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金山町は今日も晴れ。

作者: 五円玉

田舎の港町が舞台の現代ファンタジーです。


摩訶不思議な伝統を持つ町に生きる、とある少年少女の青春の一歩。

「う〜み〜は広い〜な〜大き〜な〜っ」


高らかに。声を張り上げ。


「でも〜海より空の方が〜広いっ!」


と、俺は目前に広がる海に向かって叫んだ。


とある田舎町の海岸沿い。


春の訪れが僅かに感じ取れる、寒さと暖かさが拮抗し、ギリギリまだ寒さが勝って未だ空気を、大気を冷気が蹂躙するかのような、そんな4月の頭。


磯臭さを全身に纏い、海藻のこびりついた長靴越しに砂浜をしっかりと踏み締め、


俺は叫んだ。


青春の1ページ。







日本は瀬戸内海に面した地に、金山町と言う…人口約1800人の小さな町がある。


それはもはや村と言っても過言ではない、小さな小さな集落のような町。


町は北東西を高く険しい山々に囲まれ、南には青く広がる穏やかな瀬戸内海。


人口のうちの4割が高齢層、過疎化が現在進行形で邁進する、老人ありきの…のんびりとした町。


ゆっくりとした時間の流れを感じ取れ、どこか現代の世から切り離された、隔離されてるかのような雰囲気。


潮風に吹かれ錆びが酷い、町の入り口にある看板。


アスファルトの主要道路こそは綺麗に整っているものの、1本町の裏へ道を逸れると、割れたコンクリートから雑草が顔を出す、荒廃した道がいたるところに。


町の南の漁港には数多くの野良猫。

地元民から貰えるおこぼれの魚を食べ、丸々と太った身体で日向ぼっこ。


この町の主な産業は漁。つまりは魚、海鮮。


町の男の半数は漁師だ。

恐らく、町の外で会社員をやっている人数と漁師は同じくらい。


そんな町の港にはいつも錆びの目立つ、現役ギリギリの…ある意味貫禄のある漁船が停泊している。


いつも日の出と共に朝早く出航し、夕方…日の入りごろに一斉に帰ってくる。




……そして、この小さな田舎港町には、かなりの昔…近所のじい様によると、平安時代から鎌倉時代にかけての、源平合戦の頃から伝わるとされている、ある儀式がある。


毎年、まだ肌寒い春の始めに行われる儀式。


…漁の大漁を願う“海神の身投げ”。


大漁祈願のため、町の海神の役を負った女が、魚の神の生け贄となる事で漁が安定すると言われている。


それはつまり、町の代表として「海神」に選出された女が、まだオフシーズン真っ只中の、冷たい春の海に飛び込むのだ。


…魚の神のいけにえとして。


その近所のじい様によると昔は、その女は海へと身を投げ飛び込んだまま…そのまま、ガチで生け贄として暗い海の底へと沈んだらしいが……


今は殺人だの何だのになるから、海神が飛び込んだら儀式は終了にし、町の漁師達が直ぐさま漁船で救助へ向かう。


そんなおかしな、摩訶不思議な伝統の残る金山町。


そんな町で、俺とアイツは生まれ、育った。










「コラぁっ! 創太ぁ!! もう漁の時間だぞ、起きろってんでいぃッ!!」


「ん……ぅ……」


まだ日も上がりきらぬ午前4時。

若干ひんやりとした空気の中の、自宅の自室。


「早くしろぉい馬鹿っ! さっさと起きるでやっ!!」


「う……眠い……」


耳元でつん裂く轟音。


空気すら肌で感じるレベルに振動するその衝撃に当てられ、俺は暖かな布団の中で嫌々ながらに目を覚ます。


俺の名前は越谷 創太。

今年で18歳、高校3年生。


俺は今、スーパービッグボイスで唾を撒き散らし怒鳴り込む、自称金山1のダンディ漁師こと、マイ親父に叩き起こされている所。


「ほらぁっ、さっさと着替えろってんでいっ!!」


「…………(ぼーっ)」


まだ寝起き10秒にも満たない故に、脳がまだ働かず、寝ぼけ眼の視線は俺から見て部屋の斜め前にある、タンスの上に置かれた魚拓の額縁へと向けられていた。


「起きろってんでいっ!」


「……今起きたよ」


まだ半分閉じてる両目を無理やりパジャマの袖で擦り、否応が無しに脳を、目を、意識を覚醒させる。


…朝から本当、うるさい。




ウチ…越谷家は先祖代々漁師の家系。


親父は漁師で、越谷家5代目の漁船「ぶきち丸」船長。


お袋は近所のスーパーでパートさんをしている。


先にも言った通り、現在高校3年生の俺。

夢に見た高校青春ライフ…を送れてそうで送れていない現実に目を背け、しかし現実はやはり逸れない目前にあるワケであって、


つまりは進路で苦悶中。


俺は大学進学はメンドイって理由で就職希望。


確かに今の御時世、大学は行っとくに越したことはないし、何より期待に胸はずむキャンパスライフを謳歌するのも良しとは思う。


が、現実高校青春ライフが送れていない。


