正直があだになる
午後に家の修繕を再開して数時間後、空を雲が覆い時雨始めた。外での作業はやめて中に移る。
崩れていた塀のレンガを新たに積み、もとに戻したというのに大丈夫だろうか。
そんなことを思いながらロカが枠を直した窓をはめ込み、外を見ていると背後から声がかけられた。
「ロカ、ちょいいいか」
こいこいと手招いているのはライだ。
「なんだ?」
「ロカ、おまえニアンを連れてロスロイ庁まで行ってこい」
「は?」
「町住届だよ。手続きしてねぇだろ。これまで俺んちに居候してたし、家を買うっつってたからそれからでもって思ってたけど、こうして正式に家も手に入ったんだ。手続してちゃんとロスロイの町人になっちまえ」
「そういや届出がいるんだったか」
傭兵家業のときは根無し草で、仕事のたびに土地土地を移っていたから町住届など必要なかった。
傭兵など死ねばそこで骨になるだけ。仲間がいればあるいは故郷へ還れるがそれも運がよければだ。
ロカは傭兵時代、死んだらそこで朽ちればいいと思っていた。おぼろげな記憶の中の故郷など戦争で焼けてもうないのだ。還りたい場所は思い当たらなかった。
だけどいまは違う。
「今日はもう作業はやめてニアンと二人、外に出てこいよ。毎日根詰めてたら作業効率も悪くなるってもんだ。ニアンはまだこの辺りに不慣れだし道を教えてやらないとな」
「雨の中歩くのか?」
「じきに止むだろ。西の空が明るいしな」
ライの視線につられて再び窓の外を見る。ただし今度は上だ。
確かにライの言う通り西のほうから雲は晴れてきていた。
少し茜がかっているのは日暮れてきている証拠だ。
「明日でも――」
「明日から風呂作りに取り掛かるんだろ?ヘリングが手伝ってくれるうちに力仕事を終えたいってルスティが言ってたしな。というかおまえニアンとデートもしてないじゃないか。今からロスロイ庁に出向いて手続きすれば帰りは夕刻だ。いい雰囲気を作ってチューぐらいできるぞ」
「そういう話はいい」
というか親代わりの男にそっちの心配をされたくない。
ニアンは錆びた鍋や埃だらけの燭台を洗うと言っていた。井戸のある洗濯室にいるだろう。
ロカは居間に戻って二人分の外套を手にし、ニアンを探す。
予想通り彼女は洗濯室にいた。
数分後、ぽつぽつと雨が降る中、二人はロスロイ庁へ向かった。
◇ ◆ ◇
手続きは少し時間がかかった。ロスロイに来る前に住んでいた町を役人に尋ねられ、馬鹿正直に傭兵であったことを伝えたのがいけなかった。
世界中で平和が叫ばれ大戦は終結したときに足を洗った傭兵が多くいた。それをせず最近まで傭兵で食べていたというなら、血を求める好戦的な人種と思われても仕方がない。
だからこそもともとの出身地ならともかく、現役の傭兵が町人になることを受け入れてくれる町はないといっていい。
ロカには金を貯めるという目標があったとはいえ、普通の仕事より金が手に入るからと傭兵を続けることが、まともな人間の思考とは違うのだろう。
ロカもそこは自覚があるが、生きていくための力を欲した過去の自分と話せたとしても、この道を進むことを止めはしない。
歩む先にニアンがいるのだ。彼女と出会う奇跡を得たのは傭兵をしていたから。
「あの、失礼ですがお二人はどういったご関係ですか?」
カウンターを挟んで対峙する若い男の役人が、どこぞのお嬢様を誑かしたゲス男と言わんばかりの顔をしてロカを見上げた。
ニアンの言葉遣いや振る舞いから身分ある人物と思っているようだ。
嘘くさい笑顔を張り付けた男から、「逆玉かよ、こんちきしょう」などという声が聞こえてきそうだ。
「どう、とは?」
ロカが尋ね返すと彼は言いづらそうな態度を見せた。
「ご一緒に暮らされるということですがご夫婦――というご様子ではありませんし恋人……?」
言葉を濁し、チラ、とニアンへ眼差しを向けた。ここまでプライベートなことを尋ねてくるのは妙だ。
(まさか俺がニアンを騙していると思われているのか?)
