気遣いもお構いなし
ニアンの表情が凍り付いた。
彼女がこんなことで不安定になるのは、父親に会うことに恐れを抱いているからだろう。
そう感じたロカの予想は正しかったようだ。だから些細なことにも過敏に反応して、過去の辛かった記憶までよみがえり自虐に走る。
思えば昼間、いきなりくっついてきたり手を握ってきたり、普段のニアンからはあり得ない行動だった。
ソファで隣に座るだけで一大決心し、甘えるのもぎこちなかった一昨日の夜の彼女と、同じ人物とは思えないくらいだ。
不安が無意識に人肌を欲したのだろう。
「ロスロイに戻るか?」
はっとした表情になるニアンは首を横に振った。
「大都へ行きます」
「じゃあ俯くな。虚勢でもいいから堂々としていろ。相手に気迫で負けるな」
「勝ち負けなんですか?」
少しだけニアンの表情が綻んだ。
「勝ち負けだ。傭兵だったころ、敵の殺気に気圧された奴が死ぬのを何度も見た。気持ちで負けたら本来の自分が出せなくなる。はったりでもいいから怯むな」
ニアンの首が縦に動いて「はい」と確かに聞こえた。
こんな状態のニアンを一人にすることはできないか。
「荷車に置いてきた毛布をとってくる」
「え?」
「俺が床で寝るからニアンはベッドを使え……ってくれ」
また命令口調になっていた。思って言葉尻を改める。
背を向けたところでニアンがロカを呼び止めた。
「待ってください。ロカ、今日は変です。言葉遣いはちょっと前から優しくしてくれようとしてるって思っていましたけど……でも今はわたしと一緒にいたくないみたいな……なんとなくですけどそんな感じがして」
背中でニアンが言いよどんでいる気配がした。
「わたしのこと迷惑じゃないって言ってくれましたよね。だったら避ける理由はなんですか?」
「ニアンといたくないんじゃなくてこの部屋にいるのが困る。というか夜がまずい」
「この部屋?何か問題がありますか?――……あ、もしかして何か感じるんですか?ロカは見える人ですか!?」
「見える?」
ニアンの言っている意味が分からなくて身をよじったロカは、ビタと彼女に抱き着かれて勢いに壁へ背中をぶつけた。
後頭部も打ってけっこう痛い。
「こ、ここっ、出るんですか?わかる人は部屋に入った瞬間、嫌な気配を感じるって聞いたことがあります。出そうですか?出ますか?出るんですか!?」
「出る……ああ、幽れ――」
「言わなくていいです、っていうか言っちゃだめです。ロカが見える人だって相手にわかっちゃいます。寄ってきちゃいます。ロカ、早くここを出ましょう。とり殺されちゃうのはダメです」
力いっぱい抱き着かれて身動きも取れないのに部屋を出ようとか。
というかこの密着状態。
「まさかこれっぽっちも危機感がないのか」
く、と笑いがこみ上げる。
「もうこれ、完全にニアンが悪い」
強引にニアンの顎を持ち上げた。
「へ?ロカ、なんです……ん!」
逃げるように身を引くのを追いかけて唇を吸い、抱き寄せたニアンもろとも部屋を移動する。
そう広くない部屋の大部分を占めるベッドには数歩もあれば辿り着いた。
ロカはそのままニアンをベッドに押し倒す。見上げてくる瞳が大きく見開かれた。
「ロカ、あの……」
「旅をしていたころとは俺たちの関係は変わったのに、二人きりになって何もしないなんてことがあるか?」
「じゃ、じゃあ部屋にいるのが困るとか夜がまずいっていうのは、その……」
ニアンの頬が赤く染まっていく。やっと意味がわかったようだ。
「俺は宿を移ろうとしたぞ。床で寝るとも言った。なのに俺の気遣いもお構いなしに抱きついてきやがって。今さらやめろと言われても無理だからな」
そのまま噛みつくようにニアンにキスをする。ロカは自身の防寒具を脱ぎ捨て、ニアンのそれも奪い去った。
ふくらはぎまであるはずのスカートがめくれて膝が見えている。白い足に手を這わせるとニアンが身を震わせた。
「俺と暮らすってことはこういうことをするってことだ。わかっていたか?」
「い、いずれはって……まさか今だなんて」
「考えられていたなら充分だ。こういうのは時期が決まってるわけじゃない」
ロカが身を寄せるとニアンから焦ったような声がした。
「でも性急すぎるのも違う気がします。ロカ、ちょっと待――ん……」
待てという言葉をキスで封じた。伸ばした舌をニアンの舌に絡ませる。