それは大学にも同じで、高校時代がダメだったヤツは大学行ってもダメの法則を先輩から教授され、泣く泣く進路希望を就職にしたのだ。


とりあえずは、1番身近な漁師を目指す。


……あ、決して家を継ごうって訳じゃなくて。


就職先考えるのが面倒くさかったから、進路調査用紙にテキトーに漁師って書いちゃったのだ。


そしたらそれを見て、かつそれを間に受けた両親が、


「じゃあ今から漁に連れて行ってやる」


と、言ったのが先月の始め。


それから毎日、俺は学校へ行く前の貴重な朝を、親父と共に漁へと費やしているのだ。


勿論拒否権の行使だって試したさ。


しかし、今こうして朝4時に叩き起こされてる現状しかり、親父は毎朝毎朝必ず起こしにやって来ては、拉致よろしく俺に縄をくくり、海へと引きづり引っ張って行くのだ。


正直後悔してる。


朝…早すぎ。










「うぅ……眠い」


午前8時。陽は高く昇り、日光が睡眠不足の俺の顔をズッサズッサと刺しまくる。


俺は朝の漁を終え、海から帰還。


揺れる漁船の上での定置網漁。

網を引っ張っては戻し、縄を巻いては緩め。

結構しんどい。


「はぁ……」


ため息混じりに自分の身体をくんくん。


漁帰りに風呂に入ったとは言え、心なしか磯臭い…


「……」


この町の男子なら当たり前の、磯臭プンプンに漂わせた…自然界の香水みたいな、何と言うか。


世の中一般では絶対アウトだ。


…と、ため息ばかりの二酸化炭素放出マシンと化した俺は今現在、学校へ登校中。

金山町唯一の高校、金山高校。


ネーミングはまんま。






…この町に高校生はほとんどいない。


現に金山高校も廃校が決まっており、今は1年も2年もいない。


俺ら今の高校3年生が、最後の卒業生となるのだ。




「えーっと、確か今日は数学と……」


俺は歩きながら今日の科目を思い出し中。

理数科は苦手。


と言うか、大凡の学問は苦手だ。


「……はぁ」


そう言えば今日、数学は小テストだった。


勉強もしてない、ヤマも張ってない、もっと言えば出題範囲すら分かってない。


実際何もかも投げ出し勉学に勤しまず、遊び惚けてるが故の事態だけど、こんな時に便利な言い訳として、


『親父が昼夜問わず、跡継ぎにと俺を漁へと出すんです。それのせいで勉学に励む時間が取れず…全ては親父が悪いんです…』


…よし、点数悪かったらこの言い訳でいこう。


…と。





その時、俺の視界にある女子が入って来た。


すぐそこのタバコ屋の角から登場し、1人無言で学校にむかい歩いている。


短く揃えられた黒髪のショートヘア。


小ぶりな身長に、セーラーの制服の裾からチラリと見える健康的に焼けた肌から、彼女の屋外活動における活発生が見て取れる。


顔立ちも良く、今現在はムスっとした顔で歩いているが、ひとたび笑えば低身長故の幼い印象に取れる可愛らしさを見せ、

おまけにチャームポイントと呼べるえくぼがまた男子たちの人気を握る。


「…………」


と、ベタ誉めの中で言わせてもらうと、アイツは俺の知り合い。

名前は望月 里緒。

同じく金山高校に通う3年生。

家は金山岳の山頂付近にある神社。


補足事項なのかどうかはアレだが、金山岳ってのは、町の西にある小さな岳の事。




「おっす!!」


俺は小走りで彼女に近付き、軽く挨拶。


「…………」


此方を一瞬だけチラ見して…プイッとシカト。


「シカトかよ…返事くらいくれ」


「……うっさい」


彼女は前を向き歩みを止めずに、尖った声で俺をあしらう。

結構な冷めた態度。

コイツは…昔からそうだ。


「うっさいて……分かったよ、じゃあもう構わねぇ!」


「…………」


里緒とは昔からの腐れ縁。幼なじみって言うと何処と無くこそばゆいから、腐れ縁って言ってるのはナイショ。

小学中学と一緒。

まぁ、金山育ちの奴らとはみんなそうなんだけど。


「…なぁ里緒」


「……今、もう構わないって言わなかった?」


里緒の鋭い視線。やっとコッチを向いてくれた。

しかし今度は俺はそれを無視。


「お前、そろそろだな……」


「…………」


そろそろ。


その言葉は、彼女にとってとても重い。


春の初め、金山町の伝統




海神の身投げ。










「あ〜、そういやもうすぐ、春の祭だな」


その日の学校の休み時間。

俺は磯臭さの充満した教室の隅っこで、友達の仲崎と談話中。


「そうだな……仲崎、お前祭行くの?」


適当な机の上に腰掛け、互いに語るは目前に迫った、金山町の春のお祭りの件。


祭には毎年、沢山の出店がでる。

田舎町金山の、唯一の超巨大祭だ。


「俺はその日は部活だ。……創太は行くんだろ?」


「俺は……」


どうしようかな?

