いまの関係
居候するモンダ家にロカが帰ると、まだ明かりが点いていた。すでに皆休んでいると思われたが食堂にニアンとレリア、それにカーナがいて部屋の片づけをしていた。
戻ったロカに最初に気づいたのはテーブルを拭いていたカーナだ。
「あ、おかえりロカ」
「おかえりなさい。寒かったでしょう」
食器を拭いていたレリアがいつもの優しい微笑みで迎えてくれる。最後に食器棚に皿を直していたニアンが振り返って、あわてたように目の前まで歩み寄ってきた。
「おかえりなさい、ロカ。それであの、夜会でのことですが、本当になにもありませんでした。相手の方は何か誤解をなさっていたみたいですけれど、きちんとお話をしてタングルさんたちとご一緒していると知ったら立ち去ったので、だからロカが心配なさるようなことは全然……嘘じゃないです」
「ああ、わかっている。それでもさっきは頭に血が上ってしまった。あれはニアンに怒ったんじゃなくて、相手の男に対してだ。気に病ませてしまったな、すまない」
ロカの言葉に、こちらを見上げていたニアンから不安げな様子は消えた。
「よ、よかった。わたしに隙があったからロカが怒ってしまったのかと思って……よかった」
そう言って笑顔を見せるニアンの瞳が潤んでいる。ロカはしまったと思った。
いつだって彼女は相手より自分を責める。
(俺はまた考えなしに……くそ)
自己評価が低いニアンならではの思考回路で、それをわかっていたはずなのに。
「ニアンは悪くない」
言い聞かせるようにニアンに伝えたところで、テーブルに布巾を置いたカーナが腕を組んだ。
「そうよ、ニアン、あなたは何も悪くないわ。ロカはニアンを口説く男に嫉妬してたの。ね、そうよね!ロカ」
語気を強めてカーナに強要されロカはうなずく。
「そう……」
言いかけて言葉が途切れる。
カーナに嫉妬と言われ、認めたくないロカは「そうだ」とは言い切れなかった。そんな感情が自分にあったとは思いたくない。しかしダフニスがニアンに近づいたのだと考えるだけで、ムカムカとした苛立ちが胸に渦巻く。
ロカがハーと息を吐いたとたん、ニアンがこちらを窺ってくる。
二人で旅を始めた頃、よく溜息をついたせいか、これもニアンをネガティブにさせる態度だった。
また泣くか、とロカは身構えたが。
「もしかして今の溜息は自分を情けなく思っての溜息ですか?」
「え?」
「あ、当たりですか?出会った頃によくあきれて吐いていた溜息となんだか違ったから。わたし、ロカの表情を読む特訓を始めたんですよ。つきあいの長いカーナやレリアさんは簡単に見抜くでしょう?わたしもあのレベルにまでなってみせます」
「特訓か」
「はい、特訓です」
ニアンが顔を綻ばせた。
以前に比べてニアンは明るくなった。それに少し変わった。
祖父の下であきらめることに慣れていたであろうに、いまは意欲的に行動するようになった。
家事を覚えようとしたり仕事を見つけたり。彼女の頑張る姿を見ていると、守るばかりじゃなく心配でも応援しなければと思う。
(にしても俺の表情な)
人よりはるかに表情がないのは自覚している。
ロカはくしゃとニアンの頭を撫でた。ドレスアップしたため結ってあった髪はほどかれ、癖づいた髪を整えるように手を滑らせると、柔らかな頬に手のひらをあてる。
「ニアン、少し話したい」
「え?お話?」
「疲れて休みたいかもしれないが」
「いいえ」
頬に触れたロカの手を取ってニアンが首を振る。
