モンダ家族2
家は入って奥、つまり大通りに面したほうが店になっている。自宅側は一階が厨と併せた家族の団欒部屋に夫婦の寝室、そして風呂。二階が子ども二人の部屋と物置になっていた。
ロカが団欒部屋に入ると、レリアにソファを勧められるニアンがいた。
脱いだ外套と鞄をレリアに預けながら、彼女はそわそわと部屋の入口を見ていたが、ロカが入っていくとほっとしたような顔になった。
カーナの姿はない。ルスティを呼びに行ったのだろう。
「ロカ、あなたもこっちにいらっしゃい。ニアンが不安そうだわ」
「あ、の……そんなことは――」
「嘘言わないの」
レリアの笑顔にニアンは申し訳なさそうな様子ですみませんと謝る。
「お風呂の準備もしなきゃいけないわね。旅の疲れを取りたいでしょう?ルスティに用意させて、カーナには服を貸すように……いいえ、新しいものがいいかしら?ええ、そうね。カーナに買ってきてもらいましょう」
「いいです。替えも一着ありますから。洗濯だけさせてください」
「だめよ。服が二着でどうやって冬を乗り切るの?」
「いえ、ありがたいですけどわたし、お金が――」
ニアンをライが遮る。
「そんなもん、ロカに払わせればいいだろうが。おい、慰労金で懐は潤っているんだろう。ニアンの服ぐらい買ってやれ、この甲斐性なしが」
矛先がこちらに向いた。ライとレリアがうんうんと頷きあっているが、ニアンはおろおろとしながら、ロカに何度も首を振った。
そういえばデリラに譲ってもらった服を、ニアンは宿屋に泊まると汚れた部分だけを洗って干していた。
丸洗いしたら乾かないと思ったからだろう。
ロカは剣と背中の荷袋を床に置き、気になって、すん、と自分の臭いを嗅ぐ。
「もしかして臭うか?」
「俺たち男はそう気にならないが女たちからすると臭いんだそうだ。レリアとカーナが風呂風呂とうるさい。若い娘っ子のニアンに同じでいろってのは酷ってもんだろう?」
そこへ廊下から声がしてカーナが戻ってきた。
「父さんのはおっさん臭よ。一緒にしないの」
娘のカーナの言葉に、ライが「おっさん臭?」とショックを受けている。
「そうじゃなくてロカ、あのね、ニアンは女の子でしょ。服は汚れてるし、靴や鞄も泥だらけ。肌は荒れてるし、髪に潤いはないし、たぶん手櫛でちゃんと梳かしてもいない。そういうの、気にしてなかったでしょ」
旅をしていれば普通に生活するより服は汚れる。靴や荷袋も同じだ。
そのたびに買い直していては金がかかって仕方がない。
それにいつも宿屋に泊まれるわけではないのだから、髪や体を洗えない日だって出てくる。
思ってもロカは口にしなかった。こういうときの女の勢いはすさまじい。
反論すれば倍以上になって返ってくるとわかっていた。
「カーナの言う通りよ、ロカ。それにこれじゃあちょっと薄着だわ。近頃寒さが際立ってきたもの。ほら、ニアンの手が冷たくなってる。もう少し暖かい服が必要だわ」
レリアに手を握られたニアンが、素早く引っ込めたのをロカは見逃さなかった。さっきは興奮で頬を赤くしていると思っていたが、もしかして違ったのだろうか。
ロカは懐を探ると財布ごとカーナに手渡した。
「これで必要なものを買い揃えてもらえるか?」
「了解。好きに使ってもいいの?」
「おまえの常識内で頼む」
「あはは、わかった。ニアンはわたしと同じくらいだからサイズもわたし基準でいいかしら?父さん、いつまでしょぼくれてるの?買い物行くわよ。あ、兄さんにはお風呂を頼んだの。それが終わったらすぐ来ると思うわ」
やはり予想通りルスティを呼んでくれていたらしい。
任せてとばかりにウィンクしたカーナは、ライの腕を掴んで部屋を出て行った。
「さすがはわが娘。しっかり者ね」とレリアは、竈に鍋をかけると茶の準備を始めた。
そして残ったのはロカとニアンだ。ニアンがじっとこちらを見ていたため、
「なんだ?」
と、声をかけるとなぜか視線をそらされる。その態度が気になって近づくと、彼女は逃げ腰になり、しかしすぐに顔を上げた。
「あの、わたし本当にいらないです。ロカ、お二人を止めに行ってください」
視線をそむけた理由はこれじゃない気がする。いや、ともかく今はさきに確認することがある。
ロカがニアンの手を掴むと彼女は慌てて手を引っ込めようとした。離さぬように強引に握りしめると観念したのかおとなしくなる。
レリアが言った通り、ニアンの手は氷のように冷たかった。
ロカは荷袋を持ってきて自分の服を取り出すと、ニアンに頭からかぶせた。ついでに着たままだった外套を脱いでニアンに巻き付ける。
「どうして言わない」
「このくらい本当に大丈夫なんです。お爺様のところでは、雪が降るくらいでないと暖炉に火を入れなかったので。あの、服をありがとうございます。温かいです。このお部屋も暖かいですしすぐにぽかぽかしてきそうです」
伯爵家の屋敷なんてものは、どこの部屋でも暖炉を焚いてあるんじゃないのか?
