帰り道
ゲンロクに入るときは歓迎されていなかったというのに、帰りは町長やリクディムとその一族が見送りに来た。
ただラテラは脅しが効きすぎたのか、父親の陰に隠れるようにして明らかにロカを避けていた。
ポロは約束通り家から自作品をいくつか仕事場へ持ってきてくれていた。そこから日常生活に必要な刃物類を買う。ポロの親方は見送りを許してくれたが、後日ロスロイに鍋を持っていくからいいということで仕事場で別れた。
やはり見かけによらず真面目に仕事に打ち込んでいる。
町に入るときに預けた剣はそれぞれちゃんと持ち主に戻ってきた。
捕まえた傭兵は後日王都へ移送してそこで裁いてもらうと聞いた。そのときに現状を訴えれば、実害が出ているので国も保護をしてくれるだろうとヘリングがアドバイスしていたので、今後は町の人たちにも笑顔が戻るはずだ。
「あー、やっと家に帰れる」
大岩の町を後にして馬車と並んで馬を歩かせているライが欠伸を漏らした。
昨夜の酒は抜けているようだがどこかだらけた表情をしている。彼の馬には町長からもらったゲンロク酒の酒瓶が括り付けてあった。
再び大口を開けて欠伸をしたライは吹き抜けた風に「寒っ」と首をすくませる。皆の吐く息が白く煙り空気に溶けていた。灰で色をつけたような雲が空を覆っている。
「こりゃそろそろ雪が降るかもしれないね」
首に巻いた毛糸の襟巻を引き上げトゥーランが空を見上げる。ロカの横ではニアンが荷台を探るように身を乗り出し、膝掛けを手にライへ声をかけた。
「ライさん、寒いならこれを巻いたらどうですか?」
「お、ニアン、優しいなぁ。でも俺ぁ体温が高いから大丈夫だ。それはおまえが羽織っておくといい」
「わたしは毛布を膝にかけていますから」
「じゃあそれ、僕が借りようかな。ライとは逆で体温が低めなんだよ」
馬を寄せてきたラッシにニアンが膝掛けを手渡した。外套の合わせを解いて幅広の膝掛けを背中から羽織ったラッシは、またきっちりを釦をかける。
「はぁーあったかい。嫌だねぇ、僕は冬が嫌いなんだよ。たまにロスロイでも雪が積もるだろう。家の前の雪かきなんて苦行でしかない」
「ほとんどあたしがやってるだろ」
「君は寒さに強いから。そのかわり夏はダメだよね」
「流れる汗が不快でしかないね」
「俺は冬も夏も好きだぞ。逆に春は駄目だなー。眠くて」
「言えている。が、花が咲きだして目に映る景色が一番美しい時期だと思う」
ライとヘリングが会話に加わって、それを聞いていたニアンがロカの隣でクスリと笑った。目を向けると彼女が内緒話するように口の横に手をやった。
「ヘリングさんは意外にロマンチストですね」
「あーそういや昔からよく花や木を見ていたな」
「ロカは?」
「ん?」
「ロカは好きな季節と苦手な季節がありますか?」
「そうだな、わりと春が好きかもな」
「ロカもお花に興味が?」
「いや、うまい食い物が出回りだすだろ。逆に冬は保存食が増えるから」
「食べ物基準なんですか。お肉があればいいのかと思っていましたが意外に食いしん坊ですね。あ、では新鮮なお野菜ならロカは食べますか?」
「だから俺は肉しか食べないんじゃなくて――」
じーとこちらを見つめるニアンの目が疑っている。その視線を受けてロカは、う、と言葉に詰まった。
確かにこの旅でも野菜はあまり食べていないような……。
「あー……新鮮な野菜はうまいってことぐらい知ってる」
「新鮮な野菜……とれたて――これはもうお家に菜園を作るしかありませんね。ロスロイに戻ったらお家を見に行きたいです。お庭があるか確認しましょう」
「庭はある。……が荒れ放題だぞ。俺が子どものときから幽霊屋敷って言われてるくらいだし――あ」
しまったと口を閉ざしたが後の祭りだ。家を買ったことはニアンにはすぐに話したが、どんな噂が立っているかは黙っていたのに。
「幽霊屋敷?」
