「寂しい」を忘れる
「あんた、ニアンの何を知りたいんだ?」
眼力を鋭くするとヘリングが両手を振って落ち着けとばかりにロカを宥めた。
「そう睨むな。亡くなったパリト伯爵が孫娘を引き取って後継者にするつもりだったのは、どうやら有名な話だったみたいでな。息子がいるのに女である孫に家名を継がせるなんて、なにかわけありじゃないかって誰もが思うだろう?父と息子のそりが合わないんだろうってのが有力説だったらしい。貴族の間じゃパリト伯爵は野心家で私腹を肥やすのに熱心な男だと知れ渡っていたそうだ。で、そういう男の孫も同じように贅沢を愛する生意気な娘だろうという噂があって――……だから睨むな。あくまで噂だ、噂だぞ?俺はニアンが引っ込み思案なおとなしい子だと知っているし」
「引っ込み思案でおとなしい?ヘリングにはそう見えるのか」
「?違うのか?」
ヘリングが首を傾げる。
「違う。少なくとも俺の前では。他愛無い話をよくしてくる」
「それは彼女がおまえのことを好きだから、少しでもかまってほしくて頑張ってるんじゃないか?」
可愛いなぁと笑うヘリングをロカは冷やかに見つめた。
白い眼を向けられ、ははと笑ってごまかすヘリングから視線をそらしたロカは、荷袋の中にある包みに目が留まった。
トゥーランに乗せられて買ったニアンへの土産だ。土産といってもロスロイでも手に入るようなものだから、プレゼントになるのかもしれない。
ロカは荷袋の口を閉じてベッドの脇に下ろし、ヘリングの隣に並ぶように座りなおす。
「ニアンは初対面の人間に緊張するみたいだ。慣れれば平気みたいだけどな」
「ああ、じゃあ俺の前ではまだ緊張しているってことか」
「あいつ、本当はけっこうしゃべる。ロスロイまでの旅の間、天気の話や植物や虫の話に始まって、空が青いのはどうしてかとかなぜ人は話ができるのかなんて小難しい話まで。俺が適当な返事をしても楽しそうに笑うんだ」
旅を始めたころ、長く人といるのは久しぶりで話ができるのが嬉しいと言っていた。
部屋に閉じ込められるようにして育って、屋敷にいた人間の誰とも必要最低限の会話しか交わさずに、おそらく祖父とも会話らしい会話をしていなかったのだろう。
人とのコミュニケーションの取り方がわからなくなるくらい、長い時間一人だったのだ。
「ロカ?」
ロカが黙り込んでしまったためにヘリングが窺うように声をかけてくる。
「ガキの頃に家族を亡くして一人になるのと、家族がいても一人なのと、どっちがしんどいんだろうな」
つい口をついて出ていた質問に、ヘリングからしばらく答えはなかった。彼は考えるように口元を押さえ俯いて、そして今度は顔を上げ宙を見据える。
長い沈黙のあとやっと口を開いた。
「俺も孤児院育ちで本物の家族は知らないからな。孤児院の養父母が両親と言えるのかもしれないが、何人も孤児がいてあの人たちは皆のものだった。それは仕方のないことなんだが、やはり寂しかったように思う。傭兵になってライたちに出会って仲間になった。少しずつ互いに信頼していって絆が深まって――そんなときだ。ライがおまえを連れてきた。ロカが来てから俺たちは仲間以上になった気がする」
初めて聞く話だった。ヘリングの過去をロカは知らなかったのだ。
ヘリングの腕が伸びてきて、ぐい、と肩を引き寄せられる。
「俺はおまえと出会えて嬉しいぞ」
「あぁ?ちょ……馬鹿力だな。離せ」
「本当におまえは生意気だ」
頭に拳をぐりぐりと押し付けられるのが本気で痛い。がっちり首と抑え込む太い腕を叩いていると、やがて力が緩んだ。
「血の繋がりはなくても俺はおまえたちのことを家族のように思っている。そう思える奴らに出会えたから、俺の「寂しい」は消えてしまった」
絞められた首を撫でていたロカは、そう言って笑うヘリングの顔がとても穏やかだと思った。
本気で家族だと思ってくれているとわかる。
どうして皆、むず痒いことばかり言ってくるのだろう。こちらはどう反応していいかわからなくなるというのに。
「ロカはまだ寂しいか?」
「なに?」
「家族を亡くしてしんどいって、寂しいってことだろう?」
「や、それはガキの頃の話だ。あんたらと過ごしてたらウザいくらい構われて、いつの間にかそういうの忘れた」
「そうか。ならこれからはおまえがニアンの「寂しい」を忘れさせてやれ」
ヘリングの言葉にロカは瞬いた。
「これから?」
「おまえが彼女に俺たちを出会わせたんだろう?そのおかげでニアンはカーナと仲良くなったし、ルスティに片思いだってされた。人と対峙するのが苦手でも、そうやってロカが間に入ってやればいい。それに俺のほうもニアンを知ったことで、おまえの恋人を見れた。こうやって人は繋がっていくんだ。そのうちニアンの世界も広がって大事な人が増えるだろう。そうすればいつか俺やおまえと同じように「寂しい」を忘れる」
ヘリングの言うことはやたらと希望にあふれているが不思議とロカに響いた。
「そうだな」
そんな日が来ればいい。
泣いた以上に笑顔でいられる時間が長く続くように。
ロカの脳裏にニアンが浮かんだ。その顔が笑顔であることに気がついて彼は一人笑う。
「なんだ?急に笑い出して」
「トゥーランに言われたことを思い出した」
「何をだ?」
―― おまえ、相当ニアンに惚れてるよ。
ああ本当にな。
くくと笑うロカは灰色の髪をかき上げた。笑いをおさめてヘリングへ言う。
「ニアンを大都へ連れてこようと思う」
直後、ヘリングから間抜けな声がした。
「はぃ?」
◇ ◆ ◇
部屋の掃除の手を止めたニアンは、窓の曇りをぬぐい外を見つめる。
建物が立ち並んでいるため狭くなった空は、それでも今日は青く澄んでいる。
ロカと離れてもう何日だろう。
突然、仲間たちと旅立って、昔の借りを返しに行くとだけ伝言が残されていた。
ロカが恨んでいる人物をニアンは一人しか知らない。ロスロイに来て知り合った彼の傭兵仲間も金をだまし取られたと聞いている。
――俺ももともとの恨みだけでなく、大事なものを傷つけられた。
あの時の言葉をきっかけにやっとロカの本心を知ることができた。
嬉しくて、嬉しくて、本当にどうしようもないくらい嬉しくて、だからこそ思いが通じた直後に会えなくなったのがこたえた。
ロカは強い。傭兵には階級があって、彼のランクである金階級は世界中でも一握りしかいないらしい。
しかしそんなロカよりも上がいるのだ。
身近であれば彼の傭兵仲間の中にも一人。
だからロカの強さは命を絶対保障するものではない。
窓に触れる手をニアンは見つめた。気持ちが通じたあの夜、握ったロカの手は大きかった。
二人で暮らせるだけの広さがある家をほしいと言ってくれたときは、幸せすぎて死ぬんじゃないかと思った。
なのに今はこんなにも不安だ。
ニアンはコツと窓に額を預けた。
(一人で走っていかないで)
出会った当初からロカには助けられてばかりで、頼りにならないのだろうけれど。
両親に騙されていたときのように。そして祖父の言いなりになっていたときのように。
ロカにとっても自分はただ従えうだけの存在であればいいのかと思ってしまう。
窓にあるニアンの手に力がこもる。
「近くにいかせて」
呟きは簡単に空気に溶けて消えた。