ目を向けるヘリングの背中に泥がついていた。インヴィを背負ったためだ。
腰を抜かしてへたり込んだせいで彼女の服も汚れている。医師がベッドを汚さないでほしいと言うので、インヴィは肌についた泥汚れをふき取り、上着とズボンを脱がせて寝かせてあった。
そのベッドの足元に腰を預けたセーラムは不機嫌そうに返事をした。
「そうです」
「二人はどうして一階に?副ロスロイ長の護衛は?」
「副ロスロイ長は本日、庁内勤務だけでしたし、緊急時でもないのに何人も張り付いてはいません。それは大都長も同じかと」
セーラムの話にヘリングは首肯する。彼女は「ですが」と言葉を続け、すぐに言い淀んだ。
「何か気になることでも?」
ヘリングが促すとセーラムは、床に置いた荷袋を椅子代わりに片足を組んで座るポロを見た。
「ん?俺が聞いちゃいけない話?じゃこーやって耳を塞いどくわ」
節くれだった手で両耳を押さえて「これでいいか?」と彼女へ言った。セーラムの視線が動いてチラとロカとニアンを気にする。
ニアンが慌てて両耳を塞ごうとするのをロカは止めた。
「俺たちは聞いていいはずだ」
「一般人だわ」
「その一般人に絡んできたのはどこのどいつだ」
目に力をこめて相手を睨みつけるロカに気づいて、ヘリングが仲立ちするように言った。
「セーラムが気になることというのは、ロカを追った理由にも関わっているのでは?」
セーラムがあきらめたように溜息を吐く。
「へリングさんは現ロスロイ長が退けば、副ロスロイ長が次のロスロイ長に立つだろうという話はご存知ですか?」
「ああ、噂には聞いている。あの方は優秀だし町の人にも人気がある。適任だとは思う」
「わたしもそう思っています。が、それを阻止しようとする者がいるのです」
「相手に心当たりがあるのか?」
「それは――」
「慎め、セーラム」
声がして全員がベッドを向いた。耳を塞いだはずのポロも同時だったので、塞いだふりをしていたようだ。
インヴィがベッドに身を起こしセーラムに厳しい目を向けた。
「現ロスロイ長が退いたあとは選任会が開かれる。そこでロスロイ長が決まるんだぞ。なのにめったなことを言うものじゃない。おまえのせいで副ロスロイ長の立場が悪くなったらどうするんだ」
厳しい口調でセーラムに言ったインヴィは、彼女が口を噤むのを確認した後、ロカを憎しみのこもった目で睨みつけてくる。
彼は庁内のエントランスでもやたら睨んできた。ここまでくるとさすがにロカも黙っていられない。
「なんなんだ、あんた。どこかで会ったか?」
相手は自分を知っているようだがこちらは全く覚えがない。一方的に敵意を向けられる理由がわからなかった。
「ジャン・ニスキを覚えているか」
名前を聞いたロカは耳を疑った。
驚きと同時に目を見開いて、やっとまともにインヴィを見た。
「その様子じゃ覚えてるんだな」
「ああ……――そうか。おまえがジャンの言っていた「兄貴」ってやつか」
ロカとインヴィだけがわかる話に、周りは眉を寄せている。
「俺のことを聞いていたか」
「名前までは聞いていなかったが、昔死にかけていたところを助けてもらった恩人がいると。あいつはあんたに随分と憧れていた。あんたみたいな強い男になりたいと言っていた」
「おまえがジャンを語るな!」
突然のインヴィの大声に、ロカの隣に立つニアンがビクと身を震わせた。
語るなと言われたはずが、ロカは構わず口を開く。
「あいつは俺に戦い方を教えろと言ってきた。兄貴ほどじゃないがそこそこやるから、おまえの弟子になってやると随分と偉そうだった」
「黙れ」
「俺が当時あの町にいたのは偶然じゃない。国境にある砦を隣国が狙っていて動きが活発化していた。正規軍到着まで砦の兵士とそこを守るのが俺たち傭兵の任務だった。その砦につめている兵士たちの飯炊き人の一人がジャンで、周りがうらやむほどの美人の恋人がいた」
淡々と語るロカの話にインヴィが低く唸るように言った。
「そうだ。あいつは子どものころから悪さばかりしていたが、俺が助けたあと心を入れ替えて真面目に生きるようになったんだ。俺はあのころにはもう傭兵をやめてロスロイにいたから、あまり会えなくなっていた。そのぶんあいつはよく手紙をくれたよ。汚い字でどうでもいいようなことばかり書いていた。あるとき手紙におまえの名前があった。好きな女ができたとも――」
俯くインヴィの手が布団を握りしめ震えだした。
「隣国との関係がきな臭いせいでいまは無理だが、それが落ち着いたら彼女と一緒になりたいと……おまえに修行をつけてもらっているから、惚れた女ぐらい守れる男になると……そうあった……それがジャンからの最後の手紙だった」
インヴィが黙ると、シン、と部屋の中が静まり返った。黙ったままのロカにインヴィが言った。
「その理由をおまえは一番よく知っているな」
数秒の間があいた。
「……死んだからだ」
「おまえが殺したんだ!!」
獣の咆哮のように叫んで告げた言葉は、周りの視線をロカに集めた。