「じゃあわたしたちは先に休みましょうか、カーナ」
水気をぬぐった食器を片付け終えたらしいレリアが言うと、布巾を濯いだカーナがうなずいた。
「父さんと兄さんはヘリングとポロと一緒に出てったわ。今日は帰らないかもってことだし安心してイチャイチャできるわよ。じゃ、おやすみ」
「い……」
からかわれたニアンが赤くなって絶句した。それを見てにやにや顔のカーナをレリアが窘める。
「カーナったらニアンをからかわないのよ。ロカ、寒いなら暖炉に薪を足していいわ」
「わかった」
「それじゃあわたしも休ませてもらうわね。おやすみなさい」
部屋を出ていく二人を見送ってロカとニアンはソファに腰を落ち着ける。
暖炉にある火は薪を燃やし尽くしたのか熾火状態で、それも赤みが弱い。消えかけているのだ。勢いを取り戻すには薪を足せばいいが、無駄遣いをして冬の途中で薪が足りなくなるのも困る。なによりこちらは居候の身だ。
「寒いか?」
「平気です」
ロカは周りを見渡して食卓に並ぶ椅子の背もたれにひざ掛けを見つけた。以前、ニアンに告白をしたとき彼女をくるんだ大きめのひざ掛けだ。
それを取ってニアンの膝にかけると、彼女はひざ掛けを広げて隣に座ったロカの膝にもかけた。
「こうしたら二人とも暖かいです」
そう言って微笑むニアンにつられてロカも口の端を持ち上げる。
「なにかありましたか?」
尋ねてくるニアンが笑顔を消した。
「ロカが改まってお話だなんてきっと大事なお話があるんだって――違いましたか?副ロスロイ長様のお家で問題でも?」
そのまま心配げな顔になる。
その様子にロカはこれがニアンとのいまの関係かと気が付いた。話をしたいと言えば恋人同士の語らいではなく、なにか問題があったのかと思われる。
恋人らしいことをこれまでしてこなかったからだ。
「違う」
「え?」
「ただ、おまえと話をしたいと思っただけだ。――そうか、俺は本当にいつもニアンを振り回して不安にさせていたんだな」
ディオにいつかそのようなことを言われたのをロカは思い出す。
「ロカ、や……あの、違……ロカがタングルさんと副ロスロイ長様のところへ行かれたのは、きっとなにかあったからだろうってわたしが勝手に思っていたからで――それに今日の夜会のこともあったし。だから大事なお話だと思ってしまって……えと、だから……」
ニアンの手がロカの服をつかんだ。
「そんな顔、しないでください。ロカはいつだってわたしのことを考えてくれています。こぃ、恋人になってからはもっと、ずっとずぅうっと優しくて、わたしのために変わろうとしてくれて。言葉遣いとかプレゼントとか、きっとガラじゃないことも頑張ってやってくれています。わたしはそれがすごく嬉しいです。いまもカーナが言ったみたいな、イチャイチャをしたいって思ってくれてたんだってわかって、どうしようもないくらいに嬉しい……っていうか――嬉しすぎて顔がにやけちゃうぅ~」
必死だったはずのニアンが、しまりのないニヤケ顔になって横から抱き着いてきた。
「どれだけわたしのことが好きなんですか?」
照れた様子で肩に額を押し当てると、回した腕に力をこめてくる。
「今日、ロカのことを思い出しました。あなたと一緒に夜会に参加出来てたらきっと楽しいのに……食事だってもっとおいしいのに……って」
「すまん、約束を破って」
「謝ってほしいんじゃありません。わたしが欲しい言葉は別にあります」
ほしい言葉?
