ぬけない癖
それから四半刻ほど経ってロカとニアンはそれぞれ違うソファに座っていた。ロカは二人掛けでニアンは一人掛けだ。
ルスティとカーナは自室に、レリアは寝室へと消えて三人とも席を外してくれている。
「ニアン、さっきの話なんだが……明日、俺と大都へ発ってくれないか?」
ロカが切り出すとニアンはわずかに眉を寄せた。
「何かありましたか?」
「おまえの父親が新しいパリト伯爵になると大都で名乗りをあげた」
見る間にニアンの表情が固まった。
膝にある両手が強くスカートを握りしめる。
「すでに次のパリト伯爵が決まっていたが、どちらを伯爵に据えるべきかと大都の役人は悩んでいるらしい。俺はあの男を伯爵にしたくない」
「ではわたしは大都に行って正式な跡継ぎであると言えばいいのですか?」
そう言ったニアンの瞳からいきなり涙があふれたためロカはぎょっとした。
「さっきの鏡とブラシはお土産じゃなくてお別れの品だったのですね。アルセナール家に戻って務めを果たせということですね」
「え?」
「でもわたし、嫌です。ロカといたいです。レリアさんとカーナに料理とか掃除とか、家事を教わっています。ちゃんとうまくなります。お仕事だって探して働きます。そうやって少しずつでもしっかりして、ロカに迷惑をかけないようにするつもりです。今は頼りなくても頑張ります」
「ちょっと待て、ニアン」
「だからお願い……――一人にしないで」
懇願するような声と表情を向けられてロカは言葉に詰まっていた。
(どうして俺がニアンを捨てるみたいに……)
どこかで釦を掛け違えている。
――彼女からしたらおまえの気持ちが見えなくて不安だろうな。
ふいにディオに言われた言葉を思い出した。
ニアンは膝の上で両手をぎゅっと握りしめたままだった。
その仕草は彼女が何か胸に痞えるものがあるときの癖だったはずだ。
(不安、……なのか?)
何が不安なのか尋ねようとロカは口を開き、けれど今度はすべてを尋ねてしまえばいいわけではないと、ディオとラッシから言われたことも思い出した。
嗚咽を漏らし涙するニアンを見つめ、彼はなんと声をかけていいのかわからなくなった。
がし、と頭を掻く。
(理解する努力)
女心は無理だろうがニアンを知ろうとしなければ、そして自分を知ってもらわなければ分かり合えない。
「俺はニアンと離れる気はない。だから安心してくれ」
「ほ、本当ですか?」
見つめてくる彼女に頷いて言葉を続ける。
「それから俺はニアンのことを迷惑だと思ったことはないんだが?」
「でも面倒そうな顔をしたり溜息をついたり、それにわたしの足の怪我の手当てとか両親のこととかでいっぱい迷惑をかけたから――」
「本気で迷惑な相手ならニアンをジュビリーの町まで連れて行ったところで離れている。あと溜息をついたり顔に出していたのは謝る。おまえはよくわからないことで怒ったり、逆にちょっとしたことでも楽しそうだったり、俺とは違いすぎて理解できなかったんだ。……ってのは言い訳か。すまん。泣くほど嫌な思いをさせているとは思わなかった」
「い、いえ……わたしこそ、勘違いをして……ました」
指で涙をぬぐうニアンが首を振った。
「勘違い?」
「あれがロカの普段通りで含みも悪意も何もないってわかっていなくて――でも、そう……ですね。ロカはいつも裏がない人でした。言葉通りに信じていいって思ってたはずなのに、わたしが勝手に深読みしていたんですね」
ニアンの涙が止まったことにロカは安堵した。
「俺はニアンが何に不安になるのかわからない。だからちゃんと今みたいに言葉にしてくれ。一つ一つに答える」
「はい」
「他には?何かあるか?」
ニアンがまた拳を握る。
「ニアン?」
促すとやがて迷うそぶりを見せながらも唇が動いた。
「もっと話してほしいです」
「話?どんな?」
「ロカは強いし自分をしっかり持っているし自信もあるから、なんでもすぐに決めてしまう。わたしは置いてけぼりで、それが寂しいです」
「相談しないということか?」
ニアンは首を振った。
「わたしが関わってることはちゃんと話をしてくれて、意見も聞いてくれます。ジュビリーの町に残るかロカと行くかってときや、いまは大都へ行くか行かないかのことも。でもわたしに関りがないことは後からだから……わたしが頼りないってことはわかってるつもりです。それでもやっぱりロカが一人で進んでいってしまうのは悲しいです」
ニアンが言う「進む」とは物理的なことではない気がする。
だがまずい。
(ニアンが何を言いたいのかよくわからない)
鼻をすするニアンを前にロカは頭を悩ませる。
「つまり、ニアンは俺に頼りにされたい?」
試しに尋ねるとニアンが、ぱっと顔を上げた。
「はい!お役に立てるように努力しますので、相談……とか」
質問は間違えていなかったらしい。
「癖なんだ」
「え?」
「傭兵の仕事をしているとき、とっさの決断を迫られる場面が何度かあった。俺はパーティを組んだのはライたちだけで、他は一人だったから全部自分で決めてきた。それが染みついてしまっているんだ。だがそのせいでニアンはないがしろにされている気になるのか……」
身勝手とディオに言われた意味が、ようやっとわかった気がする。
ディオとラッシの二人は千里眼でももっているのだろうか。もしかするとニアンに土産をと言ったトゥーランも、彼女の「寂しい」を忘れさせろと言ったヘリングも、彼らと同じようにわかっていたのか。
対してロカはニアンが不安に思っているなんて全然気がついていなかった。
はぁと溜息がもれた。
それを見たニアンがビクついて焦ったように口を開く。
「あ、あの、わたしの我儘なのでロカがご迷惑なら――」
「仲良くなるにはコミュニケーションが大事なのだろう?最初、話をしようとニアンが言ったんだったな。確かに考え方の違う者同士がわかりあうには大事なことだった。ニアンが俺に教えてくれたんだ。だろう?」
ロカが微かに笑いかけるとニアンにも伝染したのか笑顔が広がる。
「はい」
そしてなぜかニアンがもじもじと赤くなった。
「どうした?」
まだ何か言いたげだ。