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Dog tag  作者: 七緒湖李
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浮かれた妄想

 ロカは返事の代わりに両手の親指と人先指でニアンの唇をつまんだ。

 喋れなくなって逃げようとする彼女を追いかけ、ふにふにと唇を弄ぶ。

 冬だというのに荒れていないのはクリームでも塗っているのか。美容に頓着しないニアンにカーナがうるさく教え込んでいるのを見たことがある。

 買い物でいくつか化粧品を買ってきていたが、ニアンが無駄遣いに恐縮し、それを見たカーナが足りないくらいだと言っていた。

 そんな他愛ないことを思い出すロカであったが、ニアンが顔をよじって逃げたことで目を向けた。

「なにするんですか」

「今日はいい」

「はい?」

 首を傾げるニアンの唇を人差し指でつついた。

「ここはもっと後でな。先に俺がニアンを喘がせたい」

「あぇ……~~~っ」

 ニアンの顔がまた真っ赤だ。色が白いから余計に目立つのだ。

 手を出してくれと言われてついロカの理性が飛んだが、ニアンがあまりに積極的な行動に出たため逆に冷静になった。

 勢いのままここでもつれこんでは、別室にいるレリアとカーナに気を遣わせるところだった。どれだけ声を塞いでも、動きを抑えても、なんらかの音はするし息遣いだって漏れる。

 よし、あとはこのまま照れたニアンを宥めて終わり。 

 そう思ったロカだったが。

「わかり、ました。でもここでは出かけたライさんやルスティが戻ってくるかもしれないです。――い、いまから宿屋って泊まれるんでしょうか?」

 意を決した様子でニアンが言ってくるのを、ロカは一拍遅れて返事をした。

「いまからするのか?」

「え?だって喘がせたいって……?」

 それはもちろん淫らに喘がせまくりたい。

 いや違う。

 内心素早く突っ込みながら、顔には全く出さずにロカは答える。

「やるなら俺主導でやりたいってだけで、いまからって意味じゃ……」

 ロカがそう言うと、ニアンは両手で勢いよく顔を覆った。バチンと大きな音したくらいだ。そしてそのまま膝に顔を突っ伏してしまった。

「すごい音がしたぞ?大丈夫か?」

「大丈夫じゃないです~。ロカは言葉が足りません。この流れでさっきの言い方だとそういうことだって思うじゃないですか。もぅ……恥ずかしい。消えたい~!」

 ロカのバカ、不愛想、仏頂面とニアンが悪口を並べ立てる。

 言葉足らず、いじめっ子、無神経とまで言われたところで言葉が途切れた。そして再びバカときて、今度はアホ、マヌケと続く。

 悪口が尽きたらしい。

 子どもじみた悪態に、ク、とロカに笑いが込み上げた。

 膝に折れたままのニアンの後頭部を、ぽんぽんと軽く撫でた。

「誤解させるようなことを言って悪かった。機嫌を直してくれ」

 柔らかな髪に指を絡ませ数秒待つ。なのにニアンからの返事がない。

「ニアン?」

 促してやっと、ニアンの声が聞こえた。なぜか緊張した様子だ。

「じゃあロカ、覚えていてくださいね、今日のこと。わたしはもう覚悟したんです。だから早く、誰にも邪魔されない場所で、今度はちゃんと触れ合いたいです――わたしをロカの女にしてください」

 ニアンを撫でていた手が止まる。

 純情で晩熟なのがニアンと思っていた。しかし彼女にもどうしたいかという意思はちゃんとあるのだ。 

「すまん、ニアン」

「え?どうして謝るんですか?」

 膝にうつぶせていたニアンが顔を上げる。

「あ……自分から誘うような、奥ゆかしさのない女はお嫌いですか?」

「惚れた女からやりたいと言われて喜ばないはずがない」

「惚れ……そ、そうですか。じゃあどうして謝罪を?」

 一瞬、嬉しそうな顔になったニアンは、疑問が解決しないのかもう一度尋ねてくる。

 ロカはソファに背を預け天井を見上げた。

「誘われて嬉しい反面驚いた。ニアンもこういうことを言うのだと」

 たぶん自分は、強く押せばニアンは流される、彼女を好きなようににできると、どこかできっとそんな風に思っていた。

 それはなんと傲慢なのか。

(これじゃあニアンの爺さんと一緒だな)

