親友の助言
屋敷には洗濯室がありそこに手押しポンプの井戸がある。ロスロイでも裕福な者が住むこの地域は早くから水路が整備されていたためだろう。
洗濯室は広く、貴族が住んでいたころは使用人がいて、洗濯も数人で行っていたに違いない。
先に手洗いに来ていたライとルスティ親子の他に、ラッシもいる。
ラッシは友人の牧場で時折働くことはあるが、普段は主夫をしていた。医師として忙しいトゥーランに代わって家事のほとんどを彼がこなしているのだ。
ライや彼の家族の助けを借りて家の修繕をするというロカに、ラッシも時間のある時は手伝うと言ってくれ、ほぼ毎日顔を出してくれる。
ロカが部屋に入ったときすでに手を洗い終えていたらしい。
「ニアンとイチャイチャしてきた割には浮かない顔だね」
ラッシのその台詞に水で濡れた顔を拭いつつライが振り返り、ルスティも首にあった綿布を抜き取りつつ笑った。
「あー、ロカのそれ、ただの欲求不満だよ」
「欲求不満?」
「こいつニアンとまだだから。な」
手洗いのため井戸に近づくロカはルスティをジロと睨む。
「表情を読むな」
「え?読んだのはラッシじゃん。俺は事実を言ったまでだし。ていうか、おまえほとんど顔に出ないだろ。よかったな、ニアンに不満を悟られなくて」
「顔に出ないならどうしてわかる」
「雰囲気?こう「やりたくて爆発する」みたいな気配が出てんだよ」
あはは、と笑いながらルスティは水を汲み上げる手押しポンプを目で示した。動かせということらしい。
ロカがハンドルを握って上下に動かすと吐出口から水が噴き出す。
話を聞いていたライが綿布を肩にひっかけ、からかい交じりに言ってくる。
「おー、おまえらまだなのか。ロカ、我慢は体に悪いぞ。それとも若いのにもう枯れた――」
「ゲンロクで邪魔してくれたのは誰だ」
言葉尻に重ねて不満を漏らすロカだ。するとルスティが食いついてきた。
「え?なに?いいとこまでいったの、おまえら!?」
「……………………」
「なんで黙るんだよ」
代わりにラッシが「ライが邪魔したんだよ」と言って苦笑を浮かべた。
「は?父さんが?どういうこと?そこんとこ詳しく」
「僕も直接見たわけじゃないんだ。部屋にいたからね。ただ、ロカとニアンのいる部屋の扉をライが何度も叩いてね。あれじゃあ無理だっただろうね」
気の毒そうなラッシの視線が余計にロカを無口にさせた。ライが頭をかきつつ呆れたような表情を見せる。
「大都にニアンを連れてくるまでに機会はあっただろうが。おまえどれだけヘタレなんだ。こういうのは雰囲気つくってだなぁ、で、ここぞってとこで押し倒すもんだろが」
「押しのけて逃げるのにどうしろと?」
最近じゃキスをするだけで逃げる。進展どころか後退している気がするのは気のせいじゃないはずだ。
こっちはニアンの肌の香り、吐息の熱さだけで簡単に欲情するというのに。
自分でもどうかしていると思うがどうしようもなく触れたくなるのだ。近頃は己を制御できないくらい。
ただ声を聞くだけで、視線が合うだけで、笑顔を向けられるだけで、気がつけば彼女に手を出している。ロカは長い吐息を漏らした。
「あー、逃げるんじゃなぁ」
「最初に嫌な思いをしたら後々尾を引くだろうしね」
「ふーん?ニアン、おまえのこと嫌がってるっけ?照れてるだけじゃないの、あれ。もうちょっと押せば案外いけると思うけど」
「それはない。強引にいって一度ニアンに逃げ回られたからな」
「え?いつ」
「俺を狙う傭兵に捕まってニアンが怪我をしたあとだ」
告白してくるニアンが可愛くて、むりやり何度もキスをした結果、目も合わせてくれず姿を見せるだけで警戒されたのだ。
「あの時はまだおまえらつきあってないじゃん。いまと関係は違うだろ。てかさぁ、やっぱあのときニアンにエロいことしてたんだな。嘘つき野郎が」
「していない」
「強情だなぁ、押し倒して無理やりしようとしたんじゃないの?そこはさ、キスでやめとくべきだったって。がっつくと女の子は嫌がるもんだから」
「…………………」
「だからなんで黙るんだよ?」
「…………………」
「……え?まさかキスだけ?は?マジで?それで、おまえあんなに避けられてたの!?」
ロカが無言を貫くと他の三人は顔を見合わせた。
「えーと、ニアンは幾つだったか」
「確かロカより二つ下。カーナと同い年だよ、ね?ルスティ」
「うん」
「カーナと?あぁ~……あ!じゃあ、あれだ。ニアンはちょっと晩熟なんだな。箱入りのお嬢さまだったから――ん?そもそもあの子はそういうことを知ってるのか?」
「貴族なら逆に教えられるそうだよ。いくら箱入りでもさすがに知らないと困るってことらしい。ディオの受け売りだけどね。奥さんがそうだったんだってさ」
「へえー、そういうもん?じゃあどうしてロカからあんなに逃げたんだろうなぁ」
ライが首を傾げるとルスティが決まってる、というような顔になった。
「そんなの、知識があっても実際やってみるまでどんなものかわからなかったんじゃないの?しかもロカは発情期の猛獣みたいにがっついてたわけだろ」
がっついた猛獣?
