腹パンで確認
「ロカ?」
「そりゃ可愛いと思うな」
あんな告白をされれば理性だって飛ぶ。
「俺はニアンの前で正気を保つのが難しいらしい」
「え?どういう意味ですか?」
見上げてくるニアンをロカは腕に抱きしめた。
「こういうことも、キスも、それ以上のことだってしたくなるって自覚した。だからあんまり無防備でいないでくれ。あざといくらいがわかりやすくてちょうどいい」
「だから意味がわかりません。それって返事なんですか?」
ニアンは柔らかくてマシュマロのような感触がする。ロカは笑って頬を寄せた。
「温かいな、ニアンは」
「ロカ、酔っていますね?」
「少しな」
「どうりで変だと思いました」
言いながらニアンは腕を開いて膝掛けをロカにもかけてくる。
「これで暖かいですか?酔い覚ましするにしても、羽織るものを自分の分も持ってこなきゃだめじゃないですか。もう少ししたらお家に入りますよ。いいですか、ロカ」
「ん、じゃあもう少しこのままな」
ニアンの手が背中に回ったのをいいことに、ロカは彼女を抱き寄せ肩に頭を乗せた。
とたんにニアンが硬直した。
「もー、心臓に悪い」
ニアンの独り言が聞こえたが気づかないふりをする。酔っ払いと思われているなら大いに利用しよう。
「ニアン、寒いからもう少しくっついてくれ」
「だから自分のせいですったら。どうしてロカは自分のことにそう無頓着なんですか」
「たぶん俺のほうが体力があって風邪は引きにくい」
呆れたような吐息がニアンから漏れ、さすさすと背中を撫でられた。
「ロカは優しいですけれど、自分にだけは例外ですよね。もっとご自身を労わってください。心配になります」
心配と言われてロカはニアンを抱き寄せたまま、目だけを彼女に向ける。
「心配?するのか?」
「します。脅したり挑発したり、そのせいで敵を作って――首の怪我は治りましたか?」
山で四人の傭兵に襲われたとき、ニアンがあんなに泣きじゃくったのは怖かったからだと思っていた。もちろんそれが大きかったと思うが、身を案じてくれていたのか。
「ああ、とっくに」
これからは怪我を控えねば。
「ニアン、いまボギーの行方を探している」
「え?」
「見つけたらライたちと狩りに行く」
「じゃあディオさんとヘリングさんがロスロイへいらしたのって」
察したらしいニアンの声にロカは身を起こして彼女を見下ろした。
「ああ。みんなあいつを恨んでるからな。俺ももともとの恨みだけでなく、大事なものを傷つけられた」
言いながら痣の浮かぶニアンの頬を撫でる。
「ボギーだけは許さない」
「は?……え?」
「寒いな。そろそろ中に入るか」
ロカはニアンから身を離して背を向けた。扉に手をかける。
「ろ、ロカ!いま、いまの、いまっ……」
背中から服を引っ張られた。
半身振り返ってニアンの髪に触れ、ロカはポスポスと彼女の頭を撫でる。
いまになってわかる。こんなふうに触れ方にも気を遣うくらい大切に扱っていた。
「犬でも子どもでもない。ニアンは女だ」
ニアンの気持ちに気がついて、遠ざけるために放った言葉に彼女は憤って宣言した。
女であると気づかせると。
「それって……え?でもロカには好きな人が――帰りたい場所って」
「ああ、あれな……」
態と誤解させたと言わないほうがいいか。
ロカは言葉を濁したままニアンに正面から向き直った。
「たぶん俺は、もうずっとニアンが好きだった」
そう言ったとたん、見る間にニアンの瞳に涙が浮かんだ。
「……っ!ほ……本……本当に?」
ポロと雫が溢れ落ちると止まらなくなった。
「夢じゃ……ない?」
泣いてるはずなのに、喜んでいるのが伝わってくる。
「嬉しい――嬉しい、うれ、しい……」
「あー、またそうやって」
ロカはニアンの顎をつまんでグイと仰のかせる。なにをされるのかわかっていない顔だ。
思っても止まらなかった。唇に軽く口づけるだけで離れた。
「あまり俺の理性を試さないでもらえますか?」
こつ、と額を合わせてるとニアンの頬が赤に染まっていく。
「近……」
「逃げるな……じゃなくて、逃げないでくれ」
「む、無理。大好きな人がこんなに近くで、キ、キスとか……は、恥ずかしすぎる」
「だからそういうのがたまらないってんのに」
ロカは顎をつかんでいた指でムニとニアンの唇を押しつぶした。
「口開けろ……てください。舌が入れられません」
「ロカ、ちょこちょこ敬語を挟むのをやめて――」
「じゃあ、舌を入れていいか?」
親指でニアンの唇を撫でる。
赤いと思ったはずのニアンの顔がもっと赤くなった。
「い――」
「そんな顔されたら嫌って言ってもするけどな」
近づくロカをニアンは避けなかった。指で開かせていた唇を割って舌を口腔に入れる。
微かに舌先を舐めて唇を放した。
また押し当てて次は大きく唇を割る。
ちゅ、ちゅ、とキスを繰り返したロカは最後に少しだけ長く舌を絡めてから離れた。
瞳を覗き込むと恥ずかしそうな様子を見せるニアンだったが、逃げることはしなかった。
「気持ちよかったですか?」
ロカがそう尋ねたとたんニアンが怒り出した。
「もうっ、敬語はやめてくださいっ!」
「アハハ、俺は気持ちよかった」
腕の中からニアンを開放してロカはこちらを睨む彼女の眉間をつついた。
「不細工だな」
「誰がさせてるんですか!」
「でも可愛い」
ニアンは両手で勢いよく耳を押さえた。
手が離れたため膝掛けが彼女の肩から滑り落ちる。
「ロカはわたしを殺す気ですか!?耳に毒です。普段、そんなこと絶対言わなさそうな顔してるくせに!タラシですか?これがタラシ男というやつですか!?」
ふは、とロカは笑っていた。
耳に毒?
