一番で最大の理由
「お時間を割いていただきありがとうございました。跡継ぎとしての役割を放棄して逃げたわたしは罰を受けなければいけませんか?」
ロカとヘリングが同時にニアンを見て、そして大都長へ視線を移すのがわかった。
「こいつは逃げるしかない状況だった」
これまで黙っていたロカがこう言うのは庇ってくれているからだ。
しかし大都長の答えは冷たいものだった。
「仮にそうだとしてどこかの役所へ行って保護を求めればよかった。君が護衛していたと聞いたが、そのかいあってロスロイまで無事に来られたのだ。ロスロイ庁になぜ行かなかった」
大都長をロカが睨みつける。ニアンは慌てて二人の会話を遮った。
「わたしがアルセナール家を捨てたかったからです」
大都長には言い訳や同情を誘う話をしても無駄だと思った。
それらを鑑みてはくれるだろうけれど、それよりもまず自分のした行いを隠さず述べなければ、聞く耳を持ってくれない人のように感じる。
「わたしは祖父を怖いと思っていました。逆らえばそれ以上の力で押さえつけてくるような人でした。いつしか逆らうこともできなくなりました。でも本当はずっと逃げ出したくて、だから機会を得られたとき迷わず逃げました。自由を望みました。だから帰りたいと思えなかったのです。そしてそれは今も変わりません」
「それも家を捨てた理由だろうが、「彼と一緒になりたい」というのが抜けている」
目でロカを示した大都長の指摘にニアンはぽかんとし、次いで頬が熱くなっていくのを感じた。
「……っぁ……あの」
「それこそが君とって一番の、そして最大の理由だろう。貴族の娘が惚れた男と一緒になりたくて家出をするなんてことは昔からよくある話だ。わしも暇ではないしそんなことにいちいち関与せん」
「え、と、つまり――?」
「わしが今日、君に会ったのは確認のためだ」
「確認?」
「もし君が父親や祖父のような人物ならここで叩いておこうと思った――のだが、その心配は無用だったようだ。君は弱い。弱くて小さい」
弱い、と言われてニアンはぐ、と息を止めた。祖父にもずっと言われていた。
おまえは弱く何の力もない。
無能者はただ従っていればいいと――。
「だから爵位より恋人を選んで正解だったのではないか?領地を治めるより幸せな家庭を作ることのほうが向いている」
「え?」
てっきり見下されたものと思っていたが、話が予想外の方向を向いている。
(なにこれ、どういう展開?)
きょとんとするニアンはなんと返事をしたものかわからなくなった。
大都長は気にすることもなくゆったりと肘掛けに腕を預ける。
「わしから一つ言っておくことがある。この先、アルセナールの名を出して君の父のように騒ぎ立てないでもらいたい。そこを誓えるなら帰ってもらってけっこうだ」
「あ、はい。誓います」
「ならば話は終わりだ。ヘリング、送ってやれ」
「はい」とヘリングが進み出る。立ち上がるニアンと一緒に腰を浮かしたロカを大都長は止めた。
「君は残ってくれ。話がある」
瞬間、珍しくロカの表情が歪んだ。
「話?いま聞く」
「茶でもゆっくり……という顔でもないな。ヘリングから君が金階級の傭兵だったと聞いた。どうだ、わしの下で働かないか?」
「断る」
ロカが即答した。なんだったら大都長の言葉尻に被さるくらいの勢いだった。
「彼女との生活ならロスロイじゃなく、この大都でもいいだろう」
「違う。あんたが気に食わないからだ」
きっぱりと言いきったロカに腕を引かれ、ニアンは部屋を出た。
ヘリングが慌てて後を追ってくる。
扉を閉めた室内から大都長の笑い声が聞こえてきた。
「ロカ、あんなこと言って大丈夫なのですか?」
町の長から直々に勧誘されるなんて名誉なことではないか。それを気に食わないなどと言って断っては怒りを買ってしまう。
ニアンの心配をよそにロカは顔を顰めるばかりだ。
「あいつは虫が好かない。ヘリング、あんたこき使われて役に立たなくなったらぼろ雑巾みたいに捨てられるぞ」
「そこまで薄情な方じゃない」
「自分の命が危うくなったら盾にされ、それでもしあんたが死んでも仕方がなかった、ですます男だ」
「まあ、俺は護衛だからなぁ」
ロカがヘリングを睨みつけた。
