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Dog tag  作者: 七緒湖李
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あがく

「っぁ!」

 小さく声をあげて川原に転がったのは女だった。足場が土から石に変わったせいでバランスを崩したらしい。

 薄いワンピースは寝衣だろう。あちこち破けているのは小枝に引っ掛けたからか。

 転んだせいで乱れた長い髪を払い、女はすぐに立ち上がって、少し下流にいるロカに気づいた。ギクと身を強張らせて両腕で自身を抱きしめる。

「どこ行った!」

 森から男の大声がした。女はハッと声のほうを振り返った。

 直後、ざざ、と枯葉をまき散らし森から三人の男が現れた。

「お嬢さん、追いかけっこはいい加減終わりに……――誰だおまえ?」

 男の一人がすぐにロカに気が付いて、構えたままの剣に視線を走らせる。逆にロカも全員の腰に剣があるのを確かめた。

「……す……て」

 ロカと男たちの間に立つ女が縋るような目を向けてきた。

「助けて……」

 とたんに男たちの目に殺気が宿る。ロカを敵とみなした目だ。

「助ける?なぜだ?」

 しかしロカの返答に男たちは意表を突かれたようだった。女の顔には絶望が走る。

「俺は関係ない。助かりたきゃあんた自身が死ぬ気であがけ」

 剣をおさめたロカは彼らに背を向けた。

 乞われるまま人助けなんてしてたら命が幾つあっても足りない。じゃぶじゃぶと水音をさせて川を渡るロカの背後から再び女の声が聞こえた。

「で、では、わたしに人の殺し方を教えてください」

 ロカの足が止まる。女の言っていることが意味不明過ぎて思わず振り返ってしまった。

「人の殺し方?」

「死ぬ気であがこうにもわたしは彼らに対抗する力も武器もありません。囲まれて押さえつけられたら終わりです。だから……一撃で確実に殺せる方法を――」

「あんたにはできないだろ。人を殺したことなんてなさそうだし」

「確かにありません。ですがあなたがおっしゃる「死ぬ気で」とは、そういう意気込みが必要なのではありませんか?」

 なんだ、この変な女は。

「じゃそこらに転がってる石で力いっぱい相手の頭を殴ればいい」

 どうせできもしないくせに。

 だがロカの予想とは裏腹に女は大きくて丸い石をつかみ上げた。

 意を決した様子で男たちに向き直る。

「おいおい、なにその男の言葉に踊らされてんだ?」

 女がじり、と男たちに近づく。

「やめときな。お嬢さん育ちのあんたじゃ俺らにかすり傷一つつけられねぇ」

 また一歩、歩みが進んだ。

「おとなしくしてりゃ、俺たちが優しく相手してやるって言ってんだ」

 女の足が止まらないため男たちが剣を抜き放った。

 さすがに光物をみせられ、女は怯んだように立ち止まった。

「ほら、そんな物騒なもん捨てちまえ。どのみちもうあんたには帰る場所なんてないんだ」

「おれたちのもんになったら町の奴らもあんたは見逃してやるって言ってんだぜ」

「逆らわなきゃ可愛がってやるし、これまで通りきれいなドレスも着せてやる」

 猫なで声の男たちの台詞からロカは女がアルセナール家の者だと思った。

 パリト伯爵が娶った若い妻かもしくは娘か……そんなところだろう。

(こいつら、町の奴らに雇われた傭兵崩れってとこか)

 戦場で支配された町や村が、そして女がどんな目に合うか。

 ロカは興味がなかったがそれを楽しみにしている輩がいるのも知っている。

 町の連中はパリトを憎むあまり、家族も惨めな最期を送ればいいと、彼女を男たちに売ったのだろう。贅沢に暮らしてきた女だろうから、同じように憎まれて当然なのかもしれないが。

「こっちに来な」

 男の一人が女に手を伸ばした。一瞬のけぞったはずの女は、しかし次の瞬間、右手につかんでいた石を両手持ちに変えて、男に向かって投げつけた。 

 避けた男の足元に石が落ちる。男たちは女が本気で歯向かうとは思っていなかったようだ。

 驚いた顔になったが、女がまた石を拾ったことで殺気立った。真ん中の男が女に向かって剣を突き出す。

「あっ」

 女の手から石が落ちた。刺されたわけではなく、ただ剣に驚いたようだ。

(終わりか)

