吠え面
ニアンの赤茶色の瞳が大きく見開かれたのを見ながらロカは続ける。
「このダイヤ二粒で数年遊べるだけの金になるそうだ。そこまでの価値の宝石を貴族ってのは普段から身に着けているものか?本当は、あんたは町人たちが屋敷を襲撃することを知っていて、混乱に乗じて伯爵から逃げるつもりだったんじゃないか?だから金に換えられる物を身に着けていたんだろう?」
ニアンが祖父を嫌っていたのは伯爵家を捨てたことでわかる。
だが思いがけず鳥籠の鍵が開いて逃げ出したのと、用意を整え鍵が開くのをじっと待っていたのとでは、彼女という人物像が違ってくる。
ロカは今日までニアンは臆病だと思っていた。けれどいま話したような女なら、慎重で恐ろしい女だと思う。
「追っ手に見つかって計画は失敗するところだったが、俺に出会って道が開けた。あんたは自分を守る護衛を手に入れたんだ。――だが、わからない。ダイヤ一粒だけでもかなりの金になる。どうして二つとも俺への報酬にした?」
「……報酬は高いとロカが自分で言ったじゃないですか」
そういえばあのとき、厄介ごとに関わりたくなくてそんなことを言ったような。
ロカが思い返している間にニアンはさらに言葉を続けた。
「ロカはわたしになにを言いたいのですか?祖父に襲撃のことを教えなかった薄情者とでも?」
尋ねてくるニアンの声が震えだした。見る間に瞳いっぱいに涙が浮かんで、瞬きに睫毛を濡らしながら頬を流れ落ちた。
「確かにわたしはお爺様を見捨てて屋敷から逃げた薄情者です。きっと襲撃のことを知っていても同じことをしたと思います。だってあの日は……あの夜は――」
身を縮めたニアンは何かを無理やり抑え込むそぶりを見せた。自身を抱きしめるようにして腕を握る。
「そのピアスはあの日、お爺様とご一緒にいらした婚約者からの贈り物でした」
「婚約者?」
初耳だったため、鸚鵡返しに尋ね返すロカの視線を避けてニアンが俯く。
「お爺様が選んだ婿養子です。わたしより20歳以上も年上のどこかの富豪だとかで、初めてお会いしました。女を宝石で飾り立て、ドレスを脱がせるように、一つずつはずしてゆくのが好きだという、蛇のような目をした方です。町の人たちが屋敷に来なければわたしはあの夜、その方の妻とされていました」
身を震わせるニアンが何度も涙を拭い、眉根を寄せて絞り出すように言った。
「わたしのせいで十二人の人が屋敷からいなくなりました。最初は優しくしてくれた人がいたんです。使用人や庭師、家庭教師の人だって……でも、わたしと仲良くすると辞めさせられるから、そのうちわたしの周りは話しかけても上辺の返事しかない、冷たい人たちばかりになっていました。だんだん屋敷の中も自由に歩かせてもらえなくなりました。わたしの人生はお爺様のもので、わたしのものじゃなかった。息苦しくて、窮屈で、そんな毎日から逃げだしたいと……――だったらチャンスがきたら逃げませんか?それともわたしは逃げてはいけなかったですか!?」
苦し気に言葉を紡ぐニアンの涙がテーブルに落ちていく。なおもこぼれる涙を両手で拭い、自身を落ち着かせるように息を吸った彼女は静かな声を発した。
「ロカはわたしを救ってくれました。感謝してもし足りないんです。わたしにとって嫌悪感しか抱かないピアスでも、ロカにとって報酬以上の価値があるのなら、残りはお礼として受け取ってください」
冷静さを装うニアンからはっきりと壁を感じた。両親のことで心を閉ざしたときも壁はあったが、あれは絶望からくる抜け殻状態だった。
いまは明らかにロカを拒絶している。
「俺は、ただ事実を知りたかっただけで――」
涙に潤んだ瞳がギラリと光った気がしてロカは言葉を続けられなくなった。ここまでの激しい怒りをニアンに向けられたことがない。
「事実とは町の人たちに屋敷が襲われること知っていたか、ということですか?だったら知りません。でもロカがそれを確かめてどうなるんですか?あの日に起こることを知っていても知らなくても、わたしは自由になるチャンスを目の前にしたら逃げました。だからいまここにいるんです。質問に答えたのですからもういいですよね!?」
ロカを睨んだニアンは、ガタリと椅子を鳴らして部屋を飛び出ていく。残されたロカははぁーと溜息をついた。
(なにをやっているんだ、俺は)
ニアンの言うとおりだ。
ニアンが実はしたたかな女だったとしてそれがなんだ。人は偽る生き物だ。
相手によって態度を変える。話し方を変える。それが生きていく上での処世術だからだ。
親しくなれば素を見せ始めるとしても、やはり言いたくないことは隠しておこうとする。そのために取り繕うし、誤魔化すし、嘘だってつく。
それが世の常でもロカはニアンが世間慣れしていないぶん、人より素直だと思っていたのだ。しかしピアスの価値が思う以上だったことで、ニアンに逃亡する企みがあったのではとの疑いがロカに芽生えた。
自分に見せているあどけない姿が嘘ではないかと思うと、胸がざらつくような気がした。
どこまでが嘘で、本当はあったのか暴いてやると狂暴な気持ちになった。
(どうして我慢できなかった?)