ちなみに開催場所は金山岳のふもと。


「あ、そういや創太!」


「あ?」


突然ハキハキしだした仲崎。

腰掛けていた机からピョンっと飛び、爽やか…でもない中途半端な笑みを浮かべ。


「今年から、海神の役が望月さんになるんだって?」


「あ、ああ…」


金山春の祭のメインイベント、海神の身投げ。


去年までは望月百合子という人物が海神の役を承けていた。


そして今年からは、彼女の娘である望月里緒が海神となって身投げをするのだ。


「凄いよなぁ〜、高さ10メートル以上の崖から飛び降りるんだろ?」


「…らしいな」


「俺は絶対無理だな」


「はいはい、そうですねビビリスト」


俺は仲崎との会話をそこそこに、何となく教室中を見渡した。


……教室の窓側、1番前の席。

里緒は、仲間と共に楽しそうに雑談していた。










「あ!」


「…………」


日も傾き出した放課後。


数学の小テストが赤点ギリギリセーフで、軽くガッツポーズ混じりに下校しようとしていた俺は、偶然にも下駄箱にて里緒と遭遇。


「よぉ、今帰り?」


「……まぁ」


相変わらず素っ気ない返事。

可愛いお顔台無しに、鋭い眼光でこっちを一瞥する理緒。


「……よし、じゃあ今から一緒に帰ろうぜ!!」


「……は?」


何故か困惑気味の里緒。

鋭くツンツンだった眼が丸みを帯び出し、代わりに眉毛がハの字になる。


「は? じゃなくて。一緒に帰るぞい!」


「…………」


俺の中での認識として、問い掛けに対する無言返答は肯定の意を示すものとしている。


つまりお帰りデート、はい決定。










「……なぁ里緒」


「……何?」


夕日が眩しい海沿いの道。

現在俺と里緒は下校中。


下校中…そう下校中。

何かデートみたいだね、ってさっき言ったら本気の手刀突きを脇腹にくらい、しかも肋骨の間を抜けて肺直撃。


もう二度と軽口は叩かない。いや叩けなくなった。


「お前さぁ、その……怖くはないわけ?」


「……何が?」


波音響く海岸線。


出来るだけ重い空気にさせず、かつ彼女にとっての大事に当たる話を切り出す。


「何がって……その、海神の……身投げ」


「…………」


その時、里緒はハァ…とため息をついた。


「……別に」


その声は、いつもの里緒の声だった。

何の変哲も無い、いつもの声。


「本当か? 確かあの崖、10メートルはあるぞ?」


俺は去年の身投げを思い出す。


里緒の母親が身投げした、海神の崖。


かなりごつごつとした、荒い崖。


崖の真下こそは海だが、ちょっとズレればそこは荒く尖った岩岩。


「……だから怖くはない。望月家の女性はみんな嫌でも海神になるんだから」


「…マジか」




……と。俺は、そっと里緒の顔を覗いた。




本当に、いつものツンとした顔が、そこにあった。


「…何? また手刀喰らいたいの?」


「えっ? あ、いや別に…」








それから幾日か時は経ち。


やっと暖かくなってきた、4月半ば。


わっしょいわっしょい、金山海祭り。


今日が例の祭りの日だ。






「いいか、海神が身投げするのはこの崖だ」


金山岳の麓の神社。の、事務所。


今日はこの事務所が金山海祭りの運営本部だ。


俺や親父を含めた金山町の漁師たちは、その事務所に集まっていた。


そして、折りたたみ式の簡素な机や椅子が並べられた事務所、そのの机には金山町付近の海図。


「佐藤さんと名張さんは崖の西、萩原さんと最上さんは東、越谷さんと北村さんは北で船をスタンバイさせといてくれ」


祭りの運営会長が、地図を指差しながら皆に役割を与える。


