夜会のあと1
タングルがインヴィとセーラムとともにブルーの執務室を出て行った。インヴィとセーラムはロカの代わりに子どもたちを護衛していたのだ。
ルスティの服を着ているタングルは、ちょうど仕事終わりの護衛官と一緒に帰宅する使用人という様子を装って、二人を護衛に宿へ戻ることになっている。
護衛付きというのは万が一に備えてだったが、結果タングルに、ブルーの身辺がいまどんな状態か気づかせることとなってしまった。しかしタングルはそれを確認することはないまま立ち去った。
扉が閉まってすぐに、応接用のソファに座るブルーがはぁと大きく息を吐く。そしてロカに向かって、手で正面に座るように促した。
先ほどまでタングルが座っていた位置にロカは座りなおす。
「まさかハーリヤがダフニスに目をつけるなんてな。いや、そこがわたしの唯一の弱点ということか」
ブルーが頭痛を覚えたように額に手を当て、
「ダフニスは利用されたんだろうな。わたしの情報を得るためと、イメージダウンに使う気だったのだろう」
とまた疲れたような息を吐く。
「イメージダウン……好き者が身内にってあれか。あいつら会場で、ダフニスのことやあんたの出自を大声で話していたからな」
「あそこにいた連中はどちらかというとわたしを煙たがっている人間ばかりだ。盛大に尾ひれがつきそうだよ」
「尾ひれはともかく、ダフニスがクロエと幼馴染みなだけって話は、調べられればすぐに嘘とばれるだろ?」
「ん?ああ、ロカはクロエから彼が従弟だと聞いていたのか。まぁそこはそれ……、あのとき一緒に話した、わたしの実家が王城で食される野菜やなんかを育てているのは本当だしな」
「真実を混ぜておけば嘘がまぎれるってやつか」
ロカの言葉にブルーはそうだと頷いた。
「クロエの実家は貴族の家系といえど、もはや名ばかり。その家も彼女の兄が継いでいて当主はダフニスではない。ダフニスはクロエの父の末弟の子だ。彼の両親はとうに無く兄弟ももとから無い。ダフニスがいくら一族を盛り立てるべく躍起になろうと、社交界から消えかけた貴族の末端に位置する彼に、誰もそこまでの興味はないだろう」
「そうか?人気者の副町長のことなら、身内話でもかなりのインパクトを周りに与えられると思うが」
「君に人気者と言われると嬉しいものだな」
「俺じゃなく世間一般の声だ」
ロカの否定にブルーは肩を竦める。その顔が「可愛げのない」と言っているようだ。
「何を言われてもダフニスは妻の幼馴染みで押し通すさ。ともかくハーリヤが彼とのつながりを明かしたということは、彼らにとってダフニスは用済みということだ」
ひじ掛けに預けた手で顎を支えるブルーは苦々しい表情であった。
「ダフニスめ……あれだけクロエに執着しておきながら一夜の相手だと?なにより一族の再興を望むなら醜聞は命とりだというのに。どこまで愚かなんだ」
「クロエはあんたに夢中だからな。他の女で紛らわしていたんだろ。気位の高いダフニスにモヴェンタはうまく取り入ったもんだ。商人は口がうまい」
ロカがモヴェンタの名を出したことで、ブルーの眉間に刻まれる皺が深くなった。
「町の風紀を乱すようなことを平気で行い、しかもそれをわたしに話すとは舐められたものだ。ハーリヤも承知していたようだし、これでハーリヤがロスロイ長になれば、町は一気に破滅の道を歩むな」
「モヴェンタの言っていた一晩の相手ってやつだがな。お互いに同意して、というわけではないようだぞ。少なくともダフニスは今日、無理やり相手を連れて行こうとした」
「どういうことだ?ダフニスが何人もの女性を泣かせたというのは、相手の女性が本気になってしまった、という意味じゃないのか?」
「身分や地位にあれだけこだわるやつだぞ?町の女相手に紳士的にふるまうとは思えない」
「ああ、確かに。じゃあロカは何を知ったんだ?」
「奴は今日、ニアンに手を出そうとした」
「え!?彼女、今日の夜会に来ていたのか?あ、タングル殿の奥方がこの町の出身だと――では奥方の友人として参加したのか。でも彼女はダフニスとは歳が随分と離れていないか?」
「だからあいつにとって、クロエ以外は誰でも一緒なんだろ。モヴェンタが言っていた、相手を泣かせたってのは、無理やりってのと同意なんじゃないか?ニアンに目をつけたのなら、もしかしてこれまでも遊び慣れていない相手を選んでいたのかもな」
ロカの話にブルーが考えるように眉を寄せた。
「確かに君の彼女はそういうタイプだが……ロカ、顔が――」
自分が今どんな顔をしているか想像はつく。が、いちいち指摘されたくなくてロカがブルーを睨みつけると、彼は「いやなにも」と慌てて首を振った。
ブルーに八つ当たりしても仕方がない。