「ド阿呆が。俺たちは勝手に帰るから放っておけ」
ロカがニアンの肩を引き寄せて歩き出した。
「え、ちょ……ロカ。大都長様に会わせてくれたヘリングさんにお礼を――」
「いい」
「でも――」
聞く耳を持たないロカに引きずられながらニアンが背後を振り返ると、部屋から大都長が出てきていて、笑いながらヘリングに何事か話していた。
対するヘリングが困ったような表情になって、それを見た大都長がさらに可笑しそうに笑う。
そしてニアンの視線に気が付いたのか、気さくに片手をあげて室内に戻っていった。
「ロカ、さっきのヘリングさんとの会話、絶対大都長様に聞こえていました」
「かまわん」
「どうしてそこまで嫌がるのですか?」
「馬が合わないのが直感で分かった。それは向こうもだろう。なのに俺をほしがるところが奴の性格を表している。ニアンをいびって楽しんでいるところは根っからのサドだな」
「え?いびられてたんですか、わたし」
「おまえもヘリングと同じで鈍感だな。気づけ」
大都ほどの大きな町の代表を務めるくらいだから有能な人であるとは思ったけれど、性格が悪いだとか考えもしなかった。
「おっしゃったことは間違っていないと思います」
「だが全部が正しいということはない。立場が違えば正義も異なる。ラッシの言った思いあがった鼻っ柱をへし折りたいっての、奴に対しては心の底から思うな」
「ラッシさん?」
「こっちの話だ」
見上げるロカの横顔は苛ついたままだ。
これは何を言っても無駄だろう。好き嫌いは誰にでもあるものでそこに理屈は通らない。
とはいえロカが初対面の人間をこんなに嫌がるなんて珍しい。
「わたしはそんなに嫌じゃないです、大都長様のこと」
「あ?」
眉間に皺の寄ったロカがニアンを見下ろした。信じられないと言いたげな様子がありありと伝わって、ニアンはくすくすと笑う。
「きっともう会うことはありません。それよりロカ、わたしが罰を受けないように庇ってくれてありがとうございました」
「黙っていたほうがいいとわかっていたが、おまえがあまりに馬鹿正直だからつい」
「馬鹿正直って。今後、自分のしたことに非はなかったのかと、もやもやとした気持ちを抱えないために、はっきりさせたかったんです。言いたいことは言えといったのはロカです」
「そこは灰色でいいところだ」
「ロカの要求は匙加減が難しいです」
「あー……うん、そうだな」
諦めたような応えがロカから漏れた。
「大丈夫ですよ、ロカ。わたしはロカと一緒にいますから、ずっとあなたから勉強できるのです。将来は絶妙な匙加減だってできるようになります」
そこまで言ったニアンは、ふへ、とニヤついた。
「わたしとロカは晴れて駆け落ちした二人になりましたね。大都長様公認ですよ」
「笑うところか?」
「だって大都長様がわたしたちを恋人同士って思ったんですよ。それって恋人っぽく見えてるってことでしょう?」
二人の間に流れる空気で、自然にそう思われるような雰囲気になっているのなら嬉しい。
ニマニマと口元が緩んでしまうのをニアンは我慢できなかった。
「……可愛いな、くそ」
ロカから何か声が聞こえた。
「何か言いましたか?」
「ニアン、ロスロイに戻ろう」
「え?はい」
「で、早く一緒に暮らそう。――あー、いま猛烈に二人きりになりたい」
「あ!あのでもっ、せっかく大都まで来たのですから少し見物して帰りましょう」
ニアンは肩を抱くロカの手から逃げるように離れた。
出立前、先日の夜の続きを期待しているようなことを言っていたと思い出したからだ。
(嫌とかじゃないの)
ただすごく恥ずかしい。
それに最後までしていないのに、あんなに我を忘れたのだ。
体を合わせてあれ以上の醜態をさらしたら……。
(きっとロカだって引いちゃう)
気持ちよくなると訳が分からなくなる。
もっとと声に出して自分から擦り寄って、あまつさえ何度もロカを――。
ぶるぶるとニアンは首を振った。
ロカを好きすぎるのがいけないのだ。もっと穏やかな心で彼に接せられるようになれば、神聖な行為として交わりを成すことができる。
「カーナたちにお土産だって買いたいですし。ね?ロカ」
ニアンのとってつけたような提案に、ロカは一瞬無言になってそれから「そうだな」と頷いた。