まるでニアンが悪いかのように問い質した。
ニアンの泣き顔が脳裏に浮かんで、ロカは頭を抱えるようにして俯く。
また長い溜息が出た。
辞めさせられたという使用人、自由のなかった日常、変態婚約者。その話はきっと、ニアンが隠しておきたかったことだ。こんな形で話したくなかったはずだろう。
ロカは顔を上げると部屋を出た。
店を突っ切り大通りに出ると、ライが戻っていたのかモンダ家族全員の視線が集まった。
だがそこにニアンの姿はない。
「ニアンは?」
ロカが急くようにして尋ねると、
「え?こっちに来てないわよ」
カーナが、ね、とルスティとレリアに同意を求める。
「ええ、わたしはここでカーナと掃除をしていて――」
「俺は看板を拭き終わったとこだ」
「で、俺はいま帰った」
「じゃあ裏から出たのか」
「何かあったのか?」
ライがロカの様子に感じることがあったのか尋ねてくる。
「傷つけて泣かせた」
「は?泣かせたって――おいロカ、おまえに確認しておきたい。ニアンは暴徒に襲われそのときに祖父が死んだ。離れて暮らしている両親は頼れないってことだったよな。雰囲気や話し方からして、俺は育ちのいいお嬢さんかと思っていたんだが、まさか――」
すべてをありのまま話すのはニアンもしたくないだろうと、ロカは彼女のことを、ライたち一家に簡単に話しただけだった。ニアンもその説明にほっとしていたようだから、真実を知られたくなかったのだろう。
「ああ、祖父は伯爵だった」
「貴族の娘っ子か。じゃあさっきのピアスはニアンからの?」
うなずくロカにライはまじかよと額をおさえた。
「かー、どおりで世間知らずだと思った」
「ていうかロカ、ニアンを傷つけて泣かせたってどういうことだ?」
ルスティが真剣な様子で尋ねてくる。
「わざとじゃなく結果的にそうなった。俺が悪い」
ニアンの本性がどうであれそれがロカになにか被害を与えることはない。責めるのは違うのだ。
それにニアンは見た目通りだと今は思う。さきほどの彼女の悲しみも恐怖も怒りもすべて本物だった。
「さっきのおまえの様子からしてニアンになにかきついことでも言ったんだろ?しかも偉そうにな」
棘のある言い方にロカは眼差しを険しくした。
「偉そう?俺が?」
突っかかるとルスティもあからさまに怒りを表情に表した。普段、笑っていることが多いせいか、目や眉が吊り上がると別人のようだ。
「ああ。だっておまえ普段からニアンに命令口調だろ。さっきだって「来い」って、有無を言わせず引っ張っていくし。あれじゃあ萎縮して当然だ。「俺が悪い」なんて反省してる素振りみせてるけど、だったら最初から優しくしとけよ」
「ちょっと兄さん、いまそんなこと言わなくても」
「いーや言う。俺はニアンが気に入ってるんだ。なのに彼女はおまえに夢中で羨ましいったらないね。さっきだって掃除をしてる間中、ずっとおまえの話ばかりだ。まさかあの子の気持ちに気づいてないとか言うなよ?おまえはニアンの気持ちの上に胡坐をかいて、どうせ俺が好きなんだろって態度で彼女に接してるんだ。でもそのまんまじゃいずれニアンに愛想をつかれる。そうなったら俺がかっさらってやるからな」
吠え面かく準備してろ、と言い捨ててルスティは走って行ってしまう。
ニアンを探しに行ったらしい。
「もう、なにあれ?ロカ、兄さんのはただのやっかみだから」
「俺はニアンを委縮させているのか?」
「え?だから兄さんの言ったことは気にしないでいいってば」
カーナはそう言いながらも目を泳がせている。嘘をついていることは明らかだ。
「少なくともニアンの気持ちに気がついていながら、気がつかないふりで離れようとするのは男らしくない」
カーナとの会話にライが割って入ってきた。
「……と俺は思うけどなぁ」
