ホロ酔い
その日の夜、ライの家に皆で集まることになった。ディオとヘリングの来訪を知ったレリアが食事会を企画したのだ。
ラッシとトゥーランの家はライの家より狭いため、ライの家で食事会は開催となったが彼の家もそこまで広いわけではない。
もともと四人家族のところへロカとニアンが居候して六人になっているのだ。そこへさらに四人押しかけてきた食事会は賑やかで楽しかったが、部屋の人口密度が半端なかった。
ニアンは新しく紹介された三人の元傭兵たちに緊張していたが、それでもロカを頼ってくることはなくやはり避けられた。それどころか視線が合えばそらされて、すれ違うことすら厭われる。
食事が終わりそれぞれに話を始めた頃。ロカは輪を離れて窓辺の壁に寄り掛かった。
外との寒暖差からか窓が曇って外は見えない。
溜息をついてロカはそのまま床に座り込んだ。食事の際に飲んだ酒が今頃回ってきたらしい。
(疲れた)
ヘリングとの手合わせはロカの敗北に終わった。木の剣での打ち合いは何度か押されはしたがいい勝負だった。
ただ案じた通り二人の剣技に木の剣は耐えられたなっかようだ。ロカの剣が折れたのをきっかけに肉弾戦にもちこんだら、重量の差も手伝って少しずつ体力を削られ、最後は宙を見ていた。
一瞬の隙をつかれ投げられたのだと思った時には地に転がって、拳を喉に叩き込まれるのを寸止めされていた。
金階級になって驕っていたわけではない。が、それでも互角に戦えるのではと思っていたのに。
ヘリングは楽し気にライやレリアと話をしている。
(くそ、なんだってあんなに涼しい顔を)
ヘリングのほうが少し身長は高いがそこまで差はない。けれど体は明らかにヘリングのほうが大きい。体格差がそのまま体力差に表れているのだろう。
手合わせ後、ヘリングからは思った以上にやるようになっていて驚いたと言われた。
速さと剣技は申し分ないが、押されてくると力で押し返すだけになり余裕がなくなる。そういうときこそ柔らかくしなやかにしなくてはならない。
剣が折れたのは強引な攻めを繰り返したせいだ……諸々。
(ご指南ご最も――て、俺の師匠かよ)
思い返された言葉に胸中で突っ込みを入れたロカは、悔しさを紛らわすようにゆっくりを息を吐く。
と、視線を感じて目を向けた。同時にニアンが首を横に向ける。
レリアかカーナに切ってもらったのだろう。不揃いだった髪は短くなって首までの長さになっている。
殴られた頬の腫れは引いていたが、肌の色が未だ変色したままだ。当初より随分とましになっていても痛々しい。
やっとこっちを見たと思ったらまた目をそらすのか。
そう思うと溜息が出そうになった。
ちら、と再びニアンに視線を向けられ、ロカはそらすものかと見つめ返してやる。
するとニアンが慌てて目を背けた。
そしてしばらくするとまたチラ見され、それる。数秒後、見られる。それる。
(何なんだ)
避けているんじゃないのか?