 ロカはニアンを肩に引き寄せ、自身の頭を彼女のそれに傾けた。

「すまん」

 もう一度謝罪してロカは言葉をつづけた。

「おまえの望むように、二人きりになれるよう考えよう。さっき言ったように宿を借りるか、それとも俺たちの家に先にベッドを入れて、寝室だけでも整えるか――」

 ふふとニアンから笑い声が漏れた。

 頭を預けたほうの腕を取られ、指を絡めるようにして手を握ってくる。

 ロカの手はライやヘリングほど肉厚はないし、ポロほど節くれだってはいないが、それでも長年剣を握る手の皮は厚く、握力にも自信があった。

 細いニアンの手なら簡単に握りつぶせてしまうだろう。

 あまり力をこめないよう気を付けて、合わさる手のひらを握り返すと、ニアンは空いたほうの手も寄せて、両手でロカの手を包み込んだ。

「謝らないでください。ロカはわたしが世間知らずで頼りないから、きっと保護者目線でいたんです。でも子どもはいつか成長するんですよ?ここは大人になったわたしに喜んでほしいです。これで手を出しやすくなったじゃないですか」

「確かに以前のニアンなら「手を出せる」なんて言わなかったな」

「でしょう。わたしは宣言通りロカに女だとわからせたんです。今度は大人の女になったと言わせてみせます。期待していてくださいね」

 顔を見合わせていなくとも、微笑んだであろう気配を感じた。

 ロカは重なったままのニアンの手を持ち上げ手の甲にキスをした。

 ニアンを幸せにしたい。他の誰でもなく自分が。

(ああそうか)

 トムの言っていた、メリーと結婚した理由をやっとロカは理解できた気がした。

 この気持ちがそうなのか。 

 言葉が口をついて出た。

「ニアンは俺とどうなりたい?」

 しかし唐突すぎた質問は、ニアンには意味が分からないようだ。肩にあった頭を上げて、こちらを見つめてくる。

「どうって?」

「俺と暮らしてその先は?」

「急に何ですか?」 

「ニアンは俺と一緒になりたいんだろう」

「へ、ぁ!?」

「違ったか?俺の嫁になるとかなんとか話したと聞いた」

「な、……あっ!トムさん……口止めしてない――あの、あの……それは、ちょっと浮かれて妄想を口走ったというか」

 そのまま視線を泳がせてニアンは小さくなった。

「妄想なのか?」

「――だけじゃないですけど。ロカは嫌、なんですね……」

「嫌ではなく考えたことがなかった。傭兵ならばいつ死んでもおかしくない。そんな思いがどこかにあった」

「いまは?」

 いま。

 ニアンに尋ねられてロカは心の内で呟く。

 ニアンと出会っていようといまいと、家を買う資金を貯めたら傭兵は辞めていた。そのあとはロスロイに戻り、仕事を見つけて一人で暮らすつもりだった。

 そうであったのにニアンと気持ちが通じ合ったあの直後、二人で暮らす家を買うと思っていた。

 いままでも情を交わす相手はいたが、共に暮らそうなんて思ったことはない。

(もしかするとあれが答えなのかもな)

