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Dog tag  作者: 七緒湖李
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生きたいように生きられる

夜通し森を歩いたおかげで夜明け前には山に入ることができた。

 そこからさらに歩き続けた夜明けごろ。

 ゆるい傾斜でも平地を行くより山登りは体力を削られる。ロカの背後から、はぁはぁと荒い息遣いが聞こえた。角灯を手に振り返ったロカはニアンを照らした。

 ずいぶん遅れてやっと明かりに気が付いたニアンが顔をあげる。

「遅かったですか?すみません」

 今にも倒れそうな様子でありながら歩くのをやめない。

「少し休もう」

「さっきも休憩してくれました。これ以上遅れてしまっては……」

 しかしここまで言って息が続かないのか言葉が途切れてしまった。

 完全に息が切れている。体を休ませなければ遠からず限界が来るだろう。

「一晩中歩いたおかげで距離は稼げている。あそこに見える岩穴まで行こう」

 ぼんやりと周りが見えるくらいには明るくなってきたのは、陽が昇ってきたからだろう。

 ニアンの目が先にある岩穴を見つめ、気力を振り絞るようにして足を踏み出す。

 岩穴は山道を逸れたところにあり、ごつごつとした石が行く手を阻んでいた。

 ロカにはどうということはなかったが、疲れ果てているニアンには大きな障害だ。

 先に岩穴についたロカは最後の大きな石に足をかけているニアンに手を伸ばした。

 触れた手を握って岩穴に彼女を引っ張ると、そのまま胸に落ちてきた。

「すみません。よろけてしまいました」

 ロカから離れるニアンは岩穴の中で座り込んでしまった。

 角灯を置いて背負った荷袋を下ろし、中から水の入った革袋を取り出す。

「水だ」

「あとで」

「水分はこまめに取らないとばてるぞ」

「はい」

 しかしニアンはぐったりとしたままだ。ロカは彼女に近づいて水袋を口に持っていった。

「ほら」

「ありがとう、ございます」

「いちいち礼はいいから飲め」

 こくこくと喉を潤すのを確かめて、手を貸しながら岩肌にもたれさせた。

「何か食ったほうがいい」

「あまり欲しくありません」

「しっかり食べないと山を越えられない」

「わかりました。でも少しだけこのままで」

 目を閉じて息を荒らげているニアンはかなり辛そうだ。ロカは荷袋から干し肉を出してナイフで切り分けると、そのままかぶりつく。

 朝の空気を震わせるように鳥の声が聞こえる。

 水を飲んだロカは片膝を立てて頬杖をつきニアンに目を向けた。体力は思った通りない。それでもここまで食らいついてくるのは、死にたくないからだろうか。

 視線を感じたのかうっすらとニアンが目を開けた。

「干し肉、ですか?もう少し胃に優しいものが欲しいです」

「そんな病人食じゃすぐに腹が減る。肉が一番力になるだろうが」

「だからロカさんは体力があるんですね。でも栄養が偏ります。お野菜やお魚も食べないと」

 伸ばされた手に切り取った干し肉を持たせる。

「ロカさんへの報酬に食費は込みですか?」

「だからロカでいい。食い物込みだ」

 ふふ、とニアンが笑った。

「ロカさ……ロカはいい傭兵ですね」

 いい?

 善人という意味だろうか。

「争いで食ってくのが傭兵だ。あんたらみたいな人間からすればイカレた奴らだろ?」

「それはロカが人を傷つけるのが好きだと受け取ればいいですか?でもさっきはそうは見えませんでした」

「さっき?」

「だってわたしを追ってきた彼らを追い払っただけですよね?」

「戦場なら殺していた」

 ロカの返答にニアンは黙って干し肉を口に運んだ。

 ゆっくりとした動作で食べ終えてから彼女が再び話しかけてくる。

「生きたいように生きられる人ってどのくらいいるんでしょうか?」

 干し肉を噛み千切っていたロカは「さあな」とだけ言って肉を咀嚼する。

「あんたのような貴族のお嬢さんは、似合いの相手と一緒になれば一生楽して暮らせるだろ」

 少しの間沈黙したあと、ぽつりとニアンが言った。

「アルセナール家はもうなくなりました」

「両親がいるんだろ。父親が次の伯爵じゃないのか?」

「いいえ、父は伯爵の座は欲しがっていません。わたしが次の当主となるはずでした。でももう祖父はいませんし、これを機に伯爵の位は捨ててしまえばいい。両親のもとでわたしも農地を耕して生きてこうと思っています」

