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Dog tag  作者: 七緒湖李
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いい天気

「痛……」

 悲鳴のような声と同時に肩をつかまれる。

「痛いです、ロカ……痛い」

「逃げるな」

 押しのけようとする腕を払ってロカはニアンの足首を引き寄せた。

「!痛っ、痛いっ!それわざとですよね」

「何がだ?」

「~~~~~っ!わざとしみるお薬使ってるでしょう!!痛……」

「一番効くんだ。これ以上騒ぐと契約を破棄するぞ」

 ニアンの足裏にすり潰した薬草を塗りつけるロカがこう言うと、うぐと彼女は黙り込む。

「意地悪です」

「もとはといえば怪我を隠していたあんたが悪い。俺の手持ちの薬よりも、ここらに群生しているこの薬草を使ったほうが治りが早いんだ。我慢しろ」

 すり潰した薬草の上にそのままの葉っぱを巻き、さらに清潔な薄い綿布で足を覆う。

「ほら、次は左足だ」

 ぐずぐずと足を変えないニアンの左足を引っ張って、ロカは右足と同じように薬草を塗り込んだ。

「う~~~」

 涙目で痛みに耐えるニアンからうめき声が漏れた。

 ニアンを連れて旅をすること三日。

 山を出るとき丸太にニアンの寝衣を着せて谷間に捨ててきた。

 うまい具合に寝衣の一部が上から見えたので、もし追っ手がかかっていたら、死んだと誤解させられるかもしれない。

 アン地方へはもうたどり着いていてもおかしくないはずが、行程は大幅に遅れていた。

 ニアンの足の怪我が原因だ。最初、無理をして山歩きをしたせいで傷が広がり、痛みで歩くのが困難になったのだ。

 抜けるのに一日とかからない低い山を二日かけて抜ける羽目になった。山のふもとの最初の村から次の町へも、倍ほども時間がかかるせいでまだたどり着けない。

 追っ手があればとうに見つかっているはずで、ロカはもう誰もニアンを捕まえようとしていないだろうと感じている。

 村で安く手に入れた男物の履物をニアンに履かせた。綿布を巻いた足なので女物では合わないからだ。

 着脱しやすいサンダル型で甲の高さに合わせて紐を結びなおす。

「きつくないか?」

「はい、反対の足は自分でやります」

 うつむくニアンの薄茶色の長い髪が肩から流れるのを横目で見つつ、ロカは立ち上がった。

「町までもうすぐだ。レアルは大きな町だし宿もある。日暮れまでには着きたいんだが」

「頑張ります。手当て、ありがとうございました」

 ニアンの服はロカのものから娘服に代わっている。これも村で手に入れたものだ。

 靴を履き終え、試すように足踏みしたニアンが嫌そうに眉を寄せる。

「薬草がぐちゃぐちゃして気持ち悪いです。あ、それに汁が染みて靴がだめになりますね」

「履くつもりか?」

「ロカがあとで使うのかと」

「いや、俺には小さいだろ」

「そうですか?」

 言いながらニアンがロカの足の横に自分の足を並べた。

「あ、本当です。やっぱり大きい人は足も大きいですね。昔から大きかったのですか?」

「その話、必要か?」

 無駄話に付き合う気が起こらなくて歩き出すロカを、ニアンが追いかけてくる。

「人と人が仲良くなるにはコミュニケーションが大事なのですよ」

「誰と誰が仲良くだ?」

「わたしとロカです」

 ニコニコと見上げてくるニアンにロカはため息が漏れていた。

 この三日で随分懐かれたものだ。

「俺とあんたは契約で結ばれているだけだ。両親のもとへ送り届けたらあんたとはそこまでだ」

「それはそうですけど……仲良くしてはダメってことはないでしょう?わたしは楽しい旅にしたいです」

「あんな目にあっておきながらめでたいというか……俺があんたを売り飛ばすとは考えないのか?」

「ロカはしないと思います」

 即答されてロカのほうが言葉に詰まった。

「だってロカは面倒なことが嫌いでしょう?人身売買は重い罪とされています。わたし、売られたら絶対逃げ出してロカのことをお役人に訴えます。顔もばっちり覚えたんですから人相書きも激似のものができます。そうしたらロカはずっとお役人に追われるお尋ね者です。逃げ暮らす生活になるんですよ。どうですか?面倒でしょう?」

