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Dog tag  作者: 七緒湖李
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夜のデート

 それから数分後、防寒着を着込んだ二人は真夜中の町にくりだした。

 ロスロイのメイン通りは店が閉まっているが、宿屋がある通りは飲み屋がまだ開いている。酒を飲んだ後の小腹を満たす屋台も出ていて、そこへ千鳥足の酔っ払いが引き寄せられていた。 

「ここに来たのは初めてですけれど、もう夜も遅いのに明るくて、なんだか皆さん陽気で楽しそうですね」

 旅をしていた頃はできるだけ野宿は避け、宿屋もない町では納屋を借りたり、人の絶えた集落では、打ち捨てられた空き家で夜を明かした。

 宿屋に泊まっても早くに休み、夜に出歩くことはなかったので、飲み屋横町となった宿場に来たことがないニアンにとって、ここは宝箱のような感覚なのかもしれない。

 物珍しそうにきょろきょろと周りを伺い、漂う匂いをくんくんと嗅いでおなかをさすった。

「夜会であまり食べなかったからでしょうか。匂いだけでおなかがなりそうです」

「何か食べるか?」

「こんな時間に食べたら太ってしまいます。我慢します」

 屋台の串焼き肉を見つめていたニアンは無理やり視線を切って、すぐにあ、と前方を指さした。

「ロカ、あそこ!あそこを見てもいいですか?」

 ニアンが言うのは露天商だった。ランプをいくつもともしているせいか、並べられた商品が煌びやかな色彩を放っている。

 どうやら身を飾る装身具を売っている露天のようだ。ちょうど何か買ったらしい男女が腕を組み、店を離れていく。品物を手にした女が媚びるように男と腕を組んだ。

 食事がてら一杯飲んで、ほろ酔いのいい気分で女に装身具を買ってやったのだろう。この後は宿屋でしっぽりといったところか。

 ロカがそんな予想を立てていると、ぐいぐいとニアンに手を引っ張られた。大都の宝石店でも装身具を楽しそうに見ていたし、やはりニアンも年頃の女と同じで、身を飾るものが欲しいのかもしれない。

「いらっしゃい」

 簡素な椅子に腰かけ寒そうに体を丸めている男が、愛想のかけらもなく言った。ロカとニアンを順に見て、興味なさげに「安くしとくよ」ととってつけたような嘘をつく。

 こういう店は普通より高いことが多い。酔っ払い相手だから財布の紐が緩いのをわかっているのだ。

「じゅあこれ、おいくらですか?」

 そう言って迷うことなくニアンが指さしたのは、布を敷いた板に並べられてた装身具を照らすランタンの一つだった。

 四角形のそれは普通のランタンより少し小さい。笠の部分が玉ねぎのようで、そこにびっしりと細かな幾何学模様が施されている。火屋は同じ幾何学模様の刻んだ保護枠が十字にあって、模様はところどころ穴が開いているためか、炎が揺れるたび影が形を変える。