……今、祭りの午後から行われる海神の身投げの事について会議中。


「では皆さん、よろしくお願いしますね」


会長はにこやかな笑顔。





……そう、今、身投げ後の里緒の救出のフォーメーションを確認していたのだ。


「海神が水面に到達したら、直ぐに救助へ向かうんだ。決して見失うなよ」


……今回、俺は親父と共に救出部隊として祭りに参加。


と言うか、さっきその事を知りました、俺。


「祭りに行く行かないで悩んでたけど、結局来る羽目になってたのね、俺は」


部活に勤しむ仲崎を頭の片隅に、会合の終わった俺と親父は共にいそいそと事務所を出た。










「よし創太、そろそろ漁船に乗り込んで、ポイントまで向かうぞってんでい!」


賑やかな出店の通り。

大勢の人。


俺は親父と共に歓声高らかな人の波を避けつつ、港へ。


「…そういや、今年からは百合子さんの娘さんが海神なんだってっかな」


「……みたいで」


人混みの中、互いに会話が聞こえるように中々な大声。


正直、なんか不安。

だってあの里緒が海神。


まだ小学生に上がる前からの知り合いで、

いつも一緒に遊んできた。


クールで、素っ気なくて、物静かな里緒。




いつもアイツは強がる。




不安な時も、心細い時も、顔色一つ変えずに平静を装うのだ。


そう、意外と意地っ張りで強がり。




幼い時から一緒の俺には分かる。




アイツ、本当は……










「よーし、到着ってもんでいっ!」


俺は親父の船に揺られ、例のスタンバイポイントに到着。

目前には、海神が身投げをする高い崖。


ここなら、直ぐに救出へ向かえる。


「…ってか、マジか。消防とかじゃなくて、漁師のおっさん達が自前の漁船でマジで助けに行くんか。大丈夫なのかよ金山漁業組合…」


「毎年無事に海神様救ってらぁ、大丈夫でい!」


「…しかし不安なんだけど」


「大丈夫ってんでい! 何だってこのオレが助けに行くべっさよ! ガハハ!」


「…明日の朝刊の一面を飾らない事を願うよ」


ガハハと笑う親父を尻目に、これはかなりの不安だと我ながらにビビる。


ハラハラしつつ、焦りと不安を感じてチラリと防水加工の腕時計を見る。


「まだ身投げまで少し時間があるな……」







タップタップと、エンジンを止めた漁船は波に乗り、右から左へと大きく揺れ動く。


今日の波はしけりが無い。

空は快晴。


水面には太陽の光のギラギラ反射が見られる。


「…いい天気だ」




昔の時代の海神は、誰にも救出されず、本当のいけにえとして、この海に沈んでいった。




今思うと、恐ろしい話だ。










ピィ〜〜〜!!っと。


「……お」


刹那、海面に響く…甲高い笛の音。


身投げの儀式の、開始の合図。




海神の身投げには、3つの工程がある。


まずは海奉り。


金山神社の神主が祭り事の笛を吹き、海神がそれに合わせ舞を踊る。

魚の神に対しての、挨拶みたいなものだ。



次に儀海礼。


海神は海に向かい、頭を下げ、祈りを捧げる。



最後に海入り。


その10メートルの崖から飛び降りる。

その魂と引き換えに、その年の大漁を約束される。










「…………」


崖の上に、里緒の姿が見えた。


海神が身につけるのは、白装束のみ。


…と言っても平成も末なこのご時世、白装束の下には安全用の水に浮くヘルパーががっちり装備されている。


とは言え、前海神の百合子さん曰く


「アレは死ぬわ…あっ別に溺れてとかじゃなくて。真の敵は寒さよ越谷くん…かなり海の中は寒いわ。と言うか海から上がって風に吹かれた瞬間が1番ヤバいわよ。まさにカンパチの気持ちになれるわよアレは」