えらい言われようだな。
ラッシがなるほど、とポンと手を打つ。
「金階級の傭兵が相手じゃ敵わないって思うだろうし、怖さも倍増だね」
「えぇ?じゃあラッシの言った最初が肝心ってのはもう無理じゃないか」
初めから駄目だったとライに言われ言葉にならないロカだ。
ライが首を振りつつロカの脇を通り過ぎる。
ラッシもポンポンポンポンと、必要以上に肩を叩いて去っていった。
二人とも言葉はなかったのに、「若いな」と言われているようでイラっとする。
残ったルスティがロカの苛立ちを見抜いたのか、笑いながら手押しポンプのハンドルを握った。
「ほら、ロカ。手を洗うんだろ」
さっきまでロカをからかっていたはずが、もうニアンとのことに触れてこない。これ以上は本気で怒るとわかっているからだ。
子どものころからの付き合いだからか扱い方を心得られている。
ジャ、と排出口から出てくる水にロカは手を伸ばした。地下に埋め込んだ石の樋を通っているため水はさほど冷たくない。
手をこすり合わせて汚れを落とし、ついでに泥のついていたらしい顔を洗う。さっぱりしてロカが綿布で顔をぬぐっていると、ルスティも顔を洗いたいと言いだし、再び立ち位置を交代する。
ばしゃばしゃと派手に飛沫を飛ばしながら顔を洗ったルスティが顔を上げた。
「そういやおまえ、ロスロイに戻ってからずっとこの家に入り浸ってるけど、ロスロイ庁へ行かなくていいのか?」
「どうしてだ」
ボタボタと雫を流す顔を拭っていたルスティがプハと息を吸い込んだ。
「ほら、副ロスロイ長の護衛になるとかって話」
「なるなんて言っていない」
「いやそうなんだけど。でもさー、大都長の推薦書を見た副ロスロイ長がおまえに会いたいって言ってんだろ?それをおまえが拒否ってるからヘリングが困ってるらしいじゃん。おまえを紹介しなきゃ大都に帰れないって」
「帰ればいい。そこまであのタヌキの命令に従うヘリングの忠義心が俺にはわからん。で、おまえはヘリングに説得役を頼まれたのか?」
「いや、父さん。俺とおまえが大親友だから俺の言うことなら聞いてくれるかもってさ」
「誰が大親友だ」
「冷たいなー、兄弟だろ」とルスティが軽口をたたく。
「てかさ、おまえ仕事探すつもりだったんだし、護衛ならその腕を活かせるんじゃないの?嫌いな奴の紹介だろうとそこは割り切れよ」
こう言ったルスティの口調がまじめなものに変わっていた。それだけ本気ということだ。
交わる眼差しを先にそらしたのはロカだった。
「護衛をするにしても隠居した金持ちのじーさんとかでいい」
「は?日和ったのか?」
「護衛対象はロスロイ長代理だ。このまま現ロスロイ長が退いたら後釜におさまるのは副ロスロイ長が最有力らしい」
「知ってる。それが?」
「王都、大都ときてロスロイはこの国の主要な町の一つだ。そこの長ともなれば仕事も多く、人前に出ることだって増える。他の町や国へ出向くこともあるだろう」
「あーまぁそうだろうな。なに?仕事内容が不満こと?でもその分給料はいいんじゃないか?」
「金より余暇が欲しい。だからやらない」
「そんな理由?ああでもおまえ、家を買うために傭兵業に打ち込んでたもんなぁ。それこそ馬車馬のごとく……あれで働くのが嫌になったのか」
「働くのは嫌じゃない。が、人を殺して稼ぐのはもういい」
「護衛は対象者を守るんであって傭兵とは違うだろ。敵が来たら傷つける場合だってあるだろうけど」
「だから金や仕事内容の話じゃない。俺はニアンとの時間を優先したいと言ってるんだ」
こう言った瞬間、ルスティが大きく目を見開いた。