 実際は売られた女のほとんどは、そのまま娼館へ行く羽目になる。それとも金持ちに売られるか。どちらも簡単に逃げ出せる場所ではない。

 お嬢様育ちゆえにそんなことも知らないのか。

「昔はひょろかった」

「え?」

「あんたが聞いたんだろう。コミュニケーション」

「あ、はいコミュニケーションです。お話ししましょう」

 前を見つめたままのロカにもニアンが喜んでいるのがわかった。

「ロカはひょろひょろだったんですか?今は全体的に大きいですね」

「俺がゴツイみたいに言うな。身長からして体重は標準だ」

「男の人は大人になると急に逞しくなるってやつですね。聞いていた通りです」

「聞いていた?」

 尋ね返した途端、ニアンがあ、というような顔をした。

「ええと、わたしはあまり屋敷を出たことがなくて……でもお爺さ――祖父に引き取られるまでは両親と暮らしていたので、男の人と接したこともちゃんとありますし、祖父のところへ来てからは家庭教師の方に男女の違いとか教えていただきましたから」

「いくつの時に引き取られたんだ?」

「十二です」

「十二。ふーん。その頃なら同い年くらいの男じゃ小さいか。というか伯爵家にだって男はいただろ?」

「えっと祖父がとても厳しい方で、決まった人以外と接したことがなくて」

「とんだ箱入りだな。まさか本当に箱に詰めるように、部屋から出るなと言われていたとかじゃ――」

 ほんの冗談のつもりがニアンが明らかに表情を強張らせたため、ロカは言葉を続けられなかった。

 彼女がパリトの生死を気にした理由がなんとなくわかった気がする。

 顔色の変化に気づかないふりをしてロカは話題を変えた。

「あんたの場合、コミュニケーション不足を解消というより、コミュニケーションの取り方を勉強しなおすと言うほうが正しいな」

「もしかしてわたし、おしゃべりが過ぎましたか?それとも馴れ馴れしすぎ?」

「うるさいほどではないが俺よりはしゃべるな」

「静かなほうがお好きですか?誰かとこんなに長くいるのが久しぶりで、お話しできるのが嬉しくて……あの……でも、控えますね」

 しゅんと項垂れ襷掛けにした鞄の紐を握るニアンだ。

「別に不快なわけじゃない。うるさければそう言うし、質問も答えたくなければ言わないでおけばいいだけだ」

「じゃあお話してもいいんですか?」

 ぱぁと顔を綻ばせるニアンに、ロカはまずいなと胸中で呟く。

(ただの雇い主と思っておきたいんだが)