とか。


カンパチの気持ちになれるくらいの、寒さ。




ふと回想から意識を戻し、目前の崖の上を見る。


そこでは白装束を纏った里緒が、何の滞りも無くに艶やかな海奉りの舞を踊っていた。


……透き通るような祭囃子の音色。


……美しくも儚い、海神の舞。


身投げの儀礼は、始まった。










「……里緒」


ふと、無意識に彼女の名を呟いていた。


崖の上では海奉りの次の儀式である、儀海礼が行われていた。


里緒は海に向かい頭を下げ、祈りを捧げる。

ゆっくり、深々と。


「創太、そろそろでい。浮輪の準備するだ」


「……分かった」


俺は親父に言われ、船の後ろにある浮輪を取りに行く。


「初めての身投げべやか……里緒ちゃん、大丈夫なのかいねぃ?」


「……さぁな」


親父は漁船のエンジンをかけ、舵を握る。


俺は浮輪とライフジャケットの準備。


「……そろそろか」












儀海礼が終わり、とうとうその時がきた。


先程まで騒がしかった観客の歓声は消え、辺り一面に静寂がはしる。


「……里緒」


緊張からか、浮き輪を持つ手が震える。


なんで俺が緊張してるんだ…緊張すべきは理緒の方なのに。


俺は一旦深呼吸。


手に持つ浮き輪に額を付け、誰とも無く、

この後の無事を祈る。


一方の里緒は、崖の先端へ足を進めた。




吹き抜ける潮風は辛くて。


岸壁には白い波が勢いよく打ちつける。




海神は、この海へ身を投げる。










しかし……


「5分……」


親父は腕時計を確認。


「……やっぱり無理ってやか?」


里緒は飛び込まない。


崖の上では微動だにせず、ただひたすらに飛び込みの姿勢を維持したまま、理緒は潮風に吹かれながら静寂の時の中を進む。


ここからじゃ表情は伺えない。遠すぎる。



…だけど分かる。



爪先をきゅっと丸め、瞳を閉じ、震える手を必死に抑えつけている。


……怖い


……人間の本能、恐怖。


「里緒……」


何度目になるか。

女々しい事は承知で、俺は彼女の名を呼ぶ。








そしてそのままに10分が経過。


相変わらずの静寂。


辺りに木霊するのは、岸壁に打ちつける白波の音と、遥か上空を飛ぶ海鳥のわずかな囀りのみ。


…無にも等しい空気が張り詰める。


…里緒はまだ飛び込まない。


「…………」


親父は黙り込んでしまった。




里緒……


やっぱり怖いのか。


そりゃそうだ。だってこれ、言うならば自殺の行為にも並ぶ苦行。


10mもの断崖絶壁から波立つ海へとダイビング。


その行為そのものがまさに、命を奪うに等しき本能的恐怖そのものだ。


海神、魂をいけにえに大漁を願う者。


やっぱり怖いよな…




けど……


「お前は海神なんだ」


この金山町の神なんだ。


当てつけがましい、と誰かは思うかもしれない。

今の世にこんな儀式など、馬鹿げている。

誰かがそう言うかもしれない。


しかし。


しかし、ここは金山町。


古からの摩訶不思議が蔓延り、今も尚この地に根付く、逆らえぬ仕来り。


だから、俺は思う。


金山に生まれた神を背負いし恐怖の宿命は、1人で背負わずに。


「勇気を持って、飛び込むんだ」


願う。そして、勇気を持って飛び込む事が出来たら……


そしたら……


「俺が、お前を助けてやる」


海の底から引っ張り上げてやる。


絶対に、助け出してやる。


一緒に…その宿命を背負ってやる。





俺は、心の中で、そう呟いた。









その時…………







……ッ!!






