過去になる
「さっきのロカは悪人みたいでした」
プスタのギルド支部を後にして今日休む宿を決めた後、少し早い夕食を食べていた。
塩コショウで味付けた鶏のモモ肉に噛り付いていたロカは、向かいでスプーンを置くニアンを見た。
「ずっと何か言いたそうな顔をしていると思えば。悪人はあっちだろう。俺は昔の借りを返してもらっただけだ」
「そうかもしれませんが、ギルド長さんを脅していました。あれは脅迫です」
「世の中いい人間ばかりじゃない。あいつは盗人だぞ。しかも最初、平然と嘘をついていた。ああいう奴にはときに脅しも必要なんだ」
骨の部分を握り、モモ肉をぶらぶらと振りながらロカは適当な嘘をついた。
本当はボギーをいたぶって溜飲を下げただけだ。
「そうなのですか?勉強になります」
本気で言っているのか?
訝しんでみても赤茶の瞳はきらきらとして、ニアンは尊敬の眼差しを向けてくるだけだ。
「屋敷にいるだけではきっと一生わからなかった社会勉強をさせてもらっています。わたしも早くロカみたいに物事の本質を見抜けるようになりたいです」
言いながらニアンはぺこんと頭を下げた。柔らかそうな髪に覆われた頭頂部が見えた。
「それから今更なのですが、いつもわたしを気にかけてくださってありがとうございます」
調子が狂う。
ロカは苦笑いを浮かべて肉を齧った。
「いつかロカに恩返しがしたいと思っています」
「期待しないでおく」
「どうしてそう意地悪を言うんですか?」
ぷく、と頬が膨らんだように見えて、ロカはテーブルにあった鶏肉の入った皿を押し出した。
「うまいもんたっぷり食って機嫌を直せ」
「ロカは肉料理ばかりです。ほら、この野菜ゴロゴロ煮込み鍋を食べてください」
「いや、それはあんたが――」
「ダメです。バランスの取れた食事が健康な体を作るんです。肉だって入っていますから」
無理やり鍋を押し付けられてロカはしぶしぶスプーンを手にした。
ニアンが笑顔で勧めてくる。
一口食べてロカが視線で肉を指すと、気づいたニアンがモモ肉を手にして、ばくりと頬張った。
「うまいだろ?」
「はい。ロカはどうですか?」
「まずくはない」
「もー、なんですか、その微妙な感想。野菜の旨味が出ていておいしいのに」
「肉汁のほうがうまい」
「わかりました。鍋の残りはロカが全部食べてください」
「は?なんでそうなる」
「野菜のおいしさをロカに覚えてもらうためです。はい、大好きなお肉もどうぞ」
戻ってきたモモ肉の皿を引き寄せ、鍋を返そうとしたら「両方バランスよく」と押し戻された。
あきらめて両方を目の前に並べていると、ニアンが気になったように尋ねてきた。
「ロカは野菜が嫌いですか?」
「いや、昔は食べていたな、そういえば」
「昔?」
「家族で暮らしていたころだ。肉ばかりになったのは一人になってからか。野菜より肉を食べたほうが体に力がわくし、傭兵の仕事についてからは状況によって食べられないこともあったから、とにかく肉ってなっていった気がする」
「そうだったんですか」
母親の作る飯は残さなかったと記憶している。おいしかったからなのか、それともただ貧しくて食べ物を粗末にできなかっただけなのか。
家族を失ったショックからか家族の記憶はあいまいで、いまとなっては何も覚えていない。だが幸せだったように思う。
一人になった当時は優しい夢を見て涙で目覚め、そのたびに孤独を感じた。いつから夢を見なくなっただろう。
スプーンを持つ手を止めてロカがふとそんなことを思っていると、ニアンから声がした。
「ロカ、あの、ご家族のこととか聞いていたのに無神経に尋ねてしまって……ごめんなさい」
黙ったのを心を痛めていると勘違いしたらしい。誰一人のことも覚えていないのにいまさら懐古の情もない。
「言いたいことは言えばいいと前に言った。質問されても、俺が答えたくないことは答えないとも言ったよな」
「はい。でも今日のは質問したわけではなく、ロカがわたしを一人残すのが心配でギルドへ連れて行ってくれただけなのに、あなたの過去を聞いてしまいました。あれは良かったのですか?」
「別に隠すことでもないしな。それにそんなことを言えばお互い様だ。俺も聞いているし見てきたぞ」
「え?」
ロカは残り少なくなった鍋を空にしてスプーンを器に放った。節目だらけの古臭いテーブルに頬杖をついて顔を傾ける。
「ニアンの祖父は暴君そのもので、恨んだ町の人間に襲われ、あんたは屋敷を追われる羽目になった。そのうえ頼った両親には受け入れてもらえず今や天涯孤独の身の上だ」
唇を引き結んだニアンの顔が強張る。ロカは頬杖をついたのとは反対の手で彼女を指さした。
「それ」
「それ?ってなんですか?」
「俺がそんな顔をしてたなら謝れ」
「そんな顔?え?わたしいまどんな顔をしてますか?」
ペタペタと顔を押さえるニアンにロカは空いた鍋底を見せるように突き出した。
「全部食った。残った肉も食べてしまうぞ」
「あ、はい。わたしはもうおなかがいっぱいです」
モモ肉を噛みちぎり咀嚼して飲み込むロカだ。ニアンはさっきのロカの言葉を考えているような顔をしている。
肉がなくなり、最後の鶏の骨を皿に捨てたロカは指を舐ってからニアンに言った。
「俺のはとっくに過去になっている。いちいち気にするな」
「はい」
「で、いまさっきの俺の言葉はかなりあんたを抉ったと思う。悪かった」
ロカの謝罪にニアンが少し驚いた様子を見せた。そして寂しげに笑う。
「わたしのも、いつか過去になります」
その顔が泣きそうに見えたが、ロカは気づかないふりをした。