ロカは静かに長めの息を吐いた。自身を落ち着ける呼吸法だ。
一度唇を結んだあとロカは顔を上げた。
「タングルよれば、かなり強引にニアンを連れて行こうとしていたらしい。ということはこれまでにも強制的に相手をさせた女がいたかもしれない」
「まさか」
「そしてハーリヤがその事実を証拠とともに握ってたら?ブルー、あんたダフニスと他人だと言い切って正解だったのかもな。ひとまず身内の醜聞として、世間に広まることはないわけだ。だが奴ら、あんたを貶めることに失敗したことで頭に来てるだろう。今日を境に畳みかけてくると思ったほうがいい」
「畳みかけるといってもどうやって?ダフニスのことはわたしに明かしてしまったし、家族に手を出そうにも、君が来たことで守りは固めた。違うか?」
「何もあんたを狙うだけが手じゃない。例えば市長を選ぶ選任者のほとんどを味方につけることができれば、ハーリヤが町の長になる。やつら、金、女、脅し、どんな手でも使うんだろ?」
「いや、選任会のメンバーはまだはっきりと決まったわけじゃない。そろそろ決まるだろうから候補者は上がっているだろうが」
「だったらそいつら全員のことを、調べ上げるくらいやってのけるんじゃないか?それにモヴェンタは商人連中に顔が利く。選任者候補が商人を介して品物を買えば、どんなものに興味があるか、相手の好みと傾向が筒抜けかもしれない。そして相手に取り入るときは相手の好みに話を合わせれば手っ取り早い。形あるものなら贈ればいい。ハーリヤは貴族を味方につけて潤沢な資金があるんだ。金には困らない」
「つまり情報も資金もハーリヤが上というわけか。わたしには手も足も出ないじゃないか」
ブルーが絶望したかのような溜め息を吐いた。
「いいや。金はともかく情報量はすぐにあんたのほうが上回る」
ロカの顔に不敵な笑みが浮かぶ。
「?それはどういう……?」
「俺の仲間が手を貸してくれる」
「ロカの仲間?傭兵か?ありがたいが血を流すのは――」
「甘っちょろいことを言うな。相手はあんたが退かなければ、あの脅しの絵のように殺す気でいるんだろうが。「平和的穏便に」なんて言ってる場合か」
そこまで言って、ロカはハッと思い至った。
「ブルー、あんたまさか、アルメたちに敵を殺すなと言ってるんじゃないだろうな」
質問にブルーがきょとんとした顔になる。
「駄目だったか?黒幕を暴けるかもしれないと……」
「阿呆か!生け捕りは殺すより難しいんだ。大人数で襲われたらどうする。あんたを守って殺さずを貫け!?護衛を殺す気か!?」
阿呆と言われて目を白黒させていたブルーだが、ロカの剣幕にたじろぎながらも反論した。
「そ、そんなつもりは。あ!ほら、ロカはこの間の賊の一人を生かしていただろう」
「あれは相手が俺を使用人と勘違いして舐めていたのと、そこまで腕の立つ相手じゃなかったからだ。俺にも殺すなって言うならクロエたちの護衛は降りるからな」
「それは困る!言わない。妻と子どもたちを守るのに最善の方法を取ってくれていい。アルメたちにもそう伝える」
焦った様子のブルーにロカは鼻から息を吸い込んで、口から大きくはあと息を吐いた。
「そもそも相手を捕らえて黒幕を暴くというのは無理だろ。あのとき捕らえた賊は何も話さなかっただろうが」
「あ」
「それどころか牢で殺された。手引きした奴がいるのか、牢の警備がザルなのか。どっちにしても捕まえたところで蜥蜴のしっぽ切りだ。ハーリヤの名が出てくることはない」
ロカが黙るのと同じようにブルーも沈黙した。静まり返る室内に、数秒あけてノックの音が響いた。
ロカとブルーの視線が一瞬交わって、ブルーが扉に向かって言った。
「誰だ?」
「アルメです――失礼します」
主の返事を待たずに扉を開けてアルメが姿を見せた。意外だったが彼はブルーに敬語を使う。見かけより真面目なのかもしれない。
今日の夜会の護衛をしたというのに、彼が屋敷の警備につくようだ。
アルメはロカと揃いであった礼服は着替えたのか、いつものシャツとズボン姿だ。
近づくアルメがチラとロカに視線を向け、それからブルーに向かって口を開いた。
「ご報告したいことが」
「なんだ?」
視線を向けたのは話を聞かずに去れということか、とロカが思った直後にアルメはあっさり答えた。
「本日の夜会に町長の前秘書官がいました」
言うのか。ではさっきの視線の意味はなんだ。
内心ロカは突っ込む。
「ガーシュが?」
ソファからブルーは身を乗り出す。
アルメは落ち着いた様子で言葉をつづけた。
「やはりお気づきではありませんでしたか。幾人か顔を伏せた中に彼が。副町長が商人と話している間に消えました」
「まさか」
「ガーシュ?」
話が見えないロカが質問すると、ブルーが両手で顔を覆うように撫でてから言った。