 三人が一斉に女に襲い掛かったのを目の端にとらえつつ、ロカは再び小川を歩き出した。

 悲鳴と怒声が耳に届くがもはや興味もない。

 狭く浅い川はすぐに渡り切れる。対岸を見つめて歩くロカは、ガッ、という音を聞いた。どさりと重い音。そして金属音。

「ちょ、おい……お嬢さんがそんなもん持つなよ」

「やめろ……ぎゃ!」

 今度はなんだとさっきより遠くなった川原を振り返ったロカは、女が男の腕から剣を引き抜くのを見た。

「ってえぇ!」

 刺された男とは別にもう一人川原に倒れている。

 女は残りの一人に剣を振り上げた。

「ちょ……まじかよ」

 慌てて後ろに逃げる男を追い、女は闇雲に剣を振り回す。その切っ先が男の肩を掠めた。

 よろけた男が女から距離を取り、傷口に触れ指を染めた血を確かめる。ギラと男が女を睨みつけた。

「クソがぁ!」

 唸り声とも思える男の叫び声にも、女は臆することなく突っ込んでいく。

 そこまでを確かめたロカは反射的に地を蹴っていた。

 女が切りかかるのを相手の男は剣で簡単に弾き返した。

 衝撃に女が後ろによろめく。男が剣を振り上げる。

 ガキン

 耳障りな金属音がした。ロカが強引に二人の間に割って入っていた。

「てめぇ!関係ねぇんじゃなかったのかっ」

「そのつもりだったが、俺の言葉がもとで逆に死期を早めたらさすがに後味が悪い。というか、あんた、女に優しくするってのはどこへ行ったんだ?」

「うるせぇ。邪魔すんならてめぇもぶっ殺す」

「ちっ」

 ロカは力が均衡していたはずの剣を弾いて、勢いのまま男の懐に体当たりをくらわした。

 尻もちをつく男の肩に躊躇なく剣を突き立てると、傷を広げるように剣を捩じる。

「ぎゃあああぁぁぁ」

 先に女に腕を刺された男がへたりこんだまま傷口を抑えてロカを見上げていたが、彼と目が合うと慌てて視線を伏せた。側に頭から血を流して倒れている男もいる。血の付いた石が転がっていることから、こっちは女に殴られたのだろう。

 うう、と側頭部を押さえていることから死んではいないが、意識は朦朧としているようだ。

 肩をえぐられ悲鳴を上げる男を蹴とばし、ロカは剣を抜いた。

「できればもう行ってくれないか?まだやるなら相手をするが次は殺す気でいく」

 意識のある男たちは顔を見合わせたあとロカに何度も頷いて、倒れていた残りの一人を担ぐと森へ消えていった。

 剣を鞘におさめたロカは抜け殻のようにおとなしくなった女へ目を向けた。

「終わったぞ」

「………………」

 返事のない女は男から奪った剣を握りしめ俯いたまま、血の付いた切っ先を呆然と見つめている。

 その手が細かく震えていることにロカは気づいた。はぁ、と溜息をついて剣を強引に取り上げると地に放りなげた。

「いつまで呆けてんだ。さっさと逃げろ」

「逃げる……?」

「あんたパリト伯爵の娘かなんかだろ?町の連中に見つかったら、またさっきみたいな連中に売られるぞ」

「父ではなく祖父です」

「それはどっちでもいい。娘だろうが孫だろうがあんたも屋敷で贅沢三昧に生きてたんだろう。あんたの爺さんは相当恨まれてるようだし、町に戻ったらあんただって――」

「祖父は生きていますか?」

「はぁ?俺が知るか」

「生きていますか!?」

 食い下がる女の目が必死なのは祖父の無事を祈っているからか。

「暴徒と化した人間ってのは残酷だ。変に期待しないほうがいい」

「そう、ですか。…………よかった」

 最後に呟くようによかったと聞こえた。女がどこかほっとしているのも妙だった。

(まさか孫娘からも嫌われてる?)

