タヌキの高笑い
店を去ってニアンと歩くロカから、はぁ、と溜息が漏れた。
作り話は見抜かれていたが、おかしな誤解をされていた。
そういえばニアンの父親が大都庁でニアンの駆け落ち話をでっちあげて、伯爵の座を放棄したように話したそうだが。
傭兵あがりのロカとお嬢様育ちのニアンでは、どうあっても立ち居振る舞いに差がある。雰囲気の違いから身分違いの恋と思われてしまうのだろう。
「にしても……やり手なのかそうじゃないのかわからん」
「ロカ?何の話ですか?」
「ああ、さっきの宝石店の女店員がどういう人間なのかと思ったんだ」
「きれいな方でしたね。帰るときすごーく急接近してましたけどどうしてですか?」
ニアンの声がなにやら刺々しい。見下ろせばむくれた顔がこっちを見上げていた。
「何を怒っている?」
「ロカがさっきの女性と内緒話するからです。二人だけでこそこそされたら気になるじゃないですか」
まさかやきもちか。
気を遣ってばかりのニアンが自分の前では本音を見せ始めているということだ。
「あれは俺とニアンが駆け落ちしたと思い込んでいて応援されていたんだ。ダイヤに破格の値段がついたのも彼女の計らいがあったからで……――ああそうか、応援か」
駆け落ちが成功するようにとはもしかして、逃げたお嬢様と従者なら金もないだろうと、購入価格に色をつけてくれたのか。
「駆け落ち?応援?何の話ですか?」
疑問だらけの顔をしてニアンが首を傾げた。
「とりあえずあの店ではニアンはお嬢様らしく振舞ってくれればいいってことだ」
「ロカとあの女性との浮気のお話ではありませんでしたか?」
「女と話をしただけで浮気と言われてもな。素直に妬いたと言われるほうがいい」
「じゃあ妬きました」
返事に、く、っとロカは笑いが込み上げた。
ニアンといると笑うことが増える。それが嫌じゃない。むしろ楽しんでいる自分がいた。
露天市場が近づいて人が増えてきたため、ロカは彼女の手を握る。
「ニアンが可愛すぎて俺はおかしくなりそうです」
チラと様子を伺うと彼女は表情筋がどうなった、というような変顔になっていた。
「ぶっさいくだぞ」
「ロカが急に照れるようなことを言うからです。おまけに手まで繋いでくるから、ニヤけないように必死で……ん?あれ?でもいまの、敬語でしたか?」
「ですね」
探るような視線から逃れるように明後日の方向を見つめて返事をすると、すぐにニアンが怒ったような声を上げた。
「!またからかいましたねっ」
もうもう、と空いた方の手でわき腹を殴ってくる。案外ニアンは暴力的だ。
土産の入った荷袋を肩にかけなおし、ニアンの拳を受け止めながらロカは言う。
「本気で言ったら照れるだろう」
「確かに本気で言われても照れますけど、冗談より全然――」
「俺が」
「へ?な……え?照れるって誰が?」
「……俺」
ロカがそう言った瞬間、瞳が零れ落ちるのではというくらいニアンの目が見開かれた。
「ロカが!?照れるんですか!?嘘、見たいっ」
「だからニアンは俺をなんだと――軟派男のようなことをすらすら言えてたまるか」
「だっていつも平気そうな顔をして、こっちが照れるようなことを言ってきたじゃないですか」
「そうか?」
「そうです。いちゃいちゃしてても焦っているのはわたしばっかりだし」
「ああ、それは二人きりのときだからだな。ニアンに触れたらいろいろしたくなって照れている暇なんかない」
「つまりロカは人前だといちゃいちゃするのが照れるんですね――じゃあ!」
繋いだ手をニアンに引っ張られてロカの体が斜めに傾いた。
風が動いてニアンの香りが近づいた。頬にニアンの唇が触れて一瞬で離れる。
「これでどうだ」
こちらを見つめてくるニアンの頬が見る間に赤く染まっていく。
キスしたほうが照れるのはどういうわけだ。
「照れました……はは、やられた」
日増しに可愛さが増していくのは気のせいじゃないはずだ。
おどおどと臆病なのがニアンだと勘違いしていた。
本当の彼女はこんなにも表情豊かで感情も豊かであったのだ。
(もうこれ、どうしようもないくらい可愛いんだが)
我慢しても笑い声が漏れてしまう。
ロカがニアンを伺うと、彼女は「笑いすぎです」とぷくと頬を膨らませていた。だが数秒もするとつられたように明るく笑った。
◇ ◆ ◇
ダイヤのピアスが金に変わり明日はロスロイへ戻るという日。
「喜べ、ロカ。おまえとニアンの新居が決まった」
ロカが明日に備え早めに休もうかと思っていた矢先、部屋にライが訪れこう言った。
「は?」
ロカはベッドに片膝を立てて座っていたが、思わず身を乗り出してしまう。ライはベッド近くのテーブル席に背凭れを前にして座っている。
「おまえたちが一緒になって暮らす家だ。数年は二人かもしれんが将来家族が増えるだろう。なら部屋数もそれなりにあって、で、ラッシの家のように家庭菜園ができる庭もあると食費が浮くだろ?あとは市場に近くて、治安がいい地域も絶対だな。それから――」
「待ってくれ、いま家が決まったと聞こえた」
ライがどんどんと話を進めていくためロカは待ったをかけた。
「おお、決まったぞ。一から建てるんじゃないけどな。俺んちとラッシの家からも近くてどちらにも歩いていける距離だ。これならニアンも寂しくないだろう?ま、おまえが働くことになったロスロイ庁が一番近いんだけどな」
「俺が働く?」
ロスロイ庁で?
「いったい何の話だ?」
「ヘリングの上司に気に入られたんだろう?その紹介でロスロイの要人護衛をすることになったそうじゃないか」
大都長の高笑いが聞こえた気がする。
あのくそタヌキめ。
「それは初耳だ。ライは誰にその話を聞いた」
一気に怒りのオーラを発したロカにライから笑顔が消えた。
「ヘ、ヘリング」
と言って逃げ腰になる。
「話せ。内容、詳しく」
「片言?え、なに?逆に怖い」
「いいから内容は?」
低くなったロカの声音にライはまずいことを言ったという顔で答えた。
「ロカは来月からロスロイ庁で要人……副ロスロイ長の警護を始めるって。ほら、現ロスロイ長ってのが高齢で春あたりから体調を崩したろ。今は療養中で仕事のほとんどは副ロスロイ長が代行してる」
そう言われてもしばらくロスロイを離れていたためロカは知らない。
眉を寄せるとライが言い直した。
「――してるんだ。おまえがロスロイにいなかったのはお前の勝手だっつの。で、副ロスロイ長の護衛を増やしたほうがいいって話になってるらしいんだが……なに?おまえ本当にヘリングから聞いていないのか?」
「ああ」
ロカがうなずくとライはおかしいなあという顔で、背凭れに預けた両腕に顎を乗せた。