考え方はこうも違う
「我儘ついでにいいですか?」
「うん?」
ただの相槌のつもりがニアンには是と受け取ったらしい。
すく、と一人掛けのソファから立ち上がると、ロカの傍まで歩いてきて勢いよく隣に腰を下ろした。そして腕を組んでぎこちなく肩に頭を預けてくる。
これはもしや甘えているつもりだろうか。
伝わるニアンの体はガチガチに強張っていた。顔どころか首まで真っ赤なのに鼻息だけがやたら荒い。
「っ!……ハハ」
ロカが吹き出したとたん、ニアンが向きになってこちらを見上げた。
「笑わなくっても……!」
が近すぎる距離に驚いて言葉が続かなくなったようだ。
「ほんとたまらない」
ニアンに組まれたのとは反対の手で彼女の頭を引き寄せた。
唇を合わせる。
軽いキスを何度もかわし、嫌がらないのをいいことに、ロカはニアンに向き直るように体の向きを変えた。
背中を引き寄せて口づけを深める。
「……っ……ん……」
絡まる舌にニアンがぎこちなく応えてくるのを感じた。何度か角度を変えて口腔を味わいつくすとニアンの息はすっかり上がってしまった。
ニアンの濡れた唇を拭ったロカは、彼女を両腕に包み込む。
「俺はな、ニアン。ニアンの父親が伯爵になろうとしていると聞いたとき、おまえをあれほど傷つけたくせにどの面を下げてと腸が煮えくり返る思いがした。すべてをおまえに押し付けたあの男が望んでいいはずがない。その権利はニアンだけにある」
「だからわたしを大都へ?」
腕の中でニアンが身じろぎしたため腕を緩める。
赤茶色の瞳と視線を合わせてロカは言葉を続けた。
「あの日、おまえの両親は話を聞こうとしなかった。だから今度こそ思う存分ぶちまければいいとも思った。ニアンは本音を言えずに生きてきただろう。ずっとそうだったからか俺の前でも本音を言えなくなっている。俺は逆だ。やりたいようにやってきた。俺を真似れば敵を作るが、少しは真似てニアンも声をあげていいんじゃないか?」
見つめる先でニアンの瞳が迷うように揺れた。
「わたしはアルセナール家に戻りたくありません。本当は跡継ぎになんてなりたくなかった。そんなものいらない。わたしはロカの側にいたいんです」
「ああ」
「もう父と母のことで泣きたくないです。それに恨み言をすべて言えばすっきりするとも思えません。それどころかわたしの言葉がまた届かないことだってあります。あんな風に拒絶されるのが怖いです」
ジュビリーでのことはやはりニアンの心に大きな傷をつけているのだ。
向き合うのも躊躇わせるほど。
ロカならばやられたらやり返すと思うところも、ニアンは恐れが先立つのだろう。
(俺とニアンじゃこうも考え方が違うのか)
ロカは眉根を寄せているニアンの頬を撫でた。
「わかった。ニアンが会いたくないならやめておこう。俺は明日もう一度大都へ発つ。ヘリングから上司に掛け合ってもらって、おまえの父親の申し立てを保留にしてもらっていたんだ」
「わたしが大都へ行けば父が伯爵になれないようにできるのですか?」
「嘘を正せる」
「嘘?」
「あの男、跡継ぎであるニアンが爵位は放棄して男と駆け落ちしたと言っている。父親に嫌われて追放されていたが、父親の死により伯爵を受け継いだ名門アルセナールの名が消えるのはと、自分が伯爵に立つ決意をしたんだそうだ」
「わたしが駆け落ち?誰とですか?」
「俺が駆け落ち相手らしい。俺たちはジュビリーでしばらく過ごしたし、町の人間は誤解していただろう。信憑性のある嘘を思いついたもんだ」
「父は伯爵になってどうしたいのでしょうか?」
「さあな。父親という暴君がいなくなって、運よくニアンまで消えた。あいつからすればパリト伯爵という地位を奪える絶好の機会だ。華々しい貴族の世界に返り咲きたいんじゃないか?」
「領民のことを考えるのが爵位を継ぐ者の務めのはずです。アルセナールの名を守るためじゃない」
ニアンはしばらく難しい顔をして考え込んでいた。
「ロカ、わたしも父を伯爵にしないほうがいいと思います。大都へ行って邪魔してみます」
そう言ってまっすぐにロカを見つめてくる瞳から、さきほどまでの不安は消え、毅然とした光が浮かんでいるように見えた。
初めて見るニアンのその顔にロカは少なからず驚く。
「いきなりどうした?」
するとニアンはふふと微笑んだ。
「祖父がいなくなったいま、本当ならわたしがアルセナール家の当主です。当主は領民を守らなければならないのです。わたしはそこから逃げ出して、ロカと一緒にいることを選んだけれど、暗君が立つのを阻止できるなら最後に一度だけアルセナールの名を使います」
そう言ったニアンが右手を差し出してきた。
「わたしに力を貸してくれますか、ロカ」
決められた道を歩まされていただけのはずなのに、ニアンは跡取りとしてどうあるべきかを考え生きていたのだろう。
弱々しくもありながら、きっとその心根は祖父や父以上に爵位を継ぐにふさわしい。
ロカはニアンの手を握った。
「当たり前だ」
「心強いです」
ニアンの額にロカは自身の額をこつんと当てた。
近づくといつも彼女から花のような良い香りがする。
肩までの髪を何度か梳いた。
「ニアンは頼りないくらいが安心できるんだがな」
「どういう意味ですか?」
プクとニアンの頬が膨らんだ。
惚れ直したんだ。
声には出さずにロカは彼女の頭をくしゃりと撫ぜた。