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Dog tag  作者: 七緒湖李
23/109

グリューワイン

「ディオとヘリングは来るだろうけど、ハンティンは無理じゃないかな。隻腕になってから現役の頃みたいに動けないって言ってたし、最近、二人目ができたばかりだから」

 陽光が差し込む窓の側にあるテーブルにカップを五つ並べ、そう言って鍋の液体を注いでいるのはトゥーランの夫のラッシだ。

 髪はトゥーランと同じで白髪が混じり金色の輝きも加齢のせいか鈍い。背はあまり高くなくて妻より少し高い程度の、柔和な面差しをした男だった。

 ラッシもまたライの傭兵仲間でボギーに報酬を奪われた一人でもある。つまりラッシとトゥーランは仲間同士で恋仲になり結婚したのだ。

 ライが一番年長で、ラッシが一歳違い。トゥーランはさらに三、四歳下になる。一番年長のはずのライは二人と違って白髪はほとんどない。剛毛が少しへたってきたらしいが、それもわからないくらい、後ろで束ねた髪の量は昔と変わっていないように見えた。

 ここはラッシとトゥーランの家だ。ライの家から歩いて四半刻のさらに半分ほど時間で着く距離だ。そこをロカは、ライとルスティを伴い訪ねていた。

 ラッシの他にテーブルに座るのはトゥーランとルスティだ。ライが二人掛けのソファの真ん中に陣取っている。

 ロカはというと、ライの座るソファの背に腰を預けていた。 

「ハンティンの子はあたしが取り上げたんだよ。元気な男の子だった」

 夫の話を引き継ぐようにトゥーランは微笑んだ。赤ん坊のことを思い出してもしたのだろう。ハンティンはロスロイから馬を飛ばせばすぐのところの、小さな村に住んでいたはずだ。

 怪我で片腕をなくして現役を退き、郷里に戻ってしばらくたったころ幼馴染と結婚した。

 ロカがそんなことを思い返していると、

「俺、聞いてないぞ」

 ライが言うとトゥーランが頬杖を突きながらぞんざいに答える。

「いま言ってるじゃないか」

「いや、そのときに言ってくれよ」

「産気づいてるときに連絡なんて入れられるか」

「さすがにそんな大事なときにって話じゃないっつうの。あーもう、ラッシ、おまえが連絡くれよ」

「この間レリアに市場で会った時に話したよ。ロカが女の子を連れて戻って、その子が怪我をしたからもう少し落ち着いたらライに話すって言ってたんだけど。まだ話してないってことはそんなにひどい怪我なのかい?トゥーランは怪我よりショックのほうが強そうだって言ったね」

 赤紫の液体から湯気がたつカップにシナモンを入れて、グリューワインを仕上げたラッシは、近くにいる人間から順に飲み物を配る。彼は最後のロカの前で立ち止まってにっこりと笑った。

「可愛い子なんだってね。ルスティと奪い合ってるって聞いたよ」

 昔から穏やかな性格でガタイもいいわけではない。気配を断つのがうまく身軽で仲間内では斥候を担当していた。

 ラッシの台詞を受けて先に答えたのルスティだった。

「俺はだいぶ分が悪いけどね~。ニアンはロカに惚れてるから。あ、でもここんとこ、こいつめっちゃ避けられてんの。――お、うま」

 グリューワインを飲んだルスティが美味そうな顔をした。ラッシがテーブルのルスティを振り返る。

「避けられてる?どうしてだい?」

「さぁね。ロカは秘密主義だから俺に話すわけないし、ニアンに尋ねても変な顔になってだんまりだし」

 ロカはカップに口をつけようとして、ラッシの視線を感じた。

「何をやらかしたんだ?」

 ラッシの質問にルスティだけでなく、ライとトゥーランの目も集まった。ロカは無言のままグリューワインを飲む。

 火にかけたことでまろやかになった赤ワインにレモンとシナモンの香りがして、ルスティのいう通り確かに美味い。

 そうえいばラッシは昔から料理が得意だった。トゥーランが医師として忙しくしている代わりに、家事のほとんどをこなす主夫だ。

 ロカが黙ってしまったことに気を悪くするでもなくラッシは目を細めて微笑んだ。

「君は昔から無口だったね。話しかけると受け答えはしてくれたから悪い子じゃないってわかったけれど、言いたくないことは頑なに口を噤んでしまうから困ったものだったよ。いまもそれはかわらないな」

