そんなこと2
「み、見ないでください。こんなみっともない。嫌だ……どうしてロカの前で……嫌……ヤです。見ないで」
身を捩るニアンは体が傷んだのか小さく苦痛の声を上げた。
「ニアン、怪我をしているのに無理に動くな」
「嫌、やだ……」
「落ち着け」
ロカはベッドに近づくと、ニアンを引き寄せ強引に胸に抱いた。
「こうすれば見えない」
逃げようと胸を押す彼女の頭を自分に押し付けながら枕元に腰を下ろす。
「で、で、でもこれって……近い、っていうより抱き、抱きしめられて」
「逃げるな」
顔を持ち上げようとするニアンの後頭部を押さえつけると、しばらくあってやっとおとなしくなった。
柔らかなニアンの髪をロカは撫でた。背中の半分ほどまであったものが短いところでは首のあたりまでしかない。
「詫びに俺は頭を丸めようか?」
「いりません。ドレスを着たときに恰好がつかないから伸ばしていただけです。長いと乾くのに時間がかかるし、手入れだって大変だし、わたしは男の人が羨ましかったです」
だから気にしないでください、と続くニアンの声に怒りは感じられなかった。
それどころかこちらを気遣う言葉を口にする。
最初は変な女だと思ったが、彼女のこういう素朴な優しさにいつ頃から慣れてしまったのだろう。
「……そりゃルスティに胡坐をかいていると言われるか」
「はい?」
もぞ、と顔を上げたニアンと目が合う。
あまりの顔の近さに驚いたらしいニアンが固まった。そして直後に、彼女の手のひらで顔面を押さえつけられる。
「見ないでって言ったじゃないですか!」
「今のは不可抗力だ。顔を上げたのはニアンだろう」
「だったら目を閉じてください。それが紳士ってものです」
瞼のかわりとばかりに両目を右手で覆われ視界が奪われる。
ロカは抵抗をしなかった。ニアンにされるがままの姿勢を貫くことにしたのだ。
結論を知りたがることより、ニアンのペースで話をしよう。
「ニアン、さっきの話、どうして怒ったんだ?」
「さっきの話?」
「だから「あんた」とか「おまえ」とか、どうして呼び方を気にするのかがわからない。俺が無神経だからいつもニアンを怒らせているんだろう?ニアンが何を考えて、どう思っているのか教えてくれないか?」
「……ずるいです」
「ニアン?」
「ロカはちゃんと大人の男の人でわたしばっかり子どもみたい」
「大人の男?」
また意味がわからない。確かにニアンより数年長く生きていて、その分大人と言われればそうかもしれない。
が、ちゃんと大人?
(大人っぽいとかそういうことか?)
こんなしょっぱなからどういうことかと尋ねてもいいのだろうか。
話の腰を折ったと怒ったりしないか?
「そうです。感情的になっていてもすぐに気持ちを切り替えられるじゃないですか。余裕があって落ち着いてて、わたし一人あたふたして嫌になる」
「傭兵を長く続けるうちに感情が馬鹿になっただけだ。どうやれば敵を多く叩けるかなんてことばかり考えていたし、過程より結果だけを求めるようになった。でも人と人との関わりはそれじゃ駄目なんだろう?」
「ロカはわたしとの関わりをさっさと絶ちたいのではないのですか?大切な人を誤解させるから」
「それがカーナだと?」
「はい……あの、本当に違うのですか?」
「違う」
ロカがきっぱりと言い切るとニアンが黙り込んだ。両目を塞がれたままロカは次の言葉を待つ。
「さっきのは怒ったっていうか羨ましくてモヤモヤしたっていうか……わたしもロカの「特別」になりたかったんです。――も、ももっ、もっと言えば、わたしだけが「特別」になりたいんです」
声が緊張していた。
ロカの両目を押さえるニアンの手が、いつの間にか汗ばんでいる。
「ニアンのそれは告白か?」
ぴく、と手が震えた。
「そう、です」
「俺といたせいで今日また襲われただろう。殺されると思ったんじゃないか?」
「それは……はい、思いました」
「ならもうそんな目にあわないよう、俺から離れたいと思わないか?どうして俺なんだ?ニアンは俺が優しいと言うが特別優しくした覚えはない」
「だからです。祖父のところにいたときは、伯爵の孫だから大事にされる。会う人みんな、上っ面であっても優しくする。でもロカは違いました。ロカが気まぐれでわたしのことを助けてくれたんだってわかってます。足の怪我の治療だって、ひどくなって歩けなくなると困るからってことだったんでしょう。最初はずっと無表情でたまに変化しても面倒そうで、無口かと思ったらずけずけ物を言って、何かあればすぐに契約を解除するって脅してきましたし」