 そんな思いがロカに浮かぶ。

「ニアンだけだ」

「はい?」

「おまえと二人で暮らすことを自然に考えていた。そうすることが当たり前のような気がした」

「それってロカはわたしと生きたいと思ってくれたってこと……ですか?」

「そこまで考えていたわけでは……――でもそうなるのか……?」

「わたしが質問しているんです」

 ニアンがむくれたような顔をして言葉を続けた。

「なんですか。いつものロカと違って煮え切りません。わたしはロカと本当の家族になりたいんです。わたしもあなたも血のつながりのあった家族とは縁遠かったけれど、これからはお互いを家族にできたらって」

「俺のせいで危険な目にあってもか?」

「え?」

「ボギーのときのように怪我を負ったり、インヴィのように俺を恨んでいる奴から悪意を向けられることが、これからもあるかもしれない」

「そんなことばかりじゃないです。わたしはあなたといることでたくさんの人に出会えました。ロカを育ててくれた人たちはみんな優しくて、ルスティやカーナはわたしにとっても兄弟みたいです。ロカをお師匠にと思ってるポロさんは楽しい人だし、トムさんやカルミナさんも、そのだんなさまのタングルさんも素敵な人です。インヴィさんだってセーラムさんとあの日のこと、謝りにきてくださ――あっ」

 ニアンが慌てて口を押えたがロカは聞き逃さなかった。

「インヴィとセーラムが謝りにきた?おまえを巻き込んだことをか?――いつ?」

「内緒にしてって言われたんです。なにも言いません」

 それは話していることと同じだろう。

 ロカは思ったが、ニアンは大きく首を振って何も言うまいというそぶりを見せている。

 インヴィとセーラムはブルーの家で顔を合わせても、特にロスロイ庁でのあったいざこざに触れることはなかった。インヴィは最初何か言いたげな様子も見せたが、ロカが自然体で接しているうちに、いつのまにか何事もなかったように過ごすようになった。

(ニアンに謝罪にきたのか)

 インヴィが自分に何を言いたかったのかわからないが、いまさらあの時のことを蒸し返すつもりはなかった。

「ええと、だからロカの周りにはいい人が集まってくるんです、ってことを言いたくて。少しくらい怖いことがあってもへっちゃらですよ。それ以上に素晴らしいことがたくさん訪れるんです。ロカといると毎日がすごく幸せです」

 微笑むニアンに嘘はないように見えた。

(……俺はニアンの「寂しい」を忘れさせることができたのか)

 以前、ヘリングと話をした。

 ニアンと人との橋渡しをして、彼女の世界を広げれば大事な人がニアンに増えていく。

 そしてライに言った。

 ニアンに信じられる人が増えるよう力を貸したい。家族を、居場所をくれたライのように、ニアンが安心して暮らせるよう彼女を守りたいと。

 ふいにロカの頬にあたたかな手のひらが触れた。

「ロカはわたしが危ない目にあうのをとても気にしますよね。わたしが告白したときも、家族にしてほしいと言ったときも、――いまも。傭兵をしていたから恨まれていると?でもどれだけ問われてもわたしの答えは一つでなんす。大好きなあなたとずっと一緒にいたい。だからロカ、わたしと本当の家族になってください」

 ニアンがロカを引き寄せた。唇が重なったあと瞳をのぞき込まれる。

 その面にはやわらかな笑みが浮かんだ。

「もう……ロカがはっきりしないからわたしから求婚しちゃいました。何を思い悩んでいるのか知りませんけど、あなたがわたしを大好きなのはもうわかってるんです。だったら引きません。あなたはわたしと幸せになるんです。それともわたしとじゃ不服ですか?」

 ああ本当に自分はニアンを全然わかっていなかった。

 アルセナール家の呪縛から解放された本来の彼女は、こんなにも大胆であったのか。

「――いいや」

「じゃあ何ですか?いま、即答しませんでしたよね?」

「そこを勘繰るのか?」

「だって」

 自己評価が低く自信がないのがニアンの欠点だ。強気に出てもこれではなとロカは苦笑した。

「俺に自分を知れと言うのならニアンもだ。もっと自信を持て。――俺はニアンを幸せにしたいと思った。だがおまえは二人で幸せになろうと言うのだなと、それで返事が遅れた」

