金持ちの次男坊
ニアンとカーナがドレスを着替えるため、それを手伝うレリアとカルミナもそろって部屋から出ていく。扉を閉まるのを確認してルスティの隣に腰を下ろしたロカは、向かいにあるタングルを睨むように見つめた。
モヴェンタの屋敷でニアンに何があったのかを聞いたこともあって、彼は最高に気分が悪い。そんなロカの気配に気づいたレリアが、ニアンたちの着替えを勧めていなくなってくれたのをいいことに、彼はニアンが夜会参加をする羽目になった原因ともいえるタングルに、怒りを隠すことはしなかった。
「あんた、あのクソ商人とは以前からの知り合いか?」
「いいや。知人がモヴェンタ殿に熱心にわたしの紹介を頼まれたらしくてね。困り果てて一度だけでいいから会ってくれと言われた」
「紹介?そういやあんた、どっかの金持ちの息子ってことだったな。あの爺さんが会いたがったってのは、あんたの家と繋がりたいからか?」
「言う必要が?」
質問に質問で切り返されてロカに苛立ちが募った。
「モヴェンタと仕事をすることにしたなら、俺はあんたを信用しない」
「言い切るのか。――あの食事会で何が行われているか知ったあと、すぐに帰る決断をしたわたしを信じてほしいね」
「本心の見えない笑顔が板についている人間は信用できない、と言い換えるほうがいいか?」
挑発するようにロカは言った。
カルミナの夫はロスロイとは別の町の、金持ちの次男坊と以前聞いた。そのときは世間を知らないボンボンがカルミナの色香に惑わされ、結婚後、本性を見て騙されたと嘆いていることだろうと思っていた。
だが会ってみてわかった。
この男は金持ちの若旦那にありがちな甘ちゃんではない。
タングルは視線を外さないロカに肩を竦めると、やれやれとばかりに息を吐きだした。
「あなたのように仏頂面でいるより人間関係が円滑にいくよ」
わずかに俯き、すぐに顔を上げたタングルから、これまでの人好きのする笑顔が消えていた。
「エレク氏とは顔を合わせた初日でつきあいは遠慮したいと思った。一度顔を合わせたのだし、知人への義理も果たせたけれど、カルミナには久しぶりの里帰りだ。彼女のためにも、すぐに帰るのは忍びなくて数日ロスロイに留まることにしていたんだよ。それをエレク氏に知られて夜会に誘われた。適当な理由をつけて断ろうしてもしつこくてね」
「じゃあんた、自分が気に入らない人間の開く夜会に、ニアンたちを連れて行ったのか」
「それは……」
ロカが切り込むとタングルは一瞬言葉に詰まり、それから素直に謝罪した。
「申し訳ない。夜会の前に町の人を招待した食事会もあると聞いて、それならカルミナも友人と参加できるし、彼女を友人のもとへ逃がすこともできると思って……あまりエレク氏をカルミナに近づけたくなかったんだ。その食事会がまさか貴族と町人が入り混じって、互いに出会いを求める場所だったとは知らなかった。今日エレク氏に挨拶したあと、彼のところで顔見知りとなった者たちと話すうち、周りの雰囲気がおかしいとやっと気がついたんだ。気づくのがもう少し早ければ、ニアンさんを不快な目に合わせずにすんだと思う。相手の男はニアンさんがわたしの関係者と知って去っていったと言うし、わたしからも念のため釘をさしておくから安心してくれ」
「相手が誰かわかっているのか?」
ニアンを男漁りをしている女と決めつけ、手を出そうとした男。
もし自分がその場にいたならニアンに触れる前に、その腕をへし折ってやった。
「ああ。先日エレク氏の屋敷で紹介されたからね。副ロスロイ長の身内だよ。義理の弟だとかそんなような――名前はなんだったかな」
ぴく、とロカは反応した。
タングルが思い返す様子を見せ、エレク氏に何人も紹介されて記憶があやふやだ、と言うのもはやどうでもいいことだった。
ある男の顔が脳裏に浮かんで、確認せずにはおれなかった。
「そいつは髪を7:3分けにした気位の高い嫌味な男か?」
低く問いかけたロカへ眼差しを返したタングルが、ギクとしたように顔を強張らせた。
「嫌味……、かどうかはわからないけれど、やたらと身分や家柄を強調するような人だった。髪はそうだね、先日も今日も、きっちりと整えで紳士然としていたよ。ロカは彼を知っているのかい?」
「二度ほど会っただけだがな――そうか、あいつか」
「ん?でも彼はたしか愛する女性がいるんじゃなかったかな?家具やなんかをエレク氏に頼んでいるようだったけれど……じゃあ今夜のことは完全に遊びのつもりで……?」
口元に拳をあてるタングルの言葉は、最後は独り言のようになっている。
「は?」