思い当たらないロカは無言になってしまう。すると拗ねた声とともに肩にある頭が少し動いた。
「さっきの質問の答えです。どれくらいわたしのことが好きなのですかって聞いたじゃないですか」
「どうしようもないくらい――」
ロカの答えに、ニアンが勢いよく顔を上げた。
瞳を大きく見開いているのは、返事が信じられないからか。彼女の瞳を見つめ返しロカは言葉を続けた。
「……好きですよ」
敬語になったロカに、ニアンの表情が「ん?」と変わる。
「どうしてそこで敬語ですか!?」
「さぁ~、どうしてでしょう」
しつこく敬語で言ってやる。
「ひどい、からかって!そこは本気じゃなきゃだめたところなんです」
ニアンがゆさゆさとロカを揺すぶって癇癪を起す。ハハとロカは笑った。
からかったのではなく、面と向かって言葉にする気恥ずかしさから敬語に逃げたのだ。
しかしニアンはそんなこと思いもしないようだ。
彼女にはもうずっと大人の男と誤解をされているようで、いまさら醜態も晒せない。
(いや、前に照れる俺を見たいと言っていたか)
だからといってみっともない姿をほいほい見せられるほど、吹っ切れられる性分でもない。
「真面目に言うのは照れると言っただろう」
「照れたんですか?全然恥ずかしそうな顔じゃなかったですよ!?あ、それに今は二人きりです。二人きりだと照れないって言ってましたっ」
「手を出しているときは平気だと言ったんだ」
「じゃあ出してください!」
「は?」
「え……あっ!」
ニアンが焦ったようにロカの服を離した。その手をロカは捕まえる。
「いまなんて?」
「な、……なんでもないです」
「手を出していいと言ったな」
「聞き直さないでくださ――……っ!」
ニアンに最後まで言わせず、掴んだ手を引き寄せたロカは彼女の唇を塞いだ。
逃げる頭を引き寄せ唇を割り、舌を口内に差し入れるとニアンの喉が鳴る。構わず口腔を舐めるとニアンの舌がためらいがちに絡んできた。
数回舌を絡めて唇を離すとニアンから溜息のような吐息が漏れた。彼女の濡れた唇に親指で触れるとなぜか指先を含まれる。
歯がロカの指を食んで、次に舌で舐られ吸い付かれた。指先だけであったものが徐々に指全体を含んでいく。ちゅ、ちゅ、と水音をさせて指をしゃぶるニアンに、ロカはゾクと興奮を覚えた。
(エロ……)
時間をかけ、丁寧にロカの親指を舐め上げたニアンの口が、やっと離れた。
「こういうのでいいのですか?」
「こういうの?」
「鏡とブラシをいただいたお礼は何がいいかって、少し前にルスティに相談したんです。そしたら男性は「舐めて吸ってもらうのが好き」だと――いまのキスで思い出して実践してみたのですが……えっと……これ、かなり恥ずかしいです」
カァと頬を染めたニアンが俯く。ロカは手で顔を覆った。
あの阿呆、何を教えているんだ。
いやそれとも教えるならもっとちゃんと教えろというべきか。
「あ……ロカは好きじゃなかったですか?そうですよね。いきなり指を舐められたら気持ち悪い――」
「……じゃない」
「はい?」
「俺が舐められたいのは指じゃない」
「じゃあどこですか?」
尋ね返してくるなと思う反面、ニアンなら質問してくるとロカもわかっていた。
顔を覆う手を下ろしニアンの手を握ると自身の股間にもっていく。ぎょっと手を引くニアンを逃がさず、手首を握って余計に押し付けた。
「ここ」
「は……うぅ……」
はいと言えずにおかしな音を発して口ごもるニアンの顔に赤が散った。彼女の手のひらを股間に触れさせたまま、強引にぐりぐりと撫でさせると耳や首まで真っ赤になった。
ニアンの恥ずかしそうな態度と華奢な手のひらに、布越しの刺激でも簡単に反応しそうだ。
はぁ、と漏れた息がロカ自身驚くほど熱を帯びていた。
驚きと怯えと羞恥と、いろんな感情がないまぜになった顔をして、ニアンがロカを見つめてくる。
ニアンの手を掴んだまま、反対の手を伸ばすとビクとニアンが震えた。気づいたが、構わず指で唇を割って舌を引きずり出す。
「咥えて……舐めてしゃぶって絡めて吸って……このずっと奥まで……」
ニアンの舌の腹を指先でなぞるとくすぐったそうに首を竦める。
ロカはニアンの口から指を引き抜いた。あ、とニアンから興奮した声が上がる。
このまま唇を強引に開き、欲望を突き入れてしまいたい。浮かんだ乱暴な妄想を本気で実行するつもりはないけれど。
股間に押し当てていたニアンの手をどけて、ロカは両手で彼女の頬を挟む。啄むだけのキスをしたあと、指で頬をくすぐると、彼女からためらいがちな声がした。
「あの……離してくれないとできません」
やるつもりか。