狙われる
プスタからロスロイまでは西に向かいながら少し南へと進む。その道のりは平穏とはいいがたかった。
川にかかった橋板が古くニアンが川に落ちかけたり、途中雨に降られたり、雨のせいで緩んだ地盤が崩れて大きく迂回する羽目になったり。
そしていま、ロカはニアンの手を引いて山を駆けていた。
相手は四人。殺気を放ってロカたちを追ってくる。
いまさら彼らがニアンの追手とは考え難い。
(ボギーがさしむけたか)
脅され金を支払ったことがよほど屈辱だったのか。それとも居所を漏らされることを恐れての口封じか。
向かってくる相手は傭兵だろう。それもなかなかの手練れだ。
一対一なら負けはしないだろうが、一対四なうえニアンまでいる。
じわじわと距離を詰められているのを感じるが、ニアンの足ではこれ以上速く走ることは無理だった。
倒木に駆け上がりロカは息も絶え絶えなニアンを引っ張り上げる。そして再び地に飛び降りるのと同時に落ちてきた彼女を肩に担いだ。
背負う荷袋にニアンは顔をぶつけたらしい。
「ふぎっ」
いつもながらおかしな悲鳴をあげる。が、そんなことにかまっていられない。
「このまま行く。揺れるからしゃべるな」
女一人担いで傾斜を走るなんて、どんな訓練よりもきついはずなのになぜか苦しくない。
争いで死地に立たされたとき、ありえないほどの身体能力と研ぎ澄まされた集中力を発揮することがあるが、その状態に近い気がする。
フォルモサ国は北東の一部を除き、二つの険しい山脈から流れる地下水が豊富で緑が多い。栄養たっぷりな水の影響で、ロカたちが逃げる周りには数人が両手を広げて囲えるような、大きな木が生えていた。
目の端に大熊でも入れそうな虚のある巨木をとらえ、方向を転じたロカはそこで枯葉を踏み抜いて転びかける。葉っぱや枯れ枝などが重なり合って、自然に落とし穴になっていたようだ。
ロカが踏んだせいで大きく穴が開いていた。女こどもなら横になっても大丈夫なほどの大きさがあった。
ロカは肩に担いでいたニアンを素早くおろし、仰向けに寝そべるよう地面に押し付けた。
「な、なんですか?」
「黙って寝てろ。俺が戻るまでなにがあっても動くな」
言いながら背負った荷袋を木の虚に投げ入れ、外套をニアンに被せると周りに落ちている枯葉をかけた。落ち葉がたんまりある秋で助かった。
そして今度は虚に近づいて荷袋を奥に押し込む。中はかがんで小さくなれば、人が一人隠れられるくらいの広さだ。
背後に一人、二人と人の気配が感じられた。
ここにニアンを隠れさせたと思ってくれればいいが。
虚から振り返ったロカは最後の一人が姿を見せたところで立ち上がった。
あと数歩、彼らが近づいて来れば、地面に横たわっているニアンを踏みつけることになる。
「女と今生の別れはすませたのか?」
ほかにリーダーたりえそうな大男がいたが、話しかけて来たのは中肉中背の男だった。町中を歩いていれば見過ごしてしまいそうなほど普通の男だ。
だが一番出来るだろうとロカは予想した。
残り三人は体格は違えど似たような陰湿な目つきをして、ニヤニヤと笑っていた。
「狙われる理由が思い当たらないんだが」
ロカがとぼけてみせると男は肩を竦めた。
「さぁねぇ。俺たちもそいつは知らねぇわ。ただおまえらを殺して、荷物を持ち帰れって依頼だ」
口封じのついでに支払った慰労金を奪うつもりか。ボギーは相変わらず金に執着する男のようだ。
そして殺人依頼を笑って話すこいつらは殺しを楽しむ傭兵集団だ。
戦では敵を何人殺したかと数を競って遊ぶような奴らがいるのだ。勝ちが決まった戦で、捕らえた敵を嬲り殺して楽しむこともある。
ロカが腰の剣を抜くと四人が一様に身構えた。奴らをニアンのいるこの場から引き離したい。
しかし相手と平行線上に走って全員がついてくるかはわからない。一人でも残って虚の確認にまわったら、いずれ地に隠れるニアンに気づかれる。
(このまま突っ込むしかないか)
正面切って走りこんで、ニアンを隠した辺りは飛び越えないといけない。
場所はどのあたりだったか。目線を向けて疑問を持たれるわけにもいかないのだ。
「ああっ」
くっそ面倒くさい。
こんなに気を遣う戦いは始めた。
思わず漏れたロカの苛立ちに彼らは余裕の笑みを向けてくる。
「どうした、勝算が見えなくて絶望したか?」
「違う」
短く言ってロカは全身に力をみなぎらせると走り出した。ニアンが寝そべるのはここと思う場所で地を蹴って宙に飛ぶと、四人の男たちが驚いたように仰のく間抜け面が見えた。
上空で体をひねって重力に従って落ちながら、反応の遅れた敵に剣を振り下ろす。頭蓋の砕ける音とともに敵の一人が膝から崩れた。
「あ、……がっ……!」
まだ息のある男の胸に剣を突き止めを刺した。
そのまま間髪をいれずに手近にいた男の腕を引き寄せ、剣を反転させて研いだ刃を男の首にすべらせる。頸動脈を切断したことで噴き出す血が視界を悪くするのを避けて、ロカは絶命した男を地に投げた。首を切ったときに鎖を引っかけたのか、男から認識票が転がり落ちる。
「銀階級?」
これで?数の優位に驕ったのか?
残る二人に目を向け、信じられないというような顔をしている男たちの表情に、ああとロカは思い至った。
(俺を舐めていたわけか)
殺した男の血がロカの頬を流れていく。それを拭って剣を構えた。
黒い目が底光りするようにぎらつく。男たちの目つきも変わった。
うおぉと声とともに大男が剣を打ち込んできた。
二度三度と打ち合ううちに、もう一人が背後に回りこんでくるのを目の端にとらえた。
横に飛んで後ろからの剣を避けるとロカはその場から二人を遠ざけるように移動する。男たちはうまく乗ってきてくれた。
一対二になったがここからは少し長引きそうだ。剣を打ち合う音が山に響く。
◇ ◆ ◇
雄たけびとともに剣と剣がぶつかる音が聞こえてきた。
地面に横たわるニアンは必至で歯を食いしばっていた。
恐ろしさにわけもなく叫びだしそうな衝動をこらえていた。
それでも細かく体が震えている。
ぎゅっと閉じている目尻から涙が流れた。
人の気配が遠のき剣の音も聞こえなくなった。
それでもニアンは動かない。
なにがあっても動くなとロカに言われたことをひたすらに守った。
静寂に最悪の想像をしてしまう。
どのくらいたったのか。
何かが枯葉を踏む音と、ずるずると重いものを引きずる気配がした。
獣が血の匂いに引き寄せられたのかもしれない。
カチ、と歯が鳴るのをニアンは唇を噛むことで抑えた。
足音が近づいてくる。
直後、ニアンに被せられていた外套が取っ払われた。