勘違い
ポロは体からはみ出すほどの大きな荷袋を背負っていた。ロカを見つけると嬉しそうな顔で駆け寄ってくる。
「ロカ、会いたかったぞ!うっかりおまえがどこに住んでるか聞き忘れてたから、ロスロイ庁で町住届見せてもらえっかなぁってやってきたら、ちょうどヘリング兄さんと鉢合わせてよ。用が終わったらおまえのところまで案内してくれるっつって、そんでいまからおまえのところへ行くとこだったんだよ。そしたらこの騒ぎだろ。覗いてみりゃあ、ロカとニアンがいるし。で?こりゃあおまえがやったのか?やっぱ強ぇなー」
相も変わらずうるさい。しかもロスロイ庁にいるわけを聞いてもいないのにべらべらと。
ロカはポロを無視することに決めた。
「ロカ、何があった?ニアンは泥だらけだし、そっちの二人と揉め事でも……」
側でへたり込んでいる女を見たヘリングが、次に伸びている男を振り返った。
「おまえ、インヴィのこと知らないんじゃなかったのか?」
「知らないが?」
ロカの返答にヘリングが眉を寄せた。
「そこで気を失ってるのがインヴィ・クタだ。こっちの彼女がセーラム・ウェスト」
え、と気絶したままの男を見やるロカにヘリングは顔を近づけて声を潜めた。
「二人とも副ロスロイ長の護衛官だぞ。何があったかは知らないが二人をのしたって、おまえ……副ロスロイ長の護衛官をやりたくないんじゃなかったのか?」
「やらない」
「この状況でそれが通るか。おまえレベルの暴漢が襲ってきたら、現状の護衛官じゃ歯が立たないって証明したようなもんだろう」
「こいつら下っ端だろ?ほかに強い奴が護衛にいるんじゃないか?」
「いや、こいつら副ロスロイ長の護衛官のなかじゃナンバー2と3だぞ」
「はぁ!?嘘を言うな」
「ともかく二人を医務室に。ニアンもその形じゃ町を歩けないだろうし一緒に来てくれ」
ロカが無言の抵抗をするもヘリングは見逃してくれなかった。
「何があったのか聞くまで帰さん」
ヘリングはセーラムの前に跪く。
「歩けるか」
「ヘリングさん。……はい、平気です」
彼女の返事に頷いて、今度は倒れているインヴィのもとへ行き、意識のない彼を背中に背負う。そうしてロスロイ庁へ歩きながらポロへ声をかけた。
「ポロ、悪いがもうしばらくつきあってくれ」
「ああ、別にいいぜ」
素直にヘリングについていくポロとセーラムだ。
「ロカ」
ニアンに呼ばれて顔を向けると「行きましょう」と促された。
歩きだしたところでまたニアンの声がした。
「守ってくれてありがとうございます」
「だが結局泥だらけだ」
「こんなの洗えばいいだけです」
ぱんぱん、とニアンが手を叩くと体温で乾いた泥が落ちた。彼女の顔に先ほど見せた怯えはない。
「怖い思いをさせた。すまん」
謝罪を口にするとニアンがこちらを見上げてきた。
「戦うときのロカは普段とは違って知らない人みたいです」
「別人に思えるほど恐ろしいということか」
「ロカを恐ろしく思ったことはないですよ?」
「でもさっきは震えていただろう」
「目の前でいきなり争いが起こったら驚きます。わたしはロカが怪我をしないか心配です。いくらロカが強くても、素人のわたしが死に物狂いになったときのように、あなたを傷つけるような何かが起こるかもしれません。だから争いを避けられるなら避けてほしいです」
そう言ってニアンがロカの手をつかんだ。
「お願いですから無茶はしないでくださいね」
面と向かって身を案じられるというのはこんなにも面映ゆいのか。だが同時に嬉しいものでもあるらしい。
「わかった」
「わたしが突き飛ばされたのを見て怒ってくれたのでしょう」
ロカが頷くとニアンは微笑を浮かべ、それからアッというような顔になった。
「泥のついた手でロカの手を握ってしまいました。ごめんなさい。ロカの手も汚れてしまいました」
「いい、このままで」
放そうとする手を握り締める。
「でも」
「では俺の願いも聞いてくれ。ニアンからもっと俺に近づいて触れてほしい」
「……ふれ、て……?え?」
「手を出していいといったくせに近づくと逃げる。これじゃあ進展どころか何もできない」
ニアンの頬が見る間に赤くなった。唇が動いてぼそぼそと声がした。
「じゃ、じゃあロカも……焦らして楽しむなんて悪趣味です」
「焦らして?――いつ?」
「いつって、いつもです。誰が来るかわからないところでばかり、キスしてくるじゃないですか。皆に見られてしまいます」
「あれは我慢できなくてついしたくなってたというか。ニアンが困るだろうと、あれでも一応人目を避けていたんだが」
見つめあう二人は互いに眉を寄せて沈黙する。
「ロカはわたしが焦れるのを待っているのだと思っていました」
「俺はニアン自身気がついていないだけで、本当はまだキス以上を怖がっていると思っていた」
また沈黙した。そして今度は同時に口を開く。
「我慢ってなんですか?」
「人に邪魔されない場所でなら逃げないのか?」
一拍おいてロカが先に答えた。
「ニアンに手を出したいのを抑えきれなかった」
瞬間、はく、と変な音を立ててニアンが息を止めた。顔全体どころか首まで赤くなる。
ロカの質問に対する彼女の返事はない。だが手を振り払うというような逃げる素振りも見せない。
試しにロカが握る手に力をこめると、少しあってニアンの掌にも力がこもった。
ロカは前を歩くヘリングへ視線を向けた。
「ヘリング――」
「何があったか話を聞くまでは帰さんと言ったぞ。――というかそういう話は二人きりのときにしてくれ」
ヘリングが苦笑交じりに振り返る。会話が丸聞こえだったようだ。
荷物を背負いなおしたポロも物珍しそうにロカを見てくる。
「おまえらまだだったのか。にしてもバカップルな会話だなぁ。ロカもそういう話すんだな、意外」
そしてロカに怯えていたはずのセーラムは、ウザイと言わんばかりの冷ややかな顔をしてこちらを見ていた。ロカと視線が合うとフンと前を向く。
隣で皆に聞かれていたことに焦りまくるニアンには周りの様子が見えていないらしい。今度は振りほどこうとする手を掴みなおして、指を組むようにして握りこんだ。
「は、離して、くださ……」
「んー?嫌だ」
帰れないならせめてヘリングたちに邪魔されないようにと、ロカは彼らから距離を取るため意識的に歩みを遅めた。
手を引き上げてニアンの手の甲に唇を押し当てる。
はく、とまた彼女から息を詰める変な音がした。
ぶわわわわ、と耳まで赤くなって握る手を嫌がるように引いた。
「心臓、とまる……から、そういうの……駄目」
恥じらう姿にロカは目を奪われる。
(なんだこのくそ可愛いの)
即行で持ち帰りたい。だがまだ二人きりになれる家はないのだ。
いっそ宿を借りてやろうか、と思うがそれも何をやったか周りにバレバレで、ニアンが嫌がるのは目に見えている。
ヘリングがロスロイ庁の警備人に何事か話をしていた。相手は頷いてすぐに走り去っていく。
それを後方から見るともなく見つめていたロカは、おさまりそうもない燻る熱を持て余し、静かに長い息を吐く。
握る手が汗ばんでいる。
それは自分かニアン、どちらの手なのかロカにはわからなかった。