 見つめあう先で、零れ落ちるのではというほどニアンの目が大きく見開かれた。

「ロカはわたしを幸せにしたいと思ってくれてたんですか?」

「気づいたのはついさっきだが――っ!」

 瞬間、いきなりニアンに飛びつかれた。

 衝撃に体が傾いて肘で上体を支えるロカは、頬に生温かなものを感じて視線を上げる。ニアンの双眸から大粒の涙がこぼれていた。

「そういうことは最初に言ってください。ロカはわたしとの結婚に踏み切れない何かがあるんじゃないかって……嬉しい、嬉しい、嬉しいぃ~」

 ぎゅうと抱き着いてくるニアンに驚いていたロカだが、喜びを全身で表す彼女に笑みを誘われた。そして彼女が愛しいと感じた。

 ロカはニアンを抱き返す。

 少しあってからロカは口を開いた。

「俺に子を持つ資格があるのかと思う。奪うしかできなかったこの手で、新しい命を抱いていいのだろうか」

「いいに決まっています」

 ニアンのはっきりとした声が耳に届いた。ロカは瞳を動かして、抱きついたままの彼女のほうを見た。

 同時に、それを見計らったかのようなタイミングでニアンが身を起こした。

「だって奪う手を、守る手にあなたは変えたのでしょう?」

 ニアンがロカの手を取って持ち上げた。

「この手はもう、誰かを慈しむためにあるんです」

 すり、とニアンがロカの手のひらに頬を寄せた。

「まず最初がわたし……ですよね?」

 甘える声音に誘われロカは半身を起こす。

「っ……ロ――」 

 ニアンが言いかけた自分の名前を、飲み込むように唇を合わせた。

 ニアンをソファに押し倒す。何度もキスを繰り返し、それは息を吸う間も与えぬほど。

 それでもニアンは嫌がることはせず、ロカの衝動を受け入れるように舌を絡めた。

 止まらぬままキスを続けるロカの手がニアンの胸に触れた。ふくらみの柔らかさを確かめて、一方の手でスカートをたくし上げる。

 膝で足を割り、挟むニアンの腿に股間を擦りつけた。ゆるゆると腰をゆするロカはしかし、しばらくあって動きをとめ唇を離した。

 これ以上は引き返せなくなる。

 ロカの下ではニアンが顔を真っ赤に染めていた。息も荒い。

 目が合うとフイと逸らされた。

 どうやらやりすぎたようだ。

 思ってロカは体を起こし、ニアンから距離をとった。

「ひどいです」

 なじるようなニアンの声がロカを責める。

「やりすぎた。すま――」

 すまん、と言う前にニアンの声がロカの耳に届いた。

「こんな状態じゃ体が火照って眠れません。どうしてくれるんですか?」

「え?」

 聞き間違いだろうか。

「二人きりになれる場所がないってさっき話したばかりなのに。もう、ムラムラしてどうすればいいかわかりません」

 体が火照るだとかムラムラだとかおおよそニアンが言わなさそうな言葉だ。

 今日はニアンに驚かされてばかりだ。

 思ってロカは口の端を持ち上げる。立てた膝に肘をついて顎を預けた。

「俺も同じだ。お互い眠れないなら外へ行かないか?散歩でもすれば頭も体も冷える」

「夜のデートですか?」

 ぱぁ、とニアンの表情が華やいだ。

 散歩がデートに変換された。

(くそ可愛……)

 あらたまって恋人同士がするようなデートなど、今日までしたことがない。なにより気の利いたことを思いつく頭は持っていない。

 だから覚えていよう。ニアンが喜んだこと望んだことを。

 忘れず続ければ彼女はまた笑ってくれる。

 ロカは嬉しそうなニアンの様子に笑顔を深め、手を伸べる。

「行くか?」

「もちろんですっ」





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