サァとニアンの顔が青ざめたように見えた。伯爵家の屋敷に住んでいたというなら、きっと広々として夜は不気味だっただろうに、どうしてこの手の話に弱いのだろう。
「で、ででで出るんですか?だから安く売ってくれたんですか?」
「違う。ずっと手つかずで放ってあるし、家が傷んでいるからだ」
「だって幽霊屋敷って呼ばれてるんですよね」
「そこで実際に見たやつはいない。草木が生い茂って不気味に見えてるだけだ。手を入れてきれいにすればいいだけの話だろう」
言い聞かせるもニアンの頭にはすっかり、幽霊屋敷という呼び名が刷り込まれてしまったようだ。
どうしたものかとロカが頭を悩ませていると、アハハとライの笑い声が聞こえた。
「ロカに聞いていた通りニアンは怖がりだな。幽霊なんてもんいるわけないだろうが。それとも見たことがあるのか?」
「ないですけど。でもお爺様のお屋敷でときどき変な物音とか不気味な声がして、すごく怖くて夜は自室を出ないようにしてました」
「変な物音と声?そりゃあネズミが食い物を探してるとか風の音とかだろう。あ、それとも爺さんが誰かと――」
「黙りな!」
トゥーランに睨まれてライはすごすごと引き下がる。
貴族の屋敷に住んでいたから慣れていると思っていたが、怖い思いをすれば逆にニアンのようになるらしい。怖がりになったのはそういうことだったか、とロカは納得した。
「僕はあの家を怖いと思ったことはないけどね。ヘリングはあるかい?」
ラッシに質問されたヘリングが首を振った。
「昔、何度か敷地内に忍び込んだことがあるが静かでよかった。昼間本を読むのに適した木陰がある」
「おまえときどき俺んちから消えたことがあったけどあそこに行ってたのか」
ライが言うのを受けてヘリングは笑う。
「ルスティとカーナの相手に疲れた時の逃げ場所だった。あいつらだけならともかく近所の子どもまで押し寄せてくるから」
「一緒に遊んでくれる奴がいればそりゃ子どもも集まってくるだろ。いやー、俺とレリアはずいぶんと助かったわ」
二人の話を聞いていたロカは、ニアンにくい、と腕を引っ張られた。
「ロカもヘリングさんに遊んでもらっていたのですか?」
「ん?いや。たぶんこれはルスティたちが小さかった頃の話だろう。俺と出会う前じゃないか?」
「そうなんですか」
心なしかニアンががっかりしているように見えてロカは首を傾げた。するとトゥーランがからかうように言ってくる。
「ニアンはロカの子どものころの話を聞きたかったんじゃないのかい?」
隣でニアンが図星をさされたというように視線を泳がせた。
「ご家族を亡くされてからライさんたちと出会い、傭兵になったと伺っています。けれど、どんなことを感じてどんなことが楽しくてどんなことが好きだったかって、そういうお話をロカとしてみたくて。わたしのことも話したくて……これから少しずつでも」
腕をつかむ手が離れるのを追ってロカはニアンの手を握った。
「そうだな」
記憶があいまいでも、確かに幸せだと感じる時間があったのだ。
「昔のことはあまり覚えていないが消えたわけじゃない。話そうか。これから俺たちが過ごす時間は長いしな」
ぱぁとニアンの顔がほころんだ。
「はい」
嬉しそうな笑顔にロカも穏やかな気持ちになった。ニアンといると戦場で生きてきた自分がどうしようもなく嫌になる反面、すべてが浄化されていくように思える。
「うわ、いい笑顔。なにそれ、おじさんもやられる」
「トゥーラン、僕たちの息子の嫁が可愛いすぎる」
「ロカの嫁?違うね。ニアンはあたしの娘だ。ロカになんぞやらん」
「父親目線だよ、それ」
中年たちの会話があまりに馬鹿々々しくてロカは無視を決め込んだ。隣でニアンがくすくすと楽しそうに笑う。
ヘリングだけがロカの味方なのか口パクで「苦労するな」と伝えてきた。
まったくだ。
ロカは馬を操る手綱を握り直し前を見た。ロスロイの町が見え始めていた。