断る理由
ロカは洗濯部屋の出入口を振り返ってから、再びルスティに向き直った。
「伯爵家でニアンは孤独だったんじゃないかと思う。でもあいつは凍えていても寒いと気づかなかったように、一人の痛みがわからない。だから我慢を我慢と思わないで耐えるんだ。そんな思いはもうあいつにさせたくない」
しばらく驚きの表情をしていたルスティがやっと声を発した。
「……マジか、おまえがこんなこと言うなんて。どんだけニアンが好きなんだ」
「仲間の好意を裏切ることになっても俺はニアンを選ぶ――……聞こえたな、ヘリング」
ロカは再び洗濯部屋の出入口を見やった。
「え?ヘリング?」
ルスティが意味が分からない様子で目をぱちぱちとさせ、ロカの視線を追った。
木戸が開いたままの部屋の出入口にヘリングが姿を現す。
大都長からいくつか仕事を頼まれていたらしく、ロカのことはいったん置いてあるのか、彼は毎日ロスロイ庁に詰めていた。その彼がこんな真っ昼間にここへ来たということは仕事は片付き、本格的にロカを口説きにきたのだろう。
「聞こえた。その話、どうして最初にしなかった」
「最初、護衛の話を黙っていたのはそっちだ」
「それはそうだが」
返す言葉が見つからないのかヘリングが一瞬口ごもった。
「わかった。そういうことなら仕方がないな。副ロスロイ長には断っておく」
「そうしてくれ。で、ヘリング、ここでの仕事は終わったのか?」
ロカが尋ねると彼はああとうなずいた。
「明日には大都へ発とうと――」
「それ、2、3日伸ばしてくれないか?家の修繕を手伝ってくれると助かる。風呂づくりなんだが」
「風呂?」
ヘリングの質問にルスティが答える。
「ああ、それここに作るつもりなんだ。広さがあるし水も調達しやすい。半分浴室にすればいいかなって」
ヘリングは洗濯室を見回した。
「大仕事だな。というかルスティは相変わらず職人顔負けのことをする。仕事を変えたらどうだ?」
「なんでみんなそういうこと言うかな。俺は「未知なる出会い」の店員も、情報屋も好きでやってんの。こっちは趣味だよ」
ロカとヘリングは顔を見合わせる。
腹減ったー、と洗濯室を出ていくルスティに続き、ロカとヘリングも歩き出した。
部屋をでしなにヘリングが言った。
「二日」
「なに?」
「俺がここを手伝えるのは明日と明後日だ。さすがにそれ以上は大都へ戻らないとまずい」
「今日の午後は?」
「おまえのことを副ロスロイ長に話してくる。彼女に夢中で仕事よりラブラブな暮らしを選んだってな」
ラブラブなんて言葉をヘリングが言うとは思わなかった。
ふ、とロカが笑うとヘリングもつられたように笑う。
「好きに言ってくれればいい。悪いな、ヘリングがこういう強引なことをするのは、タヌキの命令だけじゃなく俺の仕事を心配してくれてたからだろ。感謝している」
「そこは突っ込むな」
ヘリングは照れくさそうに笑う。
「ロカが素直に感謝してくるなんて――これも成長した証か?というかニアンの影響だな」
「以前の俺はそこまでひねくれていたか?」
「生意気ってほうがぴったりくる。俺たちにはなついてくれてたが、フリーになってからの評判はあまりよくなかったぞ、おまえ」
「だから金を貯めてとっとと辞めただろう」
「いや、それが原因だ。すごい速さで階級あげて、一匹狼だからおまえ一人が手柄をたてていく。おまえに愛想を求めるのは無駄なんだろうが、もう少し周りと打ち解けておけばやっかまれることもなかっただろう。恨んでる奴もいると聞いた」
「人の手柄を横取りしたことはない」
「実力差にしっぽを巻くやつもいれば、不満を募らせるやつもいるってことだ」
「それ、そっくりヘリングに返す」
ロカとヘリングの話に参加することなく先を行くルスティが食堂へ消えると、中から「遅い」とカーナの声が聞こえた。
どうやら皆を待たせていたようだ。
ロカが歩みを早めるのと同時にヘリングの声が追ってくる。
「じゃ、俺はもう一度ロスロイ庁へ行ってくる」
「飯を食べていけばいいのに」
「ここに来る前に食べたから腹いっぱいだ」