「……っ!!」




海神は、その身を海へ投げ出した。










ザッパァーン!!


と、激しい水飛沫を上げ、里緒は海へ落下。


よくスポーツの飛び込みの競技で用いられる、つま先からの垂直落下による技術、ノースプラッシュなど皆無に等しい、盛大な水飛沫からの着水。


「よし創太、行くってやんよ!」


「ああ!!」


そして、金山の海に布陣していた救助の漁船が一斉に発進した。










「……確かこの辺だ」


里緒の落下ポイント。


俺と親父の船は、1番にそこに着いた。


しかし……


「里緒……っ!?」


里緒の姿がない……


スーっと顔の青ざめを感じた。

俺は必死に海面を、その底へと視線を覗かせる。


「マズイ、沈んだってかや!?」


親父も中々に浮上してこない理緒に、焦りを出し始める。


そして、辺りには次々に救助の漁船がやってくる。







「……ッ!!」


刹那、俺は背後から刀で心臓を貫かれるような、

明らかな圧を…殺気にも似た、念と言うのだろうか…とにかく、呼吸をも忘れる程の、


恐怖を感じた。


背後からの恐怖。


身体は不思議と硬直し、異様なる背後からの正体を確かめようとも首が、目が動かず。


「なっ…何なんだ…っ」


息が、吸えない。

息が、吐けない。


圧倒的な迄の、その『気』は、水面の底へと向かうかのように、その一瞬で俺の背後から消え去った。


「…っ!?」


身体の自由が、効くようになった。


今のはいったい…と、考えようとした矢先、俺の本能が俺の理性を凌駕したかのように、


ザッパ〜ン!!


……俺は、海へと飛び込んだ。


「創太っ!?」


親父の声が聞こえる。


けど、返事をしている暇はない。




まだ春の海は冷たい。




けど、俺は潜っていく。




本能が感じた、先程の『気』


あれはきっと、海に落ちた生け贄の、まだ年端もいかない無垢な海神の少女を食らうべくとして遥か彼方の海から現れた、


魚の神ーーー





里緒が、死ぬ…


分かる。本能が告げる。


アレは里緒を食らう。


マズい、早く…早く、魚の神より先に、里緒をこの手で助けなければ。




寒く、暗く。


深淵を覗くとは、まさにこの事か。


潜水…深く冷たい海の底へと。


冷たい海水に身体の体温はどんどん持って行かれ。


果てなき絶望、それを具現化したかのような、真っ暗な世界へと向けて。


俺は潜水する。




そして、思った。


どこの馬の骨かも分からん魚の神などに、アイツはやれない!駄目駄目!


と、こんな状況ながらに頭の中では嫁入り前の娘を持つお父さん状態になってる事に、我ながら呆れる。


ははは…っと、俺は深海へと、堕ちながら、思う。


何言ってるんだ俺は。


里緒に対する気持ちの持ち方の問題。


そんな、ねぇ。

お父さん的likeな気持ちなんかじゃないでしょ。これは。


深淵、町が古より信仰する魚の神とやらと、下手したら対峙せぬかもしれないこの状況。


俺は里緒を助けたい、その一心。


これはつまり、その…アレだ、Loveだ。

Loveで行こう。


俺は好きな里緒の為に、ここまで来た。魚の神を追って海へと飛び込んだ。


I Love you 里緒ちゃん。


えくぼがチャームポイントの里緒ちゃん。


すんごいツンツンだけど。

たまに見せるその笑顔は世界一の笑顔。


魚の神などにはやらん。

里緒は、俺のものだ。


放課後にお帰りデートだってしたんだ。


おまえなんぞには、やらん。






その瞬間、再び圧倒的な殺気にも似た『圧』で、身体が一気に固まりだした。


「……っ!!?」


手足が動かない。

身体に力が入らない。


なのに…沈むっ!!?


心臓が閃光により貫かれるかのような、異常な衝撃を受け。


肺の中にある少ない酸素が、一気に消え失せ。


その一瞬で、俺は死を目前にまで感じていた。


【キエロ。ウミ神ハ我ノモノダ】


意識が急に遠のき出す。


脳内に直接響くかのような、威圧感の取れる…謎の声が木霊した。


【貴サマナド二ハヤラン。海ガミハ我ノモノダ。我ノモノダ】


遠のく意識の中。


恐怖…


いや、違う。


これは…怒り?


