ギルド支部にて2
ロカは手にあった書の向きを変えてギルド長に見せる。
「ところでこの書、あんたの直筆ってことだが癖が強い。ボギー・コロネルもかなり癖のある字を書いていた。奴はスキンヘッドで顔半分が隠れるくらいの髭面だったんだが、髪を伸ばして髭を剃れば随分と印象が変わると思わないか?奴が姿を晦まして七年……いや、八年が経つ。たぶん今は30代後半からいっても40代そこそこだろう。ちょうどあんたくらいの年齢だ」
「癖の強い字を書く者はたくさんおります。それにあなたはまだお若い。確かにわたしは傭兵で辞めてからずいぶん経ちますが、わたしが現役のころはあなたは子どもでしょう。お会いしたことはありません。誰にボギー・コロネルの話を聞いたのかは存じませんが、妙な言いがかりをつけるのはやめていただきましょう」
「プロヴェ・ナンスを覚えているか?」
「は?」
「ユリーア・センチ、トゥーラン・ナイト」
ロカがあげる名前をギルド長は最初、意味が分からなかったようだ。しかし徐々に表情が変わっていく。
「ラッシ・ユモア、ハンティン・ドン、ディオ・トドット、ヘリング・ルー」
驚きのそれへと。
「そしてライ・モンダ。「ハノーヴァの戦線」でボギー・コロネルの仲間だった八人の傭兵の名前だ。二人死んで今は六人。ここに呼べばあんたが誰かはっきりする。特にライは認識票を盗まれて報奨金をもらい損ねているから、死んでもボギーの顔は忘れないと言っていた」
ギルド長の顔色が真っ青になっていた。オールバックで丸見えの額には冷や汗が浮かんでいる。
「おまえ、いったい何者だ?」
先ほどまでの余裕は消え、素の表情が見える。
「あいつらの代わりに俺を殺しに来たのか?」
「あんたがなかなかボギー・コロネルと認めないから脅しただけだ。やっと認めたか。会いたかったぞ、ボギー。仲間の報酬だけじゃ飽き足らず、子どもが貯めた金まで根こそぎ持っていくなんて、どれだけ欲深な奴なんだ」
「子どもの金?」
「あんたもさっき言ったろ?あんたが現役の頃、俺は子どもだっただろうってな。でも十三にもなれば盗人の顔ぐらい覚えてる」
「あそこに子どもの傭兵なんていなかった」
「世界大戦中、いろんな国が入り乱れて争っていた。戦火に巻き込まれて消えた小国や民族がどれだけあったか。家も家族も失って彷徨っていた俺が傭兵とはいえ、大人に保護されたのは運がよかったんだろう」
ロカの話を聞きながら、過去を思い返すような様子を見せていたボギーが、アッと表情を変えた。
「おまえ、ライがどこかから連れてきた……――ほとんどしゃべらなくてがりがりで、無表情なのにやたら目だけをぎらつかせた、あの不気味なガキか!?」
「ああ、それな。一人になって世の中の厳しさってのを知ったから、あんたたちに気を許す気はなかったんだ。あんたらの身の回りの手伝いをして得た金で、しばらく食えるぶんを貯めたら出てくつもりだった。だがあんたに金を奪われてから、俺はライたち残った奴らと妙に結束が強まってな。あんたに復讐できるだけの腕になりたくて、あいつらに剣を教わることにした。それがどうやら俺に向いていたらしい。そこから今日まで傭兵が俺の仕事になったというわけだ」
ロカは服の下に隠れていた認識票を外してボギーへ見せる。金色のそれに彼はぎょっとした。
ギルドの女も同じで、ロカの隣にあるニアンだけが認識票の示す意味が分からないために、おとなしくソファに座っている。
「まさか……その若さですでに金階級だと?」
「もう辞めるけどな」
「そんな、もったいない。ゴールドなら傭兵部隊の指揮を任されてもおかしくない。報酬だって破格の――」
「金が貯まったら辞めると決めていた」
傭兵は戦争で国や部族を失ったり、何らかの理由で国を捨てた人間がなる。国を持たないため彼らは世界中にいて各国の町にギルドを作った。そのうちの王都にあるギルドが、国内のギルドをまとめ、また各王都のギルドが一年ごとに持ち回りで、全世界のすべてのギルドをまとめるギルド本部となる。
傭兵には共通の階級があった。
下から鉄、銅、銀、金となり、階級の金属でできた認識票を与えられる。