 祖父が町の人間に襲われたというのに、怒りや悲しみを見せず、それどころか安堵していたニアンだ。それにいまの話からも爵位への執着があるようにみえない。

 伯爵家の人間として生きるのは、ニアンにとって生きたいと思う人生ではなかったのだろう。

「生きたいように生きられる、か」

 傭兵なりたいと志したわけじゃない。

 そう一瞬頭をよぎったのをロカは振り払う。

「え?」

「いや、あんたはこれからそれができるだろ?」

 ロカの問いにニアンは俯いた。

「はい」

 小さな声が言葉を紡ぐ。

「――はい、きっと……」

 噛みしめているのは自由への憧れか。

「そりゃなによりだ」

 ロカは手に残っていた干し肉を口に放り、ニアンから視線を外した。

「やっぱりロカはいい人です」

「今のは皮肉だぞ」

「そうなんですか?てっきりよかったなって言ってくれているのだと」

「きれいな服を着てたらふく飯が食えてあたたかい寝床がある。伯爵家の令嬢としての窮屈さがあったとしても、俺からすれば贅沢な悩みだ。あんたは望んでそれを捨てるんだ。両親のもとでせいぜい苦労すればいい――と毒づきたくなるくらい、あんたのことは世の中を舐めている馬鹿だと思う」

「そんなにはっきり馬鹿という人は初めて見ました」

 ニアンがふふと笑った。

「悪口を言われると傷つくものなんですね。それにちょっとムッとしました。そういえばロカがわたしを無視して去ろうとするのも胸がむかむかとして……あれは苛立ちだったのかしら。他にもロカは偉そうだし命令するし――わたし、結構ひどい扱いを受けていますね」

「俺が請け負った仕事はあんたを両親のもとへ送ること。お嬢様扱いしろなんて聞いていない」

「今から頼めばしてくれますか?」

「追加は受け付けない」

「言うと思いました」

 笑顔を苦笑に変えたニアンは軽く息を吐いて瞳を閉じた。先ほどまで上がっていた息が随分と整っている。

「そのままがいいです。ロカはそのままでいてください――……もう少し休んでもいいですか?」

「ああ」

「ありが……とう、ござい……」

 言い終わらぬうちにニアンは眠りに落ちてしまった。

 スースーという彼女の寝息が、いまここでは唯一の生きた気配だった。 

 岩肌に背を預けていてはでこぼことして眠れないだろうに、余程疲れているようだ。

 横座りした膝から手が落ちる。それを目で追ったロカは、ん?と気が付いた。薄暗い岩穴の中、角灯をニアンに近づけると顔をしかめた。

 彼女の足に巻いた綿布が赤黒い。

 綿布で足全体を覆ったはずが歩くうちずれていたらしい。泥だらけの綿布からのぞく指先や踵から血が滲んでいる。屋敷から森を抜けて駆けたせいで怪我をしていたが、さらに傷つけているようだ。

 そういえばここの前に取った休憩場で、足を気にする素振りを見せていた。

 尋ねれば何でもないと言っていたが。

(どこが何でもないだ)

 こんな足でよくここまでついてきたものだ。

 泣き言を言えば捨てていくと脅したのはロカで、その通りニアンは弱音一つ吐かなかった。

 すぐに音を上げると思っていたが、弱々しい外見とは裏腹に我慢強い女だ。

 ロカは荷袋を引き寄せると傷薬を取り出した。





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