いや、違う。





俺は魚の神とやらに伝えたい意思を思った。


…馬鹿言うな、魚の神とらや。


里緒はお前のもの?馬鹿か?


独占欲バリバリだと嫌われるよ?


【キエロ、ニンゲンヨ】


何ともまぁよく分からない魚の神なんぞに、


里緒はやれんわ、ボケェ。


俺は勝手ながらに決めたのだ。


彼女は上辺では平気平気と豪語しているが、実際は海神の宿命に恐怖している。


そんな彼女の本心を分かってやれてる俺は、彼女の恐怖の宿命を共に背負いたい、背負ってやりたいと思った。


1人よりも、2人の方が怖さは幾分和らぐのだろうか?


…兎にも角にも、俺は里緒を恐怖の宿命から守ってやりたい。


俺は…魚の神とやらから、里緒を守る。


助ける。




あの船上で、崖から落ちる里緒を思い。


必ず助け出すと、誓ったから。









「……っ!!」


身体の硬直はそのままに、ぼやける俺の視界…そこに白い何かが写った。


……白装束。




里緒ッ!!




俺は手を伸ばす。


【キサマッ…ナド二…海神は…渡してなるものかぁぁァァァァァッ!!】


「知るか魚の神とやらっ! 俺の愛しの里緒ちゃんは意味不明な貴様なんぞには、渡さんっ!」


苦しみ、恐怖の果ての、僅かな閃光に手を伸ばし。


そして……










ザザァッパ〜ン!!


「ぷはっ!!」


「はっ!!」


俺と里緒は同時に海面から顔を出した。


萎む肺に沢山の酸素が入る。


「創太っ!!」


辺りには沢山の漁船。

もちろん親父の姿も。


「ゲホッゲホッ…うっ! 水飲んだ、うげっ」


むせりが止まらず、ひたすらに咳き込む俺。

呼吸が中々落ち着かず、大きく息を吸っては咳き込む。


「はぁ…はぁ…っ。だ、大丈夫か里緒?」


俺は満身創痍でぶっ飛びそうな意識の中、隣で青白くなっている里緒に声をかける。


彼女もまた盛大に咳き込み、虚ろな瞳をしていたが、意識ははっきりとあるらしく。


「はぁはぁ……だ、大丈夫……」


と掠れ声ながらの返答。


…だ、大丈夫には見えないな。


「創太、掴まれってんでい!!」


その時、親父が浮輪を投げ出した。


俺は片手で里緒の袖を掴んだまま、浮輪にもう片方の手を伸ばす。


その瞬間、助かった…という安堵感が全身を包んだ。


「……創太」


その時、ふと隣の里緒が小さな声で話し掛けてきた。


今にも消えてしまいそうなか細い声で、しかしその声はしっかりと俺に向けられていて。


「何だ?」


俺は浮輪を掴みながら返事を返す。

そして……




「……ありがと」




その言葉を聞いた途端、俺の中の何かが弾けた。


弾け飛んだ。


その衝撃が、俺を次の行動へと移して行く。











俺は金山町で漁師になった。


今も昔もこの故郷、金山の海で生きている。


相変わらず海神様は俺に対しちっとも笑ってはくれない。


ツンツン100%


…けど、彼女は何かあったら必ず俺を頼るようになった。


本音も、明かしてくれるようになった。


俺は思っている事を伝え、彼女はそれにツンツンながらに応え。




この町の摩訶不思議として、海神の身投げは伝統として続いている。


しかし、あくまで現在では形だけの、お祭りの類い。


実際に魚の神などに、海神様は渡さない。


町民は儀式は伝統としても、魚の神の存在などは迷信と言う。


実際にはいない、架空の存在、だから大丈夫だと言う。


しかし俺だけが知っている、現実にいるかもしれない魚の神。


つまりあの魚の神から海神を守れるのは、俺1人。




俺は今日も海神様の隣に立って、彼女を魚の神から守り続けている。


この金山の町で。

了読ありがとうございました。




※この作品は2010年11月30日に自分が投稿した短編小説「金山町は今日も晴れ」を大幅にリメイク(加筆修正)した作品です。

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