「そんなにどケチだったのか、あんたのじーさんは」
「いいえ、お爺様の部屋はいつも暖かかったですし、そんなことはないと思います。わたしには子どものうちから贅沢を覚えてはいけないって、そうおっしゃっていました。あ、でもどうしても我慢できなかったら、お爺様がお出かけになったとき、こっそり部屋を抜け出して、お爺様の部屋に忍び込んで温まったりしてました」
なんだ、それは。
話から垣間見えるニアンの伯爵家での暮らしは、とても優遇されていたとは思えない。しかしそれを口にすればニアンを傷つけるのだろう。
お世辞にも彼女はメンタルが強いといえない。
ロカはニアンをソファに座らせて、カップを用意していたレリアへ声をかけた。
「ルスティを手伝ってくる」
早く冷えた体を温めたほうがいいだろう。部屋を出ていきかけたところでレリアに止められた。
「あら、大丈夫よ。このへんも二年前に水路が整備されて、簡単に家に水が引けるようになったから」
「そういえば水場が増えて町のいたるところにあったな」
「でしょう?それでね、ルスティが鉄釜と煉瓦でお風呂を作ってくれたの。――ほら、あの子ったらいつも変なものばかり作ってたでしょう?今もそうなんだけど、たまに便利なものを作ってくれるのよ」
「母さん、変なものばかりって傷つくんだけど」
そう言いながら部屋に入ってきたのは細身の男だった。金髪の混ざった茶髪はレリア譲りで、耳が見えるくらいに切っている。
顔は二人のどちらに似ているか悩むが、眉の形はライそっくりだ。
ルスティは部屋の出入り口近くにいたロカへ、嬉しそうな顔を向けてた。
「やっと帰ったな、ロカ。くたばったかと思った」
「ライと同じことを言うな」
「親子だから」
互いの前腕をぶつけて笑いあう。と、ルスティがロカの背後へ目を向けた。
直後、風が起こってロカの灰色の短髪を揺らす。ルスティがソファへ向かって走った風のせいだ。
何事かと振り返れば、彼はニアンの前に膝をついて手を差し伸べていた。
「お嬢さん、お名前は?」
言いながら気障ったらしく前髪を払う。
「え……っと?」
戸惑った様子のニアンがチラとロカを見た。
「ああ失礼。わたしはルスティ・モンダ。ロカの連れということはまさか恋――」
ロカはルスティの背後に近づいて、ゴツンと頭に拳骨を食らわせた。
「黙れ。何が「わたし」だ、気持ちの悪い」
「痛いな。おまえの拳は俺ら一般人より凶器になるんだぞ」
頭を撫でるルスティは「少々お待ちを」とニアンに微笑み、ロカを部屋の隅に呼んだ。
「っていうか、そんなに怒るってことは本当におまえの彼女?」
「違う。元依頼人でわけあって仕事と住むところを世話することになったんだ。それでここまで連れてきた」
「え?あの子、ロスロイに住むのか?俺が探す。安くていい家と高収入の仕事」
「ライに頼もうかと思っていたんだが」
「父さんより俺!」
「なんだその異様な熱意」
「そんなの決まってるだろ?お近づきになりたいからだ。もう本当まじドンピシャ。ロカにその気がないなら俺が口説くけど」
「なぜ俺に言う。好きにすればいいだろう」
「じゃあお言葉に甘えて」
浮かれた様子でニアンのもとへ戻ろうとするルスティの腕をロカは掴んだ。
「おまえ、仕事で誰かの恨みを買ったりしていないだろうな」
「え?俺ってそんなにあくどいやつに見える?それとも悪人面か?」
「裏の仕事でだ」
ルスティは「未知との出会い」というおかしな店名の、いわゆるなんでも屋を父であるライと営んでいるが、裏では情報屋の仕事をしている。
これがなかなかの腕で信用度も高いが、仕事が仕事だけにときおり恨みを買うこともあった。
「ないよ」
「前に言ってた商人はどうなった」
「役人と癒着してたってあいつ?いったいいつの話をしてんの」
笑って誤魔化すのは許さんとばかりに睨んでみせるとルスティは肩をすくめた。