「そーそう、生意気なガキんちょだったね。警戒心むきだして、痩せっぽっちの野良猫みたいなさ。それがどうだ。いまじゃこんなに育って、一人で大きくなったみたいな顔をしてるんだからね」

 トゥーランが鼻で笑いながらカップに口をつけた。今度はライが腕組みしながらうんうんと芝居がかった様子になった。

「俺なんか最初、噛みつかれたしなぁ。飯食わしてやるっつってるのに逃げ回って、疲れたところを捕まえたらガブーって」

 子どもの頃を知られているというのはきまりが悪い。

「へー、ロカってそんなだったんだ。うちに来たときはもうちょっと人間らしかったよな」

「黙れ、ルスティ」

「おまえなんで俺にはきっついの?」

「気心が知れてるからだろう」

 とルスティへ笑うラッシが、でも、ロカを見た。

「女の子には優しくしないとね」

 ニアンのことを言っているのだとすぐにわかった。

 まさか無理やりキスしたことはばれているはずもないのに。

(見透かされてる気がする)

 そう思いながらカップに口をつけたロカは、直後にライが言った台詞にワインを吹きそうになった。

「そういやロカ、おまえトム爺さんとこの孫のカルミナを弄んで捨てたんだっけな。若いうちに女遊びしとこうって気持ちも分からなくはないが相手を選べ」

「カルミナに手を出したのか?やるねぇ。トム爺に殺されないように気をつけな」

 トゥーランが可笑しそうな様子でワインを飲む。

「よりにもよってカルミナか。トムさんが目に入れても痛くないほど可愛がってたろう?」

 目の前に立つラッシは物好きなというような表情になっていた。

 ロカは知らんぷりを決め込んでワインを飲んでいるルスティに、ジロと視線を向けた。

「手を出したのはそこの色ボケ男だ。俺はカルミナからこいつとのことを相談されていただけなのに、それを見た爺さんが勝手に誤解したんだ」

 ロカの説明に三人の目がルスティに集まった。すると彼はカップから口を離して悪びれもせずへらりと笑う。

「ガードが緩そうな子にとりあえず近づいておこうかなって。好奇心旺盛な年頃だったしさ。超気持ちいいって聞いたらやってみたくなるのが男ってもんだろ。いまはそんなことしてないよ。彼女ができたら一筋だし」

「我が息子がこんなにも下の緩い奴だったなんて」

 頭が痛いというようにライが額を押さえる。

「いやライ、君も人のことは言えないよ。レリアと出会うまで遊びまくってただろう」

 付き合いの長いラッシはどうやら彼の過去を知っているようだ。

 初耳らしいトゥーランが眉を上げた。

「へぇ、血は争えないってわけか。レリアは知ってるのか?」

「浮気したらちょん切るとか言われていたね。見かけによらず過激だから、レリアは」

「はっ、ホント格好いいね、あの子」

「おう、そこに惚れた。いい女だ、レリアは」

 ライとレリアの昔話はどうでもいい。

 ロカはカップに残っていたワインを飲み干すと、テーブルに近づいた。

「ルスティ、爺さんにカルミナとのことを言わないでくれとおまえに頼まれたから今日まで黙っていたが、いい加減目の敵にされるのも鬱陶しい。しかもおまえは俺に濡れ衣を着せてのうのうとしている。そろそろ報復してもいいと思うがどうだ?」

「え?ロカ、怒ってる?」

 びくびくと見上げてくるルスティを見下ろすロカは、手にあった空のカップをテーブルに置いた。

 トゥーランの隣の席に腰を下ろすと、斜め向かいにいるルスティに冷たい目を向けた。

「爺さんに本当のことを話せ。弄んだのは俺でしたってな」

「え!そんなことしたら俺、殺されるじゃん」

「謝ればいいだろう。カルミナにも謝れ」

「カルミナはもう結婚したよ。どっかの金持ちの次男とかで超玉の輿だってさ。迫りまくって落としたって話は有名だ。えーっといまはどこに住んでるんだったかな?とにかく子どももすでに二人いて双子だってさ」

「は?」

 ロカは目をしばたたいた。

 おー、そうだったなぁとライが思い返すように声をあげた。

「ロカが早く金を貯めたいから傭兵業に専念するって町を出てった頃に、そういうことがあったな。あれからおまえ、随分とロスロイに帰らなかったし、知らなかったのも仕方がない」

 ロカは混乱するだけだった。

(ちょっと待て、あの爺さん、孫はとっくに幸せになってんのにまだネチネチと恨み言を言っているのか?)