 関わりが深くなるほど絆される。

 物も言わないただの荷物なら目的地まで運んで終わりだが、言葉を交わす人間が相手ではどんなに殺しても感情は芽生えてしまう。

「ではいきますよ、ロカ。ええーと……今日はいいお天気ですね」

 天気の話をされてロカは無言でニアンを見下ろした。

「その顔はなんですか?お互いを知らない同士はまず当たり障りのない会話から始めるのが基本なんです」

「なんとなくそうかと思っていたんだが……」

「はい?」

「あんた、変わっているな」

「か、変わって……?」

 ショックを受けているニアンにロカはさらに追い打ちをかける。

「人よりかなりズレている」

「そんなこと――」

「人の殺し方を教えろとか俺を雇うとか、突拍子もないことを口走るだろう」

「こうしてロカがいてくれるので結果良しなんです」

「だが剣が怖いみたいだが?」

 ロカの腰にある剣を避けるように、ニアンが左側には来ようとしないことに、とっくに気が付いている。

「それは、あの、み……見慣れないものなので」

「そういうことにしておいてもいいが。――人を傷つけた感触なんて忘れてしまえ。無理してでもな。あんたは自分を守っただけだ。あの程度の傷じゃ人は死なない」

「……はい」 

 ニアンがまた鞄の紐を握る。

「おい、いま飲み込んだもの吐き出せ」

「え?」

「あんたのそれ」

 ロカがニアンの仕草を指摘すると慌てて紐から手を放した。

「落ち込んだりなにかをこらえたりしてる時にするようだ。つまらない天気の話をするくらいなら、そっちを聞いてやる」

「泣き言を言ったら契約は破棄だって」

「泣き言ってより恐怖だろう?誰かを傷つけた怖さ。違うか?」

 ロカの質問にニアンは「違わないです」と首を振った。

「あの時のことは夢中だったのでよく覚えていません。でも手に感触が――石の冷たさと剣の重さが残っていて消えないんです」

「人を殴る感触、肉の弾力、血の温かさ、苦しむ呼吸。そういうのを感じて興奮する奴らもいる。でもあんたはそうじゃないんだろう?」

 こく、とニアンが頷く。

「ならあんたはまともな人間てやつなんだろ」

「ロカはどうですか?」

 どう、とは恐怖を感じるかそれとも興奮を覚えるかを聞いているのか?

「何も感じない」

 戦場では目の前の敵を排除することだけしか考えていなかった。

 初めて人を殺したときの感情もとっくに忘れた。

「どうして傭兵になったか聞いていいですか?」

「これが一番稼げたからだ」

「家族の方は?」

「いない」

「亡くなったのですか?」

「俺がガキの頃に」

「ご病気とか?」

「戦争で俺の住んでいたあたりは焼け野原になった」

 息をのんだ気配のあと、ニアンが再び質問してきた。

「血縁の方は?」

「さあ。いたと思うが今となってはよく覚えていないな」

「子どものころにお一人になってしまったのですね」

「あの頃は世界中で戦争をしていたし、俺のように何もかも奪われた奴なんてたくさんいるだろう。あんたは一人一人に同情していくの、か――?」

 視線を向けるとニアンが涙ぐんでいたため、ロカは、はぁ?とばかりに言葉を途切れさせた。

「わたし、お爺様に引き取られて両親と離れ離れになったとき、すごく寂しかったんです。ロカのお話を聞いていたらその時の気持ちを思い出してしまって……」

 ぐす、と鼻をすするニアンが目じりをぬぐった。

「ロカはお一人になってとても心細かったでしょうね。わたしも同じ……とは言えないかもしれませんが一人の悲しさはわかります。クールに見えてロカが本当は優しいのは、ご家族に愛されていたからに違いないです。記憶は薄れてしまっていたとしても、大事な部分はちゃんと残っているんですね、ここに」

 言いながらニアンは両手で胸を押さえる。

 優しい?

(俺が?)

 まるで他人のことを言われているようだ。

「優しいなんて言われたことがないが」

「そんなはずないです。わたしを助けてくれたし、山を登るときだって本当はわたしのペースに合わせてくれてましたよね。足の怪我の手当てとか、今も傷によく効く薬草を塗ってくれました。それに服とか食べ物とかも全部ロカが用意してくれています」

「報酬をもらってるから仕事の一環として――」

「照れているんですね。そういうことにしておいてあげます」

 うふふと笑うニアンに何も言う気が起こらなくなってロカは黙々と歩む。耳にぐちゅぐちゅと聞こえるのは、ニアンの足の薬草の汁のせいだ。

「足、やっぱり気持ちが悪いです」

「痛いよりましだろう。我慢しろ」

 ピロロロロと鳥の鳴き声が空から聞こえた。秋風が頬を凪いで流れた。

 薬草がきいて歩く痛みは軽減されたのかニアンの足の進みが早い。これなら夕刻までにレアルにつけるだろう。

 うまい飯と安全な寝床にありつける。

「いいお天気ですね、ロカ」

 隣で青い空を見上げていたニアンが言った。

「またそこに戻るのか」

 疲れを覚えて額を押さえる。

「だって本当にいいお天気ですよ」

 溜息を吐きながらロカはそうだなと返事をした。はい、とニアンが頷いた。





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