ちらちらとする視線がいい加減うっとうしくなったロカだ。
「ニアン!」
「っはい」
あまりの大声にニアンは反射的に返事をしてしまったようだ。椅子に座っているはずがピンと背筋が伸びている。
「用があるならこっちに来い」
だが来いと命令していると気が付いて、
「いや、来てくれ……でいいのか?」
と言い直した。
ロカの声に皆が驚いている中、ルスティが一人ウケて、あははと大笑いしている。
大方ニアンに命令していると指摘されたことを気にしていると思われたのだろう。
(ああその通りだ)
言葉使いを意識するようになれば、どれだけ上から目線で彼女に物を言っていたか自覚した。
カーナの隣にいたニアンは迷う素振りを見せながらも立ち上がった。「大丈夫?」と声をかけるカーナに「平気」と手を振って、緊張した面持ちでロカに近づいてきた。
「外で話そう」
周りがこちらに聞き耳を立てているのがまるわかりでニアンを外へ誘った。頷くニアンを確かめソファにあった膝掛をつかんだ。
裏通りに続く扉から外に出ると思った通り外気は冷たかった。しかしホロ酔いのロカにはちょうどいい。
満月に近い丸い月のおかげであたりはぼんやりと明るかった。
「寒っ」
あとをついてきたニアンが首を竦める。長い髪がなくなって寒さが応えるのだろう。
ロカは手にあった膝掛をニアンに巻き付けた。大きいので体をすっぽりと覆えてしまう。
「これで少しはましか?」
「え?ロカは?」
「酒で体が温かい」
自身を抱きしめるように膝掛を両手で掴むニアンが俯いた。
「ありがとうございます」
やはり視線は合わせたくないのか。ロカは建物に寄り掛かると裏通りへ視線を向けた。
「さっき――」
ロカが口火を切るとニアンが体を震わせた気配があった。気づかないふりで話を続ける。
「さっき俺を見てたよな」
「……はい。なんだか疲れているような気がして」
「ラッシのところでヘリングと手合わせをした。そのせいだろう」
「そうですか」
「で、ヘリングに負けた」
「え?ロカが 負け……?――それはお気の毒でした」
ふ、とロカは笑ってしまう。
「妙な慰めの言葉だな」
くくくと笑っているロカにニアンが戸惑っているのが分かる。
さくっと本題を話せないのは彼女の本心を聞きたくないからかもしれない。
笑いをおさめてロカはやっと本題を切り出した。
「俺を避けるのはあの夜のことを怒っているからだよな」
「………」
「あれは告白に萌えたというか……ニアンに萌えたというか……――」
何か反応してくれたら会話の意思があるとわかるのに、ニアンが顔を上げる気配はなかった。
これではとっかかりもつかめない。
それどころかまだ逃げ回られるのか?
ロカは建物から背を起こしてニアンの前に立った。
「あー……おまえに避けられるのは思った以上にこたえる」
ばっとニアンが顔を上げた。月影に照らされているおかげで表情もわかる。
やっとニアンとまともに目が合った。
「そんな素振りちっとも――ていうかいま「おまえ」って……」
「ん?え?いや別に意識してたわけじゃないが……言ったか?「おまえ」なんて……んー?言ったな」
カーナを「おまえ」と呼ぶのをニアンが気にしていたのが頭に残っていたのかもしれない。
(案外単純だな、俺)
今日まで知らなかった事実に気が付いて、ロカは一人苦く笑う。
「キスのとき拒絶されてけっこうへこんだ。一晩寝たら機嫌が直るだろうと思ったら、避けられまくるし。考えてみれば俺は気持ちよかったが、ニアンは嫌がっていたから気持ちが悪かったのかと――それもショックだった……て、何を言ってるんだ俺は」
話すうち自分が情けなくなってきた。
口を手で覆ってこれ以上みっともないことを言わないよう蓋をする。
「もしかしてあのキスはロカの返事だったのですか?」
質問に、ロカは自分の気持ちに目を向ける。
どうしてあのときキスをしてしまったのか。
可愛いと思ったら止まらなかったような……。
(そもそも俺はニアンとどうなりたいんだ?)
衝動的に動いてしまうほど心を動かされた女がこれまでいただろうか。
「例えばなんだが、笑っていてほしいと思う相手は、自分にとってどういう存在なんだと思う?」
襲われて怪我をしたニアンの診療中、廊下で待つあいだ彼女の泣き顔ばかりがチラついて、後悔が胸を苛んだ。
あのときに思ったのだ。
笑ってくれと。
質問を返されると思っていなかったらしいニアンが、戸惑いを孕んだ声で答える。
「笑っていてほしいってことは、幸せでいてほしいってことですよね。だったら大切な人なんじゃないんですか?」
言葉がすとんとロカの胸に落ちた。
(大切な……?)
笑いがこみ上げる。
「は、はは……そうか。そうなのか」