裏側や腹を舌先で優しく弄るとだんだんと彼女から力が抜けていった。それどころか求めるように舌が伸びてきたため、優しく甘噛みするとニアンの喉が鳴る。
「っぅん……」
甘く感じるニアンの舌をロカは何度も舐る。
ニアンもロカの舌の動きに合わせて、唇に吸い付いてくるようになった。
頭を撫でるようにして引き寄せると彼女も腕を回してくる。
(ああもう本当、くそ可愛い)
昼間こらえたはずが簡単に下半身が熱を持った。
長い口づけの後やっと唇を離したロカはニアンの腿に欲望を押し付ける。
「ろ、ロカ、あの……」
赤茶の瞳がどこを見つめているのかわかって、ロカはニアンをあやすように頬を撫でた。
「いきなりは嫌か?でもこれのおさまりがつきそうもない」
ロカの言葉にニアンが泣きそうになる。
「そんな顔するな。おまえが嫌がることはしない」
ちゅ、とキスをして額を合わせた。
「一緒に気持ちよくなるだけだ」
◇ ◆ ◇
ぶる、と身を震わせるロカは自身を挟むニアンの腿の間に熱を放った。
そのまま二人の体がベッドに沈む。
ニアンは肩で息をして、ぐったりとベッドに突っ伏している。
「ニアン?」
「ぁ?……まだ目の前が、がくがくしてる気が……」
ニアンの頭を振り向かせるように抱えてロカは唇を重ねる。
鈍い舌の動きしか返ってこないのはまだ呼吸が整わない理由と同じだろう。
「疲れたか?」
「はい」
本番はしていなくとも手で一度果てさせたのだ。なれない行為に体力を消耗しているだろう。
確認すれば頷かれて、ロカは労わるようにニアンの頬を撫でる。
するとニアンは体を反転させ、手を伸ばして抱き着いてきた。
「どうしましょう」
「ん?」
「ロカのことが大好きです」
抱き着く腕に力がこもって柔らかな体が密着した。その感触が彼をまたしても刺激する。
「ニアン、離れてくれ。じゃないとまた勃つ」
首に回された腕をつかんで引き離すと、ニアンがなぜかむくれた顔をした。
「ロカが先に優しくしたんですよ」
「俺が悪いのか?」
「そうです。それにロカのことが好きって言ったのにちっとも嬉しそうじゃないです」
「可愛いと思うから勃つと言っているんだ。それとももっと俺と気持ちよくなるか?」
ロカがこう言ったとたん、ニアンは逃げるように身を引いた。
「きょ、今日はもういいです」
ニアンが起き上がって床に散らばる服を拾い集めるのを、ロカも半身を起こして追いかける。ニアンが体を隠すようにワンピースで前を覆った。
「飯の前に風呂に行くか。露天風呂があると言っていたな」
「一人で行けます」
「だめだ。一人は危ない」
そもそも露天風呂というのが怪しい。どこかからのぞけるようになっているのではないか。
そう思ったロカは離れた場所にある荷袋から綿布を取って、素早く汚れを拭うと身支度を整えた。
店主に話をつけてこなければ。
「ロカ?どうしたんですか?」
「ちょっと店主に用がある。ニアンは風呂の用意をして待っていてくれ。俺が戻るまで部屋の鍵は開けるな……開けないようにしてほしい」
ロカは手にあった綿布の汚れた部分を折りたたんで、訳が分からないというような顔をしているニアンにそれを差し出す。
「これで拭くといい」
「あ、はい、ありがとうございます」
どこを拭うのかすぐに察したらしいニアンが綿布を受け取りながら目をそらす。これだけのことをしたのにまだ恥ずかしいらしい。
下手に何も言わないほうがいいかとロカは鍵を持って部屋を出ていきかけ、が、思い出したように引き返した。
また慌ててワンピースを引き上げるニアンの様子に笑みを誘われる。
くしゃ、と彼女の頭に触れて素早く頬にキスをした。
「俺も好きだ」
そして今度こそを部屋を後にする。
部屋の鍵をかけたところで室内からバタバタと音がした。
なにかあったか、とロカは耳を澄ますがその直後に静かになった。
ニアンが室内で暴れていたようだが。
部屋に戻るか迷ったロカはしばらく様子を伺い、物音がしないことを確かめ鍵を握りこんだ。
防音はあまりよくないようだ。だとしたら先ほどまでのニアンの声も洩れていたかもしれない。
どんな人間がこの宿に泊まっているのかわからない。露天風呂を確認した後は貸し切りにしてもらおう。
廊下を歩くロカは大真面目にそんなことを考えた。