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Dog tag  作者: 七緒湖李
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仲直りをさせに

 月明かりとところどころにある篝火を頼りに、宿のある大岩までをロカはゆっくりと歩く。吐く息が白く煙り空気にとけているのを見るともなく見つめた。

 あとをついてくるニアンの嗚咽は次第に鼻をすする音に変わって、静かになるころ宿に着いた。

 宿の受付で足を温めるための湯をもらえると聞いてすぐに欲しいと頼んだ。部屋に入って外套を脱ぎ、ロカは最初に選んだ右側のベッドにニアンを座らせる。

 沈黙が長く続いた。ニアンは項垂れたまま話し出す気配はない。

 袖からのぞく左手首にあった指の痕は消えていたが、嫌がるニアンに力ずくでいうことをきかせようとしたという罪悪感は消えない。

「ニア――」

「ご要望の湯をお持ちしましたぁ~」

 ノックとともに大きな声が扉の向こうからした。出鼻を挫かれロカは吐息を漏らしつつ部屋の扉を開けた。

 笑顔で立っていたのは底の深い桶を抱えたポロだった。桶からはもうもうと湯気が立ち上っている。

「どうしてここにいる。酒の席にいただろう」

「や、なんか朝まで騒ぎそうで……俺、明日も仕事あるしほどほどでやめとかねぇとな。で、おまえに伝えたいことがあって訪ねてきたら、ちょうど湯を運ぶとこだっつうから俺がかわりに持ってきた。ほら、これな」

 と、桶を押し付けられる。

「今日、俺んちに行くのは結局流れただろ」

「あ……そういえば」

「明日ロスロイに帰るってことだしその前に仕事場に寄ってくれよ。自信作選んで持って行くからよ。ただ俺、鍋はあんまつくってねぇんだ。どのくらいの大きさがいいか言ってくれたら、あとでロスロイまで持ってってやるよ」

「いや、そこまでしてもらうのは……」

「俺とおまえの仲だろ、遠慮すんなって」

 ばんばんと分厚い手で腕を叩かれたせいで桶が揺れ、湯が少しこぼれた。悪い悪いと少しも反省してない様子でポロが笑う。

「それからな、早くニアンと仲直りしろよ。女を泣かせるのは男の恥って俺の母ちゃんの口癖でな。女泣かせな奴が色男だっつう父ちゃんの教えと正反対で困りもんだったけども」

「なんの話だ」

「まぁ聞いてくれよ。だから俺は考えたんだ」

 交わっていた視線の先でポロから笑みが消えた。

「いろんな女を渡り歩いて遊ぶなら色男でいりゃあいいけど、一人に決めたんなら泣かせんな」

「…………」

「――っての、どうよ?」

 こう言ったときにはポロの顔に笑みが戻っていた。

 そのまま彼は顔をずらして部屋の中を覗き込む。

「ニアン、おまえすげぇな」

「え?何がですか?」

 突然話しかけられたのことに驚いたニアンの声が上ずっている。

「んー、だってよ、ロカは俺が師匠としたいくらい惚れ込んだ奴だぞ。強ぇし些細なことには動じない。なのにニアンのことになるとすぐに怒るし、独占欲丸出しで威嚇するし、そこらにいるただの男になるだろ」

「おい、黙れ」

 まさかそこまで余裕のない男になっていたのか。

 遮るロカにポロがニヤァと笑った。

「なんだ?格好つかねぇって?でも俺、いまのおまえも嫌いじゃねぇぞ。なんか身近に感じられるし。俺、ロカが本気で困ってるところなんて初めて見たわ」

 そう言ったポロが再び部屋を覗いて「だからな」とニアンに語りかける。

「ニアン、自信持て。ロカを手玉にとれるのはれるのはおまえくらいなんだからよ」

 イヒと笑いかけられニアンがぎこちなく笑う。

「そんじゃ、俺はもう行くな」

 手をあげてポロが去っていく。もしかして……。

(あいつなりに仲直りさせにきたのか?)

 そんな心配りができる男だとは思わなかった。

 ロカは桶をもってニアンに近づくと足元に置いた。荷袋から綿布を取り出して湯に浸し、軽く絞るとニアンに差し出す。

「これで顔を拭くといい」

 綿布を受け取ったニアンが瞼を抑えた瞬間、ふ、と緊張が解れたような吐息が漏らした。それからしばらく顔を押さえていたが、突然なにを思ったのかごしごしと乱暴に顔面を拭き始める。

「おい、ニアン?痛くないのか?」

 声をかけるとニアンの手が止まる。そのまま顔を上げるかと思ったが動かなくなった。

「絞りなおすか?」

 沈黙に間が持たなくてロカが尋ねると、数秒あって綿布が差し出された。こちらを無視しているわけではないらしい。床に膝をついたロカは綿布を丁寧に濯いで、先ほどと同じくらいの力加減で水気を切った。

「湯で足を温めたらどうだ?」

「ロカは?」

 綿布を手渡しながら提案すると、やっとニアンから返答があった。

「俺はあとでいい……ぅぶ」

 返事をしたらいきなり顔に綿布が押し付けられた。

「ニアン、何を……っつ」

 顔の拭き方が容赦なくて逃げてもしつこく追いかけてくる。

「ちょっと待て、そこは耳だ――痛……そんな力任せに……うぐ」

 顔の次に耳殻を千切り取られるかと思うほどこすられ、そのあとは唇を集中的に拭われた。唇の皮が剥けそうだとニアンの手首をつかんで、しかしロカは慌てて手を放す。

「すまない。また手を……痛めていないか?」

「ラテラさんがロカの二番目ってどういうことですか?」

 ニアンの声が固い。

 こちらの質問を無視して尋ねられるのが、余計に彼女の怒りを表しているようだ。

「あれはラテラが勝手に言い出したことだ。俺は了承していない」

「じゃあキスは?」

「キスも向こうがいきなりしてきた。だがニアンを不快にさせたと思う。悪かった」

 返事はなく仏頂面のニアンがまた綿布をロカの唇に押し当てた。ごしごしとまるで頑固な汚れを落とすようだ。

 そのときになってやっと、ニアンはラテラの触れた部分を拭っているのだと気づいた。







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