これは責められているのだろうか。思いながらもロカは黙って話を聞いた。
「だからわたしも最初は、ロカについていくしかないって思っていただけでした。他に頼れる人がいなかったし……。けれどそのうち気が付いたんです。わたしが痛くないようにそっと傷口に薬を塗ってくれてたことや、歩く速度を落としてくれてたこと。不愛想なのに話しかけたらちゃんと返事をしてくれて、呆れながらもわたしの質問やおしゃべりにつきあってくれる。ぱっと見はわからないけれど、本当は優しい人だって思いました。わたしの周りはずっと冷たかったし、信じていたものも嘘だった。でもロカだけが温かかったんです。ロカが教えてくれる世界は温かいんです。それで充分です」
ニアンの話を聞いてもロカはまたしても、「そんなこと」としか思えなかった。
「もっと外の世界を見ればいろんな人間を知る」
「ロカに大切な人がいると前に聞きました。でも諦めさせようとしないでください。距離を置こうとしないでください。嫉妬して不機嫌になったりしないよう気を付けます。だからこれからもわたし――……わたし……は、ロカへの気持ちを消したくないです ――」
途切れがちだった声が小さくなって言葉を詰まらせたニアンから、言うのを躊躇う気配が感じられた。
両目を押さえる手から直に緊張が伝わってくる。息を吸い、言いかけては言い淀むことを繰り返す。
そしてやっと声が聞こえた。
「い、一度だけ……ちゃんと言っても――……い、言わせて欲しいです。聞いてもらっても?」
震える声にそれだけ本気なのだと感じる。そしてロカは聞きたいと思った。
「ああ」
「ロカ、あなたが好きです」
告白がロカを衝動的に動かした。目を塞ぐニアンの手を引きおろす。
「え?だ、ダメ……」
反対の手を突き出してロカの目を覆おうとするニアンの顔は、これ以上ないくらいに赤かった。ロカはニアンの反対の手もつかんで目を塞がれるのを阻止する。
「なんで?見ないでくれるんじゃ……目を開けちゃ駄目。ヤです」
嫌がるニアンの両手をロカは引き寄せた。
「ロカ……何を――んむっ」
強引に唇を奪う。ニアンが顔を背けるが、顎をつかんで無理やり唇を合わせる。
(やばい)
嫌がっているのがわかるのに止まらない。
「やっ……ぁむ――」
しゃべろうとして唇が開いたのを見逃さず舌を入れた。
「ふっ……ん、……っんー」
ニアンの告白が胸にきた。
そしたらどんな顔をしているのかと見てみたくなった。
赤くなったところは何度か見たことがある。
(――のに、なんだあの顔)
一瞬だけ見た真剣な目に魅せられた。
「……ん……ふっ……んん」
声や吐息にまでクソ萌える。
ニアンの舌を絡めとって唇を強く吸う。角度を変えて柔らかな舌を甘噛みし、逃げるのを追いかけて口蓋を舐める。
ニアンとのキスが思いのほか気持ちよくてロカを夢中にさせた。もがいていたはずのニアンから力が抜ける。
そこでやっとロカは正気に戻った。
ヤバイと唇を離せば、涙目のニアンはくったりとして反応がない。
「ニアン?」
心配になって顔を覗き込むと、ニアンははっとしてロカを突き飛ばした。
だが怪我が痛んだらしく、顔を顰めてそのままベッドに突っ伏してしまう。
そういえば唇も切っていたはずだ。
キスは傷にしみたのではないだろうか。
「大丈夫か」
肩に手をかけるとこちらも見ずに強く払われた。
「出てってください」
ベッドに伏せたニアンの声はくぐもっているが拒絶の言葉は鋭かった。
「出てって!」
そのまま布団を被ってしまう。
これでは声をかけても無駄だろう。
部屋を出たロカは静かに扉を閉めて数歩歩き、立ち止まった。そのまま溜息をついて廊下に座り込む。
(やってしまった)
手を出す気なんてなかったのに。
距離を置いて離れるつもりが、いじらしい告白に我を忘れた。
「……あー、くっそ可愛い……」
呟くロカは髪をかきあげるようにして頭を覆い、俯いた。
「おまえ、何やってんの?」
ふいに声がした。
階段から姿を見せたのはルスティだった。廊下に座りこむロカを訝しげに見つめてくる。
「おまえこそなんだ?」
「カーナにおまえとニアンが二人きりだって聞いて気になった。ぶっちゃけ、邪魔しに来たんだよ」
正直な男だ。
立ち上がったロカはルスティに近づいて彼の肩を叩いた。
「ニアンが可愛いって俺もわかった」
そう告げてルスティを廊下に残し、階段を下りていく。
「は!?ちょ……ロカ!?ニアンと何があったんだよ!?」
返事をしないまま階下へ下る。
ルスティが追ってくることはなかった。