ギルドに登録すると能力に関係なくまず鉄階級となり、戦における働きに応じて階級が上がっていく。
喧嘩っ早い者が箔付けに傭兵となっていたりするが、実践を経た鉄階級の傭兵ならば、国の下っ端正規兵より少し上程度の腕前だ。
鉄は傭兵の大多数を占める。銅は鉄の人数の1/5。これは鉄に雑魚が多いためだ。
そして銀は銅の1/8になり、金に至っては銀の1/10ほどもいない。
ロカは認識票をボギーとの間にあるローテーブルに置いた。
「世界大戦が終わって国同士で和平が結ばれて以降も、国境線での紛争が絶えなかったが、それも数年が経った現在は落ち着いた。いまじゃ仕事といえば、仕事にありつけず賊に成り下がった奴らの狩りや砦の警護、軍幹部の護衛といった、兵士不足を補う仕事ばかりだ。それも年々減ってきているし、傭兵ギルドは閉鎖・統合して縮小している。戦争が残した負の遺産といわれる傭兵はこの先邪魔者扱いされ、世界から淘汰されるだろう。その前に貰えるものは貰っておきたい」
「貰えるもの?――慰労金か」
「ああ。いますぐに用意してもらいたい」
金階級の傭兵は、辞めるときギルドから金を貰える。これまでの働きと、傭兵の中でも一握りしかたどり着けない階級へのぼりつめた栄誉を称えてのことらしい。
ロカは自分より優れた傭兵がいたのを知っている。追いつきたいと金階級を目指したが、実力差はどれほどのものか気になるくらいで、本来階級にこだわりはない。
いやでも慰労金にはひかれた。正直に言う。金は欲しかった。
生きるには金が要ると少年時代に学んで、それはもう身に染みてわかっているのだ。
「すぐには無理だ。まずは手続きをしてもらって、それをギルド本部が受理すれば支払われることになる。今年のギルド本部はこのフォルモサ国の王都支部が担っているが、それでも一ヶ月ほど待ってもらわないと」
「あんたは俺がここへ来た理由をまだわかってないようだな」
「理由?」
「あんたの命は俺が握っているってことだ。ピンハネボギーがプスタにいると情報を流せば、いったいどれだけの人間がここに集まると思う?」
ギルド長の顔が再び強張った。
ロカは金の認識票をローテーブルに置いた。金属の堅い音がして窓からの西日に美しく煌いた。
「俺の階級が怪しいと思うなら心行くまでこれを確認してもらっていい。ギルド本部から発行されたという証の刻印がある。確認したら今すぐ慰労金を用意してもらおう。もちろん世界金貨でだ」
「世界金貨!?」
「当たり前だ。どこの国も混ぜ物が多くて各国の通貨の価値は下がってる。その点、世界通貨は国同士の取り決めで純度が決まっているから、金銀銅のどれも信用度も高い。どうせ傭兵に支払う報酬からピンはねしてたんまり金をため込んでいるだろう?抜け目のないあんたなら世界通貨で持ってるんじゃないか?」
ロカの台詞にギルド長が黙り込んだ。
無表情を装ってはいるがその実、どうすればうまくこの場を切り抜けられるか、頭をフル回転させているに違いない。
「ボギー、俺があんたを恨んでいるかいないか……どっちだと思う?」
ロカは脇に置いてあった剣をつかんだ。ボギーの目がその手の動きを追い、恐る恐るといった様子でロカを窺ってくる。
現役を退き数年と経てば、いくら腕が立った傭兵であっても当時ほど動けなくなる。見たところ鍛錬もしていなさそうだ。
「大人からすればはした金。でも子どもだった俺からすれば今まで持ったこともない額の金だった」
口調は静かだが相手を見据えるロカの黒い瞳に剣呑な光が浮かぶ。
眼差しに射すくめられたのか、ボギーは空気を求めるように口を開いた。しかし声が出ていない。
「俺は慰労金をほしいと言っているだけで、あんたの全財産をよこせとは言っていない。あまりぐずぐずされると、ここの支部に集まっている傭兵にうっかりあんたの正体をばらしてしまいそうだ」
「それはやめてくれ」
「ならどうすればいいかわかるだろ」
我ながら陳腐な台詞を吐いているとロカは思った。
それでもギルド長は観念したようにうなだれた。
手続きはそれから数分で片付いた。