 だとしたら伯爵はそうとう腐った人間だったようだ。

「あの、助けていただいてありがとうございました」

「ああ……まぁ結果的にそうなっただけだ」

 改めて女を見ればあられもない姿だった。破れた絹の寝衣からのぞく白い肌に赤い切り傷が走る。柔肌には木の枝すら危険らしい。

 長い髪は少し乱れていたがゆるく波打ち、月明りで丸みを帯びた肢体もぼんやりとわかる。ロカの視線に気づいたのか女が避けるように身を縮めた。

 己の恰好に気が回るようになるくらいには頭がまともに動き出したようだ。

 そう判断したロカは踵を返した。あとは一人でどうにかすればいい。

「あ……え?ま……待ってください」

 川を渡るロカを女が追いかけてくる。

「待って、あの……待って、お願いします。待って」

 女の声と水の音が追ってくるのを無視する。これ以上関わっては面倒だ。

 思った矢先。

「きゃっ」

 悲鳴と同時にばしゃん、と水の跳ねる音がした。転んだのは振り返らなくても分かった。

 それでも女はロカを呼んだ。

「一緒に……お願い、待って……」

 足を止めずロカは向こう岸を見つめる。か細く消えた女の声にあきらめたかと思った。 

 数秒があって――。

「し、仕事を依頼します!」

 破れかぶれというような、でもあきらめていない大声だった。

 おとなしいお嬢様に見えたが、追いつめられると意外なことを言い出す女のようだ。

 先ほどの人の殺し方を教えろもそうだが、今度は仕事を依頼するときだ。

「あなたは傭兵と言われる方ですよね。お金を払えばお仕事をしてくれるのですよね」

 ロカは足を止めた。興味を引いたと感じたのか女の声が大きくなった。

「でしたら仕事を頼みます。わたしを両親の元まで送ってください」

「俺は高いが?」

 体の向きを変えてみれば、小川に座り込んでいた女がよたよたと立ち上がった。ロカのところへ歩いてくるも、数歩でまたすっころぶ。

「ぎゃん」

 尻を打ったのか無様な声をあげて痛みに耐えている。

「鈍臭い」

 思わずロカの口からこぼれ出ていた。ざぶざぶと小川を戻って、尻をおさえて呻いている女の前にしゃがみ込むと、膝に腕をのせて顔を覗き込んだ。

 涙目になっていた女が驚いたように息を飲む。

「見たとこ、あんた文無しっぽいようだが。それとも両親が払ってくれるのか?」

「お、金……は持ち合わせがありません」

「そうか。じゃこれで」

「だから、待って!」

 立ち上がりかけたロカの腕を女の濡れた手がつかんだ。

 水で冷えたのか掌は冷たい。ロカが腕を引けば簡単に振り払える。

 だがそれより早く女の手が離れた。

「お金はありませんがこれでは駄目ですか?」

 女が両耳にあったリングピアスを外して手渡してくる。確認すれば金地にダイヤがついていた。ダイヤは女の小指の先ほどの大きさがある。

「にせも――」

「本物です」

 宝石に興味がないためロカには本物か偽物かの区別はつかない。色や大きさ、内包物の量などで価格は左右されるということくらいしか知らない。

 月にダイヤをかざしてみればキラキラと美しい輝きを放っていた。

 伯爵家の令嬢が偽物を身に着けているとも考えにくい。

(本物ならいい値で売れるか)

 ピアスを握ったロカは頷いた。

「交渉成立だな」

 手を差し出せば女は安堵の表情になった。握り返された手をつかんでロカは女を引っ張り上げる。

「両親ってのはどこに住んでる?」

「アン地方のジュビリーという小さな町です」

 アン地方は南西に位置する農業地でここからだと数日だ。ロカが目指す町への方角より少しずれるが、急いでいるわけでもないので遠回りもかまわない。

「了解――と、あんた名前は?俺はロカだ」

「ニアンです。よろしくお願い……くしゅんっ!」

 濡れ鼠のありさまで夜風にさらされたせいか、ニアンはぶるぶると震えだした。

「向こう岸にわたってまずは着替えだな。尻は?」

「お尻!?あ、もう平気です。石が藻でぬるぬるして滑ってしまって」

「ああ……裸足か」

 屋敷から着の身着のまま逃げてきたのだろう。靴は途中でなくしたかもともと裸足だったのか。木の枝で肌を切るくらいだから足も怪我をしているかもしれない。

 ロカはニアンに手を差し出した。

「つかまってろ」

「は、はい」

 控えめに伸べられた手を引き寄せるようにつかんで歩き出す。小川を渡り終えロカは背負った荷物を下ろすと、今日買ったばかりの綿布と服を取り出した。

「俺のだから大きいだろうがないよりましだろう」

「え?」

「風邪をひきたいか?」

 ぐいと服を押し付けさらに荷物を探る。

 傷薬を取り出し顔をあげて、どうしたと眉を寄せた。

「早く着替えろ」

「こ、ここでですか?」

「森に入ると月明りがとどかない。着替えにくいぞ」

「そうじゃなくて――」

 もじ、と恥じらう様子にロカは察しがついた。

「この状況であんたに欲情するほど女に飢えてない。ほら、傷に薬を塗りこんでおくといい」

 言いながらも荷物と一緒にニアンに背を向けた。背後で着替える気配を感じつつ、ロカは星を見上げた。随分と位置がずれている。そろそろ夜半か。

「着替えました」

「じゃああとは靴か」

 ロカが手招くとニアンはおずおずと目の前にかがみこむ。

「足」

「え?」

「見せてみろ。ついでに薬も塗るから」

「あ、自分で」

「わかった。ていうかあんた、ちゃんと髪を拭いてないな。貸せ」

「わっぷ、ロカさん、わたし自分で」

「ロカでいい。あんたは足に薬を塗ってろ」

 がしがしと乱暴にニアンの髪を拭う。寝衣はびしょ濡れだったが髪は少し湿った程度のようだ。

 俯いて足の裏に傷薬を塗るニアンが、痛そうに顔をしかめているのに気づいて、ロカは手にした綿布を見つめた。

「これでいいか」

 剣をわずかに引き抜いて綿布に切れ目を入れると、そこから真っ二つに引き裂いた。細長く二つになった綿布をそれぞれニアンの足に巻きつける。

「靴の予備はないからこれで。歩きづらいかもしれないがいいか?」

「はい、ありがとうございます」

「それじゃ、先を急ぐぞ。さっきの奴らが戻ったら、町の連中にあんたが逃げたことがばれる」

 ニアンの顔がさっと強張った。ロカは脱ぎ捨ててあったニアンの寝衣を拾って強く絞ると、荷袋の側面に括り付けた。

「明かりは目立つからしばらくはこのまま森を行く。あんたのペースに合わせてやることはできない。泣き言をいうなら契約は破棄して捨てていくぞ、いいな」

 唇を引き結んだニアンが頷いて、ぎゅっと両手を拳に握った。

 二人の足が森に向かう。



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