「そうか。じゃあ後は頼む」
「副ロスロイ長は本当におまえに興味を持たれていたんだがな。まあ大丈夫だろう。ところでロカ、インヴィという男を知っているか?」
ドアノブに手をかけ、食堂に入りかけていたロカの足が止まる。
「イン……?誰だ?」
「インヴィ・クタ。副ロスロイ長の護衛の一人だ。元傭兵らしい。歳は幾つだったかな?多分30歳手前だったと……。彼はおまえのことを知っているようだったんだが――知らないか?」
「傭兵だったならどこかの戦場で顔を合わせてるんだろ」
「顔を知っているって程度の感じじゃなかったぞ。同じ隊にいたとかじゃないか?」
「あー…………覚えていない」
記憶と探っても引っかかる名前ではなかった。ロカのそっけない返事にヘリングは慣れた様子で口元を綻ばせた。
「向こうの勘違いかもな。夕方には手伝いに来れると思う。じゃあな」
手を挙げて去っていくヘリングからすぐに視線を切って、ロカはやっと食堂に入った。
皆はすでに昼食を食べ始めていた。ニアンの隣が空いていて反対側の隣にいたカーナからまた「遅い」と声がした。
「ヘリングとちょっと話をしていたんだ」
「ヘリングが来てるの?」
カーナが表情を変化させて部屋の扉を見つめる。
「もう行った」
しかしロカのこの答えにすぐに「そう」と吐息をもらした。
ヘリングに用でもあったのだろうか。
ロカが思ったところでニアンが話しかけてきた。
「先にいただいていました」
「ああ構わない。うまそうだな」
「はい、レリアさんのお料理はとてもおいしいです。教わっていますけどわたしは全然ダメで、早くロカに満足いただけるお料理を作れるように頑張ります」
ともに暮らすことを決めてからニアンは家事を覚えようとしているようだ。
レリアやカーナに教えてもらい、メモを取ったり料理のレシピを作ったりと努力しているのをロカも知っていた。これまで伯爵家のお嬢様として暮らしていたため、それらはすべて使用人がやってくれていただろうに。
「ゆっくり覚えればいい」
そんな二人のやり取りを、向いで聞いていたレリアがニアンに笑いかけた。
「そうね。完璧にしようと思わなくていいの。ロカもいるのだし手伝ってもらえばいいわ」
そしてロカには「あなたも家事を覚えなさい」と笑顔を怖く変化させて脅してきた。
ニアンがちら、とロカを見つめてくる。
その目が「本当ですか」とばかりに期待に満ちている。
「努力する」
ニアンとレリアに言われてはロカも頷かないわけにはいかなかった。
なにより掃除、洗濯、飯の用意などすべてをニアン一人に任せるわけにもいかない。
生地に木の実を練りこんだパンを手にとったロカはまじまじとそれを見つめる。
パンを作るのはなかなかに重労働だ。ライの家にしばらく厄介になっていたころ、パン生地を台にたたきつけるレリアを何度か見た。
パン屋があるので自家製にこだわる必要もないが、具材の器用な切り分けや美しい盛り付けは無理なので、パン生地作りなどのそういう力仕事は任せくれたらいい。
ぱく、とロカはパンに齧り付く。
掃除は上から順に埃を落とすだとか、洗濯物は皺を伸ばして干すだとか、簡単なことなら子どものころレリアの家事を手伝いながら教わった。
ムグムグと木の実パンを食べながらロカは厨を思い返した。竈があって割と広かった。男が立っても十分なほど。
(そういや鍋、いつ頃届くんだ?)
ハムをフォークで突き刺して口へ運ぶ。
ポロは納得いく鍋を作ったら届けると言っていたが、いつまでにと言わなかった。
強くなりたいから弟子にしろとわけのわからないことを言ってくる男であっても、仕事に対しては真面目で鍛冶師としての腕は確かだ。
彼が作った包丁や鋏を試しに使ってみたが切れ味抜群でとても使いやすい。
将来、世間に名を知られる名匠になるだろう。ゲンロクでポロが働く鍛冶屋の親方は、前の親方と違いちゃんとした人間だったように思う。
あそこでならポロも腕を磨ける。鍋を届けに来たら弟子入りは諦めてくれと言うことにしよう。
思ってロカは残りのパンを口に放り込んだ。