「え?これかい?」

「ええ、こんな神秘的なランタンは初めて見ました。ロカ、おうちの廊下、窓はありますが少し暗いでしょう?これを窓辺に置いたらきっと素敵です」

 装身具が欲しいのかと思ったら、二人で住む家で使う明かり用のランタンとか。

 美容もそうだが身を飾ることにもニアンは頓着がないらしい。

「多分これは売り物じゃないと思うぞ」

「え?違うのですか?」

 ニアンが店主を振り返ると、男は彼女のしょんぼりとした様子に可笑しくなったようだ。

「ああ、違うねぇ。あんた、こんなに首飾りや耳飾りが並んだ中で、ランタンに目がいくとは。せっかく旦那が何か買ってくれようとしてたのに。ねぇ旦那」

「ち、違います。まだ旦那様じゃないです」

 慌てて否定するニアンに、店主の面にはっきりと笑みが浮かんだ。

「まだってことはこれからなるんだろ。一緒に住んでるみたいだし」

 にやにやと笑う男にからかわれているとはつゆほども思っていないのだろう。ニアンはあわあわと口を開く。

「一緒に暮らしていますけど、でも二人じゃ――」

「……なんてな。ライんところに居候してる二人だろ。つうか、兄ちゃんは昔ライんちにいたな。ずいぶんでかくなったけど」

「俺を知ってるのか?」

「当然だ。ライとは昔からのつきあいよ。ここの商品の大半はあいつから仕入れてる」

 言いながら男は椅子から腰を浮かし、ニアンが欲しがっていたランタンの取っ手をつかんで彼女に差し出した。

「これもライに卸してもらった。よかったら持ってきな」

「え?ライさんから仕入れたなら、わたしもお願いするので――」

「もうずいぶん前の話だから、とっくに品切れだと思うぞ。ほらここ、フレームにへこみができて、売り物にならなくなって使ってた。ライには恩もあるし受け取ってくれ」

 ニアンが困ったようにロカを見上げてくる。

 ただでもらうわけにはいかないと思っているようだ。ロカは露天に並ぶ品物に目を走らせ、葉っぱを模り蔦模様を彫り込んだ髪飾りを手に取った。

 小さな青い石を幾つかはめ込んでいて繊細な意匠だ。

「じゃあこれを貰おう。幾らだ?」

 ロカの問いかけに店主が意外そうな顔をした。

「見かけによらず律儀だな、兄ちゃん」

 結局、ランタンは譲ってもらった。

 そしてロカが選んだ髪飾りはニアンの髪をさっそく彩る。すぐにつけたいとサイドを簡単に三つ編みにしてしまうニアンの器用さは、男にはない技術だった。

「すごく可愛いです。ありがとうございます、ロカ。大切にします」 

 髪につけた飾りを撫でる彼女に幸せそうな微笑みが浮かぶ。それを見ただけでロカは贈ってよかったと思った。

 ニアンはロカの手にあるランタンを見つめた。にぎやかに常夜灯があるため歩くのに困らないが、横町を出たあと家まで戻る間の明かりは乏しいので、足元を照らすのに丁度いい。

「やっぱり神秘的なランタンです。副ロスロイ長様の奥様にいただいたウサギとクマを一緒に飾りたいです。あ、じゃあ廊下よりいつも見られるところのほうが――ロカ、どこに置けばいいと思いますか?」

 白い息を吐きながらうきうきと尋ねてくるニアンだ。

「ニアンが一番長く過ごす部屋――居間とか?」

「いい案です。ロカと一緒に長く過ごす部屋ですよね」

「俺と長く過ごすなら寝室だと思うが」

「でも寝室じゃ眠っていますよ?」

 返事の様子からピュアなニアンには通じていないとロカは感じた。

 彼女の曇りない瞳から目をそらし、

「居間のテーブルに置けば毎日見られる――っ!!」 

 当たり障りのない返事をしたロカは、瞬間、肌を刺す気配に勢いよくそちら向いた。

 そこにはそろそろ店じまいを始める宿屋があった。日中は食事をふるまい夜は飲み屋をやって、二階は宿泊用となっている、ここらで典型的な宿屋にみえる。

 だがすぐにロカは気が付いた。肉体を強調した艶めかしい服を着た女が、店に入っていく。

 つまりそういう目的で宿を使うこともできるのだ。

 奥まで来すぎた。

 思ったロカは、どこからともなく女の声が聞こえたため、ニアンの手をつかむと踵を返した。冬の冷気に窓を閉じているせいでニアンはまだ気づいていないようだ。

「ロカ、どうしました?」

「そろそろ帰ろう」

「あ、そうですね。明日もロカはお仕事がありますし」

 そこへまた声がした。さすがにニアンにも聞こえたのだろう。

「?女の人の声?……がしませんでしたか、ロカ」

「酒を飲んで騒いでいるのだろう」

「わたしはお酒に強くありませんから、酔っ払って気分良く騒ぐっていうのをやってみたいです。大きな声を出して楽しそうです」

 無邪気に後ろを振り返るニアンを、ロカはため息が出そうになりながら引っ張る。

 騒ぎ声と嬌声の区別もつかないのか。

(純粋すぎるにもほどがある)