「あ、ロカが聞いて気持ちのいい話ではなかった。すまない、無神経なことを――」
「違う、ダフニスに女がいるのか!?」
「ダフニス……そうだ、名前はそんなだった。ダフニス・オラーリー……オーラリー?あー、悪いが彼とは二言三言会話した程度で、今の話も直接聞いたわけではないんだ。エレク氏と話しているのが聞こえただけでね」
「それでいい。なにを話していたか教えてくれ」
食いつくロカにタングルは、面食らった様子をみせつつも再び拳を唇にあて、記憶を手繰るように眉を寄せた。
「んー……家にある家具は古臭いから彼女好みのものに替えたいと。それから彼女の瞳の色に合わせてエメラルドを贈りたいが首飾りと指輪のどちらがいいかと、エレク氏に相談をしていたね。あまり私的なことを聞いていてはいけないと思って、オラー……オーラ……ダフニス氏が玩具の話をしだしたところで側を離れたけれどね」
「玩具?」
「そう、ぬいぐるみやビスクドール、絵本と聞こえたよ。小さな女の子がいるんだろう」
タングルはダフニスに妻も子もいると思って話をしているようだ。確かに三十代半ばもとうに超えた男なら、妻子がいていいぐらいだから誤解もするだろう。
しかしロカはクロエから、ダフニスは独身だと聞いていた。もしかして別れた妻子がいる可能性もなくはないが、元妻に贈り物というのはおかしい。
なぜならダフニスはクロエを想っている。
そのクロエの瞳の色は緑だ。
そしてクロエとそっくりなミカは、母親の手作りのクマやウサギの人形で遊んだり、兄の勉強する姿を真似て絵本を読む。
ダフニスが用意しているものはクロエとミカのためにではないか?
そう感じたロカはこれまでの出来事がつながった気がした。
「そういう、ことか」
独りごちたロカは勢いよくソファから立ち上がった。ロカの隣で話を聞いていたルスティが驚いたようにビクと身を震わせる。
「あんた――タングルだったな。今から俺と来てほしい」
「え?どこに?」
「ブルー・リッジ、副ロスロイ長の家だ」
「は?副ロスロイ長?あ、護衛の仕事をしていると――もしかして?」
「いまと同じことをそこで話してほしい。……と、その服じゃ目立つか。ルスティ、おまえの服を貸してやってくれ。身長、おまえくらいだし」
「いいけどタングルが普段来ているようないい服、俺持っていないぞ」
「町の人間に見えればいい。タングル、説明できなくて悪いが一緒に来てくれないか?」
ロカの頼みにタングルは逡巡したあと立ち上がった。ルスティがこっちだ、とタングルを手招き部屋を出ていく。
後を追うロカは、
「助けがいるか、ロカ?」
ライの声を背中に聞いて足を止めた。
食卓の椅子をガタリと引いて、ロカの方へ体を向けたライが背もたれに腕を預ける。
「仕事のことは俺たちに話せないのはわかってる。ただな、おまえが副ロスロイ長じゃなく、その家族の護衛として雇われたことで、なにか起こってるっつうのは嫌でもわかるんだ。俺は次の町長はいまの副町長になってほしい。ロスロイが好きだろ、副町長は。俺もこの町が大好きだ。同じ気持ちのやつが町の長ってのをやってほしいんだよ。だから助けになる。俺を使え、ロカ。ロスロイの未来のために一肌脱いでやる」
「俺も手を貸そう」
ヘリングがライと同じように頼もしく笑う。
「じゃ俺も」
のほほんと気の抜けた声を出しポロが胸の前で手をあげた。
「いや、ライはともかく二人はロスロイの住人でもないだろうが」
「副ロスロイ長に対して俺は個人的に好感をもっているし、何よりおまえを雇ったっていう見る目の良さを買っている」
「んじゃ俺もそれでー」
ポロがヘリングに同調したのを見たロカは、彼へあきれ顔を向けた。
「おまえは面白がってるだけじゃないのか?」
「俺だけ仲間外れじゃやだもんよ。いいだろ~、ロカ」
「そろそろゲンロクに帰らないと破門されるぞ」
「まだ帰らねえよ。こっち来て俺、風呂しか作ってねぇし。つうかさ、ゲンロクの誰もが迷惑していたゴロツキをロカたちが懲らしめてくれただろ。あれが見せしめになったのか、おかしな連中が来なくなったし、国に現状を訴えたら町の警備人も増えることが決まった。ロカたちが町を変えてくれたんだ。親方も感謝してて、俺がロカに鍋を届けるっつったらゆっくりしてこいってさ。だからひと月くらい帰らなくても大丈夫だって。で何をすりゃいい?」
わくわくとしたポロの様子にロカは何を言っても無駄かと、それ以上言うことはやめた。
元金階級の傭兵二人が手を貸してくれるというのだ。そこらの人間よりよほど重宝する人材だ。
ロカは三人に向かって口を開いた。
「じゃあ遠慮なく。すぐに調べてほしいことがある」