 というかカルミナもルスティが運命の人だとか言っていなかったか?

 頭が痛くなってきた。

 ロカがしかめっ面になっていると、トゥーランが苦笑を浮かべた。

「ルスティたち二人はちょうどそういうことに興味がある年ごろだったんだろう。目の前にいた者同士でくっついただけで熱に浮かされてたんだろうさ。巻き込まれたあげくトム爺にまで恨まれてるなんて、案外間抜けだね、ロカ」

「いま一番自分がそう思ってる。ルスティの頼みなんて無視して、さっさと爺さんに本当のことを話すべきだった」

「俺、ロカのそういう情に厚いところが好きだー」

「俺はおまえのそういうチャラいところが嫌いだ」

 そして声音を低くし、

「ボギーを探してくれと俺が頼んだ依頼はもちろん無償だな?」

 ルスティを睨みつける。

「え!?俺、けっこう金をかけてるんだけど。ていうか相手はこれまで何度も仲間の金を奪って逃げた、雲隠れの天才だよ。一旦姿を消したらもう跡形もない。プスタの傭兵ギルドはすでにもぬけの殻だったって話したろ」

「そんなこと、俺に正体がばれた時点で逃げるとわかってた。逃げる奴を見た人間が一人もいないはずはないのに未だ情報もない。おまえはとんだ無能だな」

 無能の言葉にルスティがむっと口を開く。

「無能じゃねぇわ。向こうはロカを消すために傭兵に依頼してるだろ。その依頼の出所を探ってったらボギーに行き着くっての。じきに居場所がわかるから狩る準備して待ってろ」

 彼がこう言うのなら、おそらくボギーの居所の目途はだいたい立っているのだろう。確認をとっている最中といったところか。

 頼んでからほんの数日で大したものだ。思っていても口には出してやらない。そのくらいの腹いせはしたい。

 ロカはボギーの名前を聞いたとたん、顔つきを変えた元傭兵の仲間たちに向き直った。

「みんなも一緒にボギーのところへ行くっていうのは決定事項か?」

「決定だ」

「そうだね」

「行かないわけがない」

 ライとラッシが顔を見交わせて頷き合い、ロカの隣に座るトゥーランは瞳に剣呑な光を宿し指を鳴らした。

「あのクソ男のせいで医学の勉強するのに借金したんだ。あの報酬があれば余裕だったのに」

「僕もトゥーランにプロポーズするのが数年遅れたんだよ。二人の生活に必要なお金を貯めるために傭兵を続けて死にかけたしね」

「俺は認識票を再発行してもらおうとしたら、奴が報奨金を先にもらってたから本人かどうか疑われて、危うく偽証罪で牢にぶち込まれるところだった。報酬をあてにして家も買ってたからレリアに苦労させたし」

「ふーん、父さんたちみんなそのボギーってやつに煮え湯を飲まされてるんだ。ディオとヘリングも怒ってるんだよね。二人のいる大都だいとに使いをやったんだろ。すっ飛んでくるんじゃない?」

 カップを傾けながらルスティが言葉を続ける。

「でもさ、ロカはともかく全員現役を退いて随分経ってるだろ。動けるの?」

 瞬間、ロカは部屋の温度が下がった気がした。

「おうルスティ、表に出ろや」

 ゆら、とソファから立ち上がったライが息子に近づいた。

「と、父さん?」

「うちの馬を使って僕たちから逃げてみるかい?ルスティ」

 ラッシが笑顔で外を指さす。

「ラッシ、目が笑ってない……んだけど」

「あんたみたいな小僧、あたしらにかかれば赤子も同然だ」

「トゥーランに至ってはすでに悪人面だから」

「よし、捻りつぶすか」

 ロカが乗っかって冗談を言えば、ルスティがすがるような目を向けてきた。

「なんでロカまで!?そこは助けろよ」

 情けない声を無視してロカがそっぽを向いたところで、家の扉が大きく叩かれた。

 そして聞こえる声が二人分。

「ラッシ、トゥーランいるか?ヘリングだ」

「他にも声が聞こえたが、もしかしてライもいるのか?」

 噂をすれば、というやつだ。

 訪ねてきたのはさっき話に出たヘリングとディオの二人だった。






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