目が合うと丸い目がわずかに細められ、ニ、とロカに向かって笑う。次いで今度は、両手を伸ばしたレリアに頬を挟まれ、力いっぱい顔を引っ張られた。
首の筋が違うかと思うくらいに痛かった。
「ロカ、あなた、ニアンが気持ちを伝えられないように振る舞っているでしょう。ルスティには委縮と映ったみたいだけれど、ニアンのあれは我慢しているのよ」
我慢と言われてロカは思い当たる。
昨日からニアンはどこか様子が違った。何か言いたそうにしている。
そういえば先ほども「仕事」がどうとか言っていた。
「我慢って何を?」
「さぁ、それはあなたが自分でニアンに尋ねなさいな。それとわたしも、あなたはニアンと向き合うべきだと思うわ。ロカの答えがどうであれ、彼女の気持ちを宙ぶらりんにするのは可哀そうよ」
レリアの諭すような声が耳に優しい。ロカが頷きかけた瞬間、頬にあった温かな手のひらがロカを思い切り抓った。
「っ!」
「――というかロカ、いい加減にしなさいよ」
レリアの顔が一変し、声が低くなった。
「ニアンに告白もさせずに逃げるつもりなら、さっさといなくなればいいでしょう。なのに中途半端に関わって、あなたが優しくするからニアンが気持ちを募らせるんじゃない。ルスティが怒るのも無理ないでしょうよ。あなたの言葉にニアンは一喜一憂して振り回されてる。それがどれだけ苦しいことか。鈍感な振りはいい加減やめたらどう!?」
レリアがキレた。普段、おっとりしている彼女だが怒るととにかく怖い。
子どものころしばらくモンダ家で世話になっていたとき、ロカは最初、レリアを舐めていた。
何を言ってもしてもニコニコ笑ってばかりで馬鹿なんじゃないかと思っていた。
それからしばらく経って彼女の本性を知ったが、これまでの舐めきった態度を反省させる容赦ない仕置きは、恐ろしさが半端なかった。
爪が食い込むほど強くロカの頬を抓ったあとレリアの指が離れた。
「さっさとニアンを探しに行きなさい。じゃないとルスティにおいしいところを全部持っていかれるわよ」
レリアの台詞に重なるように、ドカと背中を蹴られてロカは前につんのめった。振り返るとライが右足を下ろすところだった。
「もうおまえさ、思ってること全部ニアンに言っちまえ。それがニアンの気持ちに対する返事になってなくても、なにか現状変わるだろ」
「そうね。じゃないと見ているこっちが苛々するわ」
ライに同意するレリアだ。二人してうなずき合っている。
そんな両親を見てカーナが溜息をつくと苦笑いを浮かべた。
「ロカのことだからニアンのことを考えていないなんてことはないでしょ。考えているから逆に何も言わないって決めたんじゃないの?」
「えー?俺なら言ってほしいぞ」
「いやだ、自己完結って一番ありえないわ。それって結局自己中じゃないの」
「も~、二人とも黙って。ロカにはロカの考えがあるんだってことよ。みんながみんな父さんや母さんみたいに白黒つけたがる性格じゃないの」
ブーブー文句を言う父と母をたしなめていたカーナは、くる、とロカに向き直ると鼻先に指を突き付けてきた。
「でもね、ロカ。わたしも今回は父さんと母さんの意見に賛成だわ。こういうことって有耶無耶にするのはよくないと思う。いつまでも心に引っかかるもの。だからニアンときちんと話してみたら?」
なんだかよくわからないほうへ話が転がっている。
ニアンとの言い争いが発端だったはずが、いつの間にか彼女の気持ちに対する答えを出すような流れになっている。
ルスティがかっさらうなどと言い出すからだ。
面倒臭い。
頭ではこう思っているのにロカは走り出していた。思っていることをニアンに話せとライが言ったそこは納得できる。
ピアスのことでニアンを問い詰めたこと、そして思い込みから責めたことを謝るべきだろう。