慟哭
アン地方に入ってレアルほどではないが大きな町で一晩明かし、次の日の昼には目的の町、ジュビリーに辿り着いた。
「アルセナール?ああ、そりゃあこの先にある家だね。緩い坂を上ったところにある立派な家だからすぐにわかるさ」
買い物帰りらしい子連れの女を見つけ、家に入る前に呼び止めてニアンの両親の家を尋ねると、場所はすぐにわかった。
女の手を握る子どもがロカを見上げてくるのでそちらを向くと、おびえたように母親の後ろに隠れてしまう。そして今度はニアンを見上げ、彼女に笑顔を返されると、パッと表情を明るくして同じように笑った。
それを見ていた母親があっはっはと大きな声で笑った。ふくよかな体躯に合う明るい笑い声だ。
「うちの子、ちびのくせに女好きでね。特に若い女の子には目がないんだよ。逆に父親と祖父以外の男は苦手なのさ。あたしゃあんたみたいな年下の男、大好きなんだけどね」
おどけてウィンクしてみせる女にロカはどうもとだけ返し歩き出す。
つれないねぇ、と言う女にニアンが礼を言って追いかけてくる。
「素敵な奥さんでしたね」
「肝のすわった母親だな、あれは」
「ロカがたじろいでいるくらいですもんね」
ふふとニアンが笑う。
レアルの町で一方的に怒ったニアンだったが、一晩寝て冷静になったのか不機嫌な態度をとることはなかった。何事もなかったように話しかけてきたため、ロカもいつも通り接するうち、ニアンにあった普通にしようとする緊張が消えて、今ではすっかり元通りだ。
「たじろいでいるように見えたか?」
「なんとなくです」
もともとあまり表情に変化はないがこの仕事をするうち、感情を表に出さないことに慣れてしまった。
顔色を読まれるなんてことはないと思っていたのに。
「ああいう人種はよくわからない迫力があるだろ。何かを吸い取られているように、あとからドッと疲れる」
「本当に苦手なんですね」
声をあげて笑うニアンが少しあって気づいたように前を見た。
視線を追ったロカは坂の上にある大きな家に目を向ける。先ほどの女は立派な家といったが、これはもう屋敷と呼んでもいいかもしれない。
「でかいな。そういや十二まであそこに住んでたんだろ?家の場所を尋ねるなんて、あれを忘れるか?」
「十二まで両親と住んでいたのは別の町でもっと小さなお家です。祖父がわたしに里心がつかないように別の地に移らせたと言っていました。この場所のことは祖父の目を盗んで書斎を探って見つけたんです」
「あんたの父親はどうして伯爵になるのを拒んだんだ?普通は喜ぶもんじゃないか」
「体が弱いから伯爵としての仕事や責務を負えないということでした。それで娘であるわたしに任せるしかない、すまないと、そう言われてきました」
話を終えたニアンが意を決したようにぎゅと両手を握った。
「行きましょう」
歩き出すニアンの後にロカは続く。
坂の途中から他の民家がなくなり、次第に家全体が見えてきた。石塀で囲まれ門扉の向こうに庭が広がっていた。
石畳が家の前に続き箱馬車が止まっている。御者台に人がいることから家人はこれから出かけるのだろう。
ロカたちが門の前についたとき、家の扉が開いて子どもが飛び出してきた。
ロカたちが道を尋ねた女の連れた子どもと同じくらいの女の子と、それより少し幼い男の子だった。
「二人とも待ちなさい」
「走っては転んでしまうわよ」
そのあとに続くのは両親だろう。小さな子ども親にしては少し老けている。遅くに生まれた子どものようだ。
「おとうしゃま、おかあしゃま、早く。おじいしゃまとおばあしゃまのとこ遅くなるでしょ」
「でちょ~~~」
姉の舌足らずな言葉を弟が真似ている。
「おい、家を間違えているんじゃないか?」
ロカがニアンに尋ねたのと、彼女が門の鉄格子を握ったのがほぼ同時だった。
「お父様、お母様っ」
鍵のかかった門扉をニアンがゆする。音に庭にいた全員がこちらを向いた。
「ニアンです。お父様、お母様。ニアンです!」
声に子どもたちが先に反応した。
「お客しゃま~」
「ま~」
走り出すのを、
「行っては駄目!」
と、母親が駆け寄って抱きしめる。父親である男も青ざめた様子で妻と子を庇うように引き寄せた。
「お父様、お母様?わたし、ニアンです。嘘じゃありません。もっと近くに行けば――」
「帰りなさいっ!」
ニアンの言葉を遮って父親が叫ぶように言った。
「どうしてここが……。それよりも父はおまえがここにいることを知っているのか!?ああ、なんてことだ」
「お父様?どうしたのですか?」
「おまえは父にやった子だ。おまえがここに来ては手に入れた自由が――やっと父から解放されたというのにっ」
「自由ってどういうことですか?お父様、ここを開けてください。話を――」
「おまえなどわたしの子ではない!父がほしがった従順なる操り人形だ。そうなるように育てた。十二年も犠牲にしてな。なのにどうして自由に動いているっ。まさか逃げてきたんじゃないだろうなっ!」
絶望したように顔を覆っていた男は、手を振って更なる大声を上げた。
「帰ってくれ!でなければわたしたちの幸せが壊される。わたしがまたあの牢獄のような屋敷に戻ったらこの子たちはどうなる?こんなに可愛いこの子たちの笑顔を曇らせる気か?おまえがあそこにいさえすれば皆が幸せになれるんだ。だから帰ってくれ……帰って……帰れっ!!」
男の怒声に幼子の二人が泣き出した。それを母親があやし弟を抱き上げ姉の手を引く。
三人が逃げるように家に入っていくのを夫である男が追う。
「ああぁぁぁ、こんなことがあの父に知れたら――なにをしている。あそこにいる二人を追い払え」
主に命令された御者の男が馬車を飛び降りこちらに走ってくる。
「お父様、待ってください。お母様、どうして何も言ってくれないのですか!?」
ニアンの必死な呼びかけにも二人は振り返らない。姿が扉の中へ消えた。
「待って!お父様。お母様」
がしゃがしゃと門をつかんで二人を呼ぶニアンの肩をロカはつかんだ。
「無駄だ。行くぞ」
「やっ、お父様!お母様!待って、待って!!」
ロカはニアンの手を門扉から引きはがし、無理矢理に引っ張っていく。
「ロカ、離してくださいっ、離して!何かの間違いです。お父様は嘘をおっしゃっているんです。わたしがお爺様のもとを逃げてきたと思って、わざときつく当たって家を継ぐ覚悟を持たせようと……でもお爺様がもういないと告げればきっと――」
「そうすればまた家族として暮らせると本気で思っているのかっ!?」
声をかき消すように怒鳴るとニアンの体がビクリと震えた。
見上げてくる赤茶色の双眸がこれ以上ないくらいに見開かれている。
「あれを見て本当にそう思うのか?」
顔を覗き込むようにして、今度は言い聞かせるようにロカは語りかけた。
ニアンの目に見る間に涙が浮かんでいく。
「~~~~~~~~~~~うーーー」
歯を食いしばりロカの服を握りしめてくる。
肩にニアンの頭を押し付けると、服を握る力が強くなった。
慟哭に、ロカは胸を貸すしかできなかった。