 これで手を出せとは、本気で言っているのだろうか。

「今度俺が気持ちよくして、声を出させてやる」

「本当ですか?ロカと一緒なら安心です。約束ですよ」

「ああ、約束な」

 言いながらロカは繋ぐニアンの手に指を絡ませて握る。

「ロカと飲み会です」

 うふふと楽しそうなニアンはやはり何もわかっていない。

 とにかく言質は取った。意味を理解しなかったニアンが悪いのだ。

 あとで拗ねられても構うものか。どれだけお預けを食らっていると思う。

 こうして握る手の柔らかさすら、邪な想像を掻き立てる材料になるくらい、ロカにはフラストレーションが溜まっている。

 ――どれだけわたしのことが好きなんですか?

 先ほどニアンに言われた言葉が耳に蘇って、ロカは微かに苦笑を浮かべた。

「どうしようもないくらい」

「え?何か言いましたか?」

 独り言にニアンが反応を見せたが、気づかぬふりでロカは首のコリをほぐすようにして、背後をさりげなく見やる。

 へべれけに酔った男が屋台にいた男女に絡んでいた。恋人同士をうらやんでか管を巻き、迷惑がられている。

 先ほど感じた気配はあの男だろうか?

 独り身の男の妬みを隠すことなく向けられただけ。

(殺気にも思えたが……気のせいか?)

 他には特に怪しい人物はいない。ロカはわずかな引っ掛かりを覚えながらも、それ以上何も見つけられなくてあきらめた。

 そこへ、ニアンがつないだ手を軽くひっぱってきた。

「ロカ、いいことを思いつきました。ロカと飲みに行って酔っぱらって帰れなくなったから、二人で宿屋に泊まったってことにするのはどうでしょう?」

 一瞬なんの話かと考えてロカは答えを導き出した。

「それはさっきの「二人きりになる」というやつか?」

「はい。それと「早く女にしてください」ってやつです。どうですか?」

 ロカはどう返事をしたものかとニアンを見下ろし、どやぁ、という顔をしている彼女に、思わず吹き出していた。

「ハハハ、本当だ、妙案だなニアン」

「本当に妙案って思ってますか?笑ってるじゃないですか」

「ニアンがそんなに俺とやりたいのかと思ったら嬉しくなったんだ」

「ロカの今の顔は「嬉しい」じゃなくて、「おもしろがっている」ってわたしでもわかります」

 ぷぅ、と少し頬を膨らませたニアンだが、すぐにふふと顔を綻ばせた。

「今日のわたし、どうしたんでしょう。自分でも驚く発言をたくさんしています。だけどこれがわたしの本当の気持ちなんだと思います。なんでもはっきり口にするロカになったみたい。恋人や夫婦は似てくるっていいますから、きっとわたしたちも似てきているんですね」

「そういうものなものか?」

「そうなんです。ほら、ロカもいつもの無表情から笑顔に変わってますよ」

 ニアンがつないでいないほうの手でロカの口角をつついてくる。手をつないだときにも感じたが、手袋をしていないせいか、温かかった手の指先が少し冷たくなっている。

 早く帰ろうとロカが思ったところで、ニアンが思い切ったように腕を組んできた。

 肩に頭の重みを感じてわずかに顔を向けると、

「幸せです。ロカはどうですか?」

 ニアンの満ち足りたような声が聞こえた。 

「そうだな」

 ロカの返事に、すり、とニアンが猫のように頭を摺り寄せてきた。二人の言葉はなくなったが同じ気持ちでいることがわかる。

 ロカはランタンの炎に目を向けた。胸の奥がこのオレンジの光のごとく温かい。

 飲み屋横町を抜け、メイン通りへ戻る道はぽつぽつと常夜灯がともるだけ。人がいないそこでロカは一度立ち止まり、ニアンにキスをした。

 そしてまた歩き出す。

 夜空を隠していた雲が晴れて月が出ていた。



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