めんどうだな、とロカが思ったところで、役人がいきなり呆気にとられたような表情になった。その視線の先を追ってロカは見た。
ニアンの顔がこれ以上ないくらいだらしなく緩んでいる。
「恋人……わたしたち、ちゃんとそんなふうに見えるのですか?嬉しいです。あ、いえ、ご質問に答えていませんね。関係は……えっと、はい。わたしとロカはこ、こ……ここ恋人っ……」
声がひっくり返ってニアンは小さく咳ばらいをした。キリリとした表情を作って改まり、けれどすぐにふにゃりと締まりない笑顔を役人に向ける。
「恋人です」
「そう……ですか」
心なしか役人の肩が落ちていたためロカは気が付いた。
――おまえさー、ニアンが可愛いく見えるっての、恋人補正がかかってるからとか思うなよ。
突然ルスティの声が脳裏に蘇る。
「おまえと両想いになったからかニアンが以前にもまして可愛い。恋する女の子がきれいになるって本当なんだなー。ロカ、ぼーっとしてんなよ。世間知らずなぶん悪い男に騙されてどこかに連れ込まれた、なんてニアンならマジでありそうだから」
大都から戻ってすぐにルスティが言ってきたのをいま鮮明に思い出した。
「納得したなら書類を受理してくれ。それとも俺が以前傭兵であったことに問題か?」
ロカが眼力を鋭く威嚇すると役人はあからさまにびくついて背筋を伸ばした。
「あっ、い、いえ。あなたのような元傭兵の方でしたら問題なく」
「元?現役なら違うのか?」
「いえそういうことではありません。最近は傭兵同士の揉め事が多くて」
「揉め事?」
「仕事の依頼が以前ほどとはいきませんから――それでも小さい町よりはましですし、仕事を求めて傭兵の方が大きな町に集まってくるんです。このロスロイも例外ではありません」
「で、仕事を取り合うのか」
「はい。傭兵を辞めてこの町に住む方もいらっしゃいますが、なかなか新しい仕事にありつけず傭兵に戻ってしまわれることがあります。といいますか、そのつもりで傭兵を辞めて、町人になってから復活する人がたくさん出まして――依頼を求めて町を転々とするより、ここを拠点に依頼があれば逸早く請け負おうとか、……おそらくそういうつもりなんでしょう。ですがそういう方が増えると町に傭兵が多くなり、正直なところ治安が……」
男が言葉を濁すがロカは彼の言いたいことがわかった。
傭兵は気性が荒く喧嘩っ早いうえ血を好む。とは世界共通の意見だろう。
ロカ自身力で解決してきたこともあるので、「それは偏見だ」とは言えない。
「ロスロイ庁では元傭兵の方の町住届受理には慎重にならざるを得ない現状なのです」
男の説明にロカは一応納得した。手続きに時間がかかっているのはちゃんと理由があったらしい。
が、この男がニアンを見ていた理由はそれとは関係ない。
「そうか。問題がないなら俺たちは帰らせてもらう。彼女との馴れ初めまで尋ねられてはかなわないしな」
ロカがニアンの肩を抱くと役人の男が一瞬眉を揺らした。
(顔に出てるぞ、色ボケ役人が)
ニアンが悪い男に騙されていたならヒーローよろしく助けてやるつもりだったのか。そしてあわよくば近づいて……などと考えていたのではないか?
ロカがニアンを促して背中を向けたところで役人から声がした。
「元傭兵の方が町人になるときに、階級をお教え願っております。もしもの有事には手をお借りするべくとのことでして――」
世界大戦が終わって数年。誰もが平和を願っているだろうに有事とは。
「金」
いや戦争ばかりが有事とは限らないか、とロカが思い直したところで「金階級!?」との役人の驚きの声が聞こえた。
そして他の役人もざわつく気配を感じてロカはそそくさとその場を離れる。
ランクも正直に言わないほうがよかったのか。それとも嘘を言っていると思われたのか。
なんにせよ長居しないほうが良さそうだと第六感が告げている。
「お待ちを。少々お話が――あ!」
ロカはニアンの手を握って小走りになった。