いまさらな男
昼を回ってトゥーランとともにディオの屋敷に戻ったロカは、明日の帰り支度のために荷物の整理をしていた。とはいってもニアンへの土産を荷袋へつめる程度のことだ。
そこへノックの音がして、ロカの返事も待たずに扉が開く。
入ってきたのは昨日からボギーの件で大都庁に出向き、一人奮闘してくれていたヘリングだった。
上級役人となる上司に掛け合っての根回しは万事うまくいき、今日も朝から大都庁へ出向いたはずだったが。
「ロカ、ちょっといいか?」
ロカはベッドの上で荷袋の中をいじっていた手を止め、近づくヘリングを見上げる。
徹夜のあとも一番動き回っているはずなのに、やつれたところがない。体力があるからこのくらいどうということはないのか。
屈強な男とはヘリングのような男を指すのだろう。
「なんだ?」
「ニアンて確か、元は伯爵令嬢だったな。祖父が亡くなって疎遠となっている両親にも頼れず、身を寄せる縁者もいないからおまえとロスロイに来たってことだが」
ニアンがどうしてロカと旅をしてロスロイまでついてきたのか。ニアンとの同棲宣言をしたあの夜に、馴れ初めをディオに尋ねられて今のようにヘリングたちには話してあった。
ライとその家族には世話になっているのに隠し事をするのは気が引けると、結局なにがあったのかニアンがすべて話してしまったけれど、ライが仲間とは言えヘリングに話したとは思えない。
あえて確認してくるのは理由があるのか。
「それが?」
「ニアン・アルセナールが彼女のフルネームでいいな。もしかして彼女は東のスプレス地方……グレーシャーという町の出か?だったらアルセナール家のパリト伯爵が祖父で、その祖父が原因で暴動が起きて町を追われたんじゃ――ニアンは本当は両親を頼らなかったか?それで彼女の両親の元までおまえも同行したんじゃないか?」
どうしてそれを。
ロカの表情が変化したのを読んだらしいヘリングが彼に説明した。
「パリト伯爵の息子と名乗る男が大都庁に訪れて、アルセナール家の正当な跡継ぎとして爵位を継ぎたいと国に申し立てをした」
「は?」
「アルセナール家のことにかなり詳しくて、どうも本物のようだ。その者が言うには、暴動が起きたことで父である伯爵が亡くなり、跡を継ぐはずだった自分の娘はそのどさくさにまぐれて男と逃げた。娘は自分のもとを訪れて爵位は継がないと言っていた、ということだ」
「な……っ」
「その様子じゃあの男はやはりおまえたちと会っているのか。それならニアンが暴動のあった町から逃げおおせたと知っているか。いなくなったのをこれ幸いと、ニアンはおまえと駆け落ちしたということにしたんだろう」
「あいつ、何をいまさら」
「このままでは名門アルセナール家が廃れてしまうため、アルセナール家の血を引く自分が伯爵として立たねばなるまいと思ったんだそうだ。なぜ息子である彼が跡継ぎでなかったかとの問いには、パリト伯爵に一方的に嫌われて追放され、その後、長女を跡継ぎとして奪われたと言っている」
ロカはジェビリーの町で見たニアンの父親を思い返した。
自分可愛さにニアンを犠牲にした男。
父であるパリト伯爵に怯え、妻と幼い子らとの箱庭のような暮らしを守るため、両親を頼って訪れた娘をもう一度捨てた。あのあとパリト伯爵の死を知ったのだろう。
ルスティによればジュビリーの町を去ったということだったが。
(父親が死んでニアンが消えたのをいいことにすべてを自分のものにする気か)
奴のせいでニアンがどれだけ泣いたと思っている。
「あの男っ……」
ロカは、ぐ、と手のひらを握った。
そんなロカを見つめていたヘリングが思い返すような様子をみせて口を開いた。
「俺はどうもその話が嘘くさく感じてな。だからおまえに確認しようと――事実は歪められているのか?」
「あいつは暴君の父親から逃げるために、娘のニアンを生贄にしたんだ。ニアンにはずっと優しい親を演じて、体が弱くて跡継ぎになれないと嘘をついてな」
「つまり自分から爵位を放棄したのだな。それで?ニアンはアルセナール家を継ぐ気はないのか?」
「あるわけがないっ」
怒りを抑え込めなくて口調が荒くなる。
「おまえが感情を露わにするのは珍しいな。ニアンのことだから許せないか?」
からかうようなヘリングの軽口もつきあう気になれなくて、ロカはふいと視線をそむける。
ヘリングはベッドに腰を下ろしてロカと目線を同じにした。
「どうした?」
「あの男、伯爵になるのか?」
「それはまだわからん」
「ルスティの話じゃ新しい伯爵が決まったってことだったぞ。町人が自治を行ってるのがまずいから、王都ではさっさと後釜を決めたんだろ?」
「おいおい、国の情報がダダ漏れか?まだ正式に発表されていないはずなのに、ルスティのやつどうやってそんな情報を――」
苦い顔をするヘリングは溜息を吐いてからロカに眼差しを返した。
「そうだ、後任はすでに決定していた。アルセナール家の直系が行方不明だったからだと聞いている」
「聞いている?」
「俺の護衛対象者、つまり上司に聞いた。あの人は大都の長だしこの国の内情にも明るい方だ」
ヘリングが誰を護衛しているかロカは初めて聞いた。
ハ、とロカは笑う。
「大都長が上司って、そりゃあんたの休みも一存でどうとでもしてくれるよな」
「まぁその分、護衛の域を超えてこき使われるがな」
「俺にニアンのこととグレーシャーの町の暴動のことを聞いてこいって?」
「俺もただこき使われてるわけじゃない。ボギーをとっとと罰してくれと言ってある。二度と牢から出てこれないようにってな。交換条件だ」
本来、護衛官が大都長と対等な身分であるわけがない。交換条件を出すなど普通はできないだろうに。
(ヘリングって昔から怖いもの知らずなところがあるよな)
そういえばディオがヘリングは大都のお偉方に気に入られていると言っていた。きっとその筆頭が大都長なのだろう。
見た目の頼もしさはもちろん、飾らず本心を向けてくる男だから彼を好ましく思う人物は多いのだろうか。
「正式な任命はまだでも国が次をもう決めてたんだろ。今更、アルセナール家が出ていっても無駄なんじゃないか?」
「無駄かどうかはやってみなくちゃわからないと思ったんじゃないか?実際、大都で判断していいことではないから王都へ委ねようと言い出す者もいるみたいだしな。真偽も調べず王都へ丸投げでは、大都の者は無能と言っているようなものだが」
辛口な発言をしたヘリングは、「口が滑った」と悪びれもせず笑った。
「あんな自分のことしか考えていないような男が、伯爵として領土を治めていけるわけがない。前伯爵ジジイと同じ、私利私欲に走って結局また暴動が起きる」
「前伯爵はそんなに領民から疎まれていたのか?」
「俺が知ってるのは伯爵の住む屋敷があったグレーシャーの町の人間の声だけだ。あの町じゃどこへ行っても悪口しか聞かなかった。町全体がパリト伯爵を消したいって雰囲気で、まぁ、全員が全員、殺すって思ってたわけじゃないだろうが近い感情を抱いてたんだろ」
「ニアンはパリト伯爵のもとでどんなふうに暮らしていたかロカは見たか?」
「見てはいない……が少しは聞いている」
「どんな?」
ヘリングの質問にロカは何か違和感を覚えた。