目に毒は聞いたことがあるが、おそらくニアンの造語だろう。よほど動揺しているらしい。
ロカは落ちた膝掛けを拾ってニアンの頭に被せると、耳を塞ぐ手を引っぱって、露わになった耳殻に唇を近づけた。
「次からは本気でたらし込む。俺に口説かせてくれるんだよな?」
あの日の宣言でニアンが言ったことだ。
耳朶に軽くキスしてロカは今度こそ扉を開けて家に入った。
振り返ってニアンを手招く。
ロカがキスした耳を両手で押さえるニアンが涙目でブルブルと震えていた。
「殺されます。わたし、ロカに殺されます。いまも、悶え死にしそうです。なんですか、それ。ロカは恰好よすぎです」
この顔を見るのが自分だけであればいい。
思いながらロカはもう一度外に出てニアンの手を引っ張った。
「エロイことができないまま死なれちゃ困る」
「そういうこと口に出さないでください」
「あー……無理」
苛めるのが癖になりそうだ。
恥ずかしがって泣き出してそれでもっと――。
(俺のことしか考えられなくなればいい)
考えるだけでぞくぞくする。
興奮する。
ロカは皆がいる部屋にニアンと手を繋いだまま戻った。
「ライ、ほしい家の条件が変わった。ニアンと暮らせるだけの広さがほしい」
扉に背中を向けていたライが、おう、とばかりに笑顔で振り返った。
「おまえら、うまくいったのか」
まだダイニングテーブルについていて、酒の入ったグラスを手にしている。
料理の残りを肴にしているようだ。
「まぁそうなの?本当にじれったかったわ」
厨に立ち、やっとねぇと笑うレリアの隣で、菓子の準備をしていたカーナが喜んだ。
「ニアン、よかったわね」
「ロカぁ~、俺が狙ってるって言ったのに」
椅子が足りなくて店の椅子に腰かけていたルスティが、恨みがましい目を向けてくる。
「ああ、すまん。俺自身、自分の気持ちに気がついてなかった」
「そうだよ、おまえ自分に興味なさすぎなんだよ。ロカがニアンを好きなのは見てればわかったし、なのにニアンは全く気づいていないっていう……鈍いのは本人たちばかりってね」
膝を抱えて椅子に座るルスティがむくれてそっぽを向いた。
「人のがほしくなるっておまえさん、悪い男になりそうだ」
トゥーランがソファの肘掛に頬杖を突きつつルスティへ言った。ロカから見える横顔が呆れている。
「ああ、不倫かい?貴族には多いな。もちろんわたしは妻一筋だけれど」
彼女の向かいでディオが腕組みをしつつ言った言葉に、カーナが軽蔑するように顔を顰めた。
「え?不倫?兄さん、サイテー」
「ちょ、俺、今まで略奪愛なんてしたことないし。つか、ディオ、俺の信用を失うようなこと言わないで」
「人のものを欲しがる者にはそういう悪癖があることが多いと言っただけだ」
「僕が知る限りルスティは告白するよりされるほうが断然多かったね。だから今回ニアンのこと、結構本気だったんじゃないかな」
ライの隣に座るラッシがこう言うと、彼の斜め向かいからヘリングが真面目な顔でルスティを見た。
「失恋か。今日はつきあうぞ」
テーブルにあったワインボトルを持ち上げる。四人掛けのテーブルに店にあった台をくっつけて、二人分増やしたそこにルスティはいる。ちょうどヘリングの隣だ。
椅子の上で彼はヘリングへ目を向けて、すぐにフイとそらした。
「いらない。俺がニアンを奪えるなんて思ってなかったし、本気になる前に諦めてたっつーの。ロカがあまりにもぼやぼやしてるから煽ってたんだよ」
そうしてルスティは不機嫌そうな様子のままロカへ言った。
「――ってことだ。わかったか」
「いつもはもっと積極的なおまえがおとなしいと思った」
「俺がニアンに近づこうとしたら思い切り釘刺したくせに。ニアン、こいつ恋愛に関しては鈍感バカだから。気持ちを察してほしいなんて思ってても伝わんないし、がんがんアピってけよ」
アピールせよと言われたニアンがどんな顔をしているのかとロカが見下ろせば、ちょうど彼女もこちらを見上げたところだった。
まだ膝掛を頭にかぶった姿で、視線が合ったことにびっくりしたのかニアンが息を詰めている。
「俺に迫ってくれるのか?」
にや、と笑うとニアンが無言でロカの腹をパンチした。
思わぬ反撃に対処しきれず、う、とロカはわき腹を押さえる。
彼女の頭から膝掛けがずり落ちた。
「いきなり同棲とか……」
「ん?」
「急展開過ぎて頭がついていきません。もうこれ現実じゃないです。ぜったい夢です。幻です」
あまりに動揺するから一緒に暮らすことに戸惑っているのか思ってしまったが、どうやら杞憂だったらしい。
「だからって俺の腹を殴って確かめないでくれ」
「痛かったですか?――っアイタ!」
ロカはニアンの額を指で弾いた。
「痛いだろ?」
両手で額を押さえるニアンが頷く。
「はい」
「じゃあ現実だ」
髪を混ぜ返すようにして頭を撫でるとさらにニアンの笑顔が弾ける。
その笑顔にロカにもまた笑みが浮かんだ。