「あー、武器の売買に手を出すって情報掴んだから、ライバルになる同業者に情報を流したら、縄張りを奪われるって危ぶんだ奴らに消された。ほんと何年前の話だよ。今はなにもないから」
「ならいい」
「そういうところがなぁ」
ルスティがなんだかなぁという表情になった。
「そういうところ?」
「男から見ても男前ってずるいよなぁ」
「はぁ?」
いったい何の話だ。
とは思ったがいちいち聞くのが面倒だ。
いつもおかしなものを作ったり発明したりと、そこだけ見れば変人扱いされる。だが両親譲りの愛想のよさと明るさで、ルスティの難点はカバーされ、それどころかたいていの人間から好意的にみられるような男だった。
そんなだから女にもモテる。
「気がつけば女がいるような奴に言われてもな」
「俺のモテ期は十代後半だった。結局女は堅いとこ選ぶんだよ。なんでも屋なんて胡散臭い、どうせ金なんてないんだろーみたいなさぁ。遊んではくれるけど」
「情報屋は順調だろうが」
「そっちの仕事は相手の子を十分信頼してからでないと言わないよ。俺はどっちの仕事も好きでやりがいを感じてるけど、やっぱ堅気の仕事じゃないから」
ロカにもルスティの言わんとすることは理解できた。傭兵と知った相手から避けられることがあるのだ。
こっちは男女を問わずだが。
戦好きの狂人。
人の命で金を得る悪魔。
罵りは直接耳に入ることはなくとも肌で感じる。
「その点彼女は、ロカの元依頼人ってことだし、おまえが傭兵って知っているんだろ。なのにロカに対して自然体……っていうか、なんだったらちょっと頼りにしてるっぽいじゃん、おまえのこと。つまり彼女は俺たちのような人間に偏見を持ったりしない。で、なによりこれが一番大事なことだけど、めちゃくちゃ可愛い。なにあれ……肌白い。柔らかそうな長い髪……触りたい。臆病な小動物みたい……守ってやりたい……可愛い、つか、ほんと可愛い」
ルスティがグと拳を握って鼻息を荒くしているのが気持ち悪い。
そこまで興奮するほどの女だろうか。というのがロカの正直な気持ちだ。
仕事の依頼主ということで、極力、余計な感情は持たないようにしたせいか、ニアンの美醜にも関心がなかった。
そのあとも共に旅をすることになって、ニアンの気持ちに気づいたけれど、だからと言って女を意識したり、態度を変えたつもりはない。
ロカはニアンへ視線をずらした。うーん、と内心唸る。
体をつなげたときにどれだけ気持ちいいかが重要だ。エロくて感度が良ければなおいい。
では容姿は全く関係ないかと言われれば……。
(ないこともないような……よくわからん)
これまであまり好みを考えたことがなかった。
ニアンはこちらを見ていて、目が合うと不思議そうに首を傾げる。
ニアンに背を向けていたルスティもロカにつられて振り返り、笑顔を向けて手を振った。すると彼女もぎこちなく笑顔を作る。
「笑顔には笑顔。いい子だな、彼女」
「あれは愛想笑いというんだ」
「盛り上がった気持ちに水を差さないでくれる?で、ロカから見て彼女ってどういう子?」
「我慢強い面があるかと思えばすごく子どもじみたことをする。まぁ、なつかれれば犬っぽいし可愛くないこともないが」
「犬って――」
ルスティが額をおさえ、気が付いたように顔を上げた。
「ああでも、おまえもやっぱり可愛いって思ってるんだな」
ルスティがライそっくり笑う。にやにやとした笑みにロカは顔を顰めた。
「ルスティ、おまえライに似てきたな」
「はぁ!?やめてくれ」
まだロカが子どもだった時分、この家でモンダ家族と一緒に暮らしていたことがある。
あの頃ルスティは父親のようなガチムチになるのは嫌だと言っていた。彼の望み通りのスレンダーな体で顔もあまり似ていない。
だからこそ渾身の一撃になる言葉だった。
嫌そうなルスティの肩を叩くロカの顔もまた、ルスティを責められないほど意地悪だった。