出店要請
店の扉は、この辺りの家屋に多いガラスの引き戸だ。模様や桟が入って中は見え難い。
その上の電灯を消し、鍵を掛けると閉店。店の営業時間は九時から六時。昼休みはないが、客が一人もいない時間帯もある。その意味では気楽だ。 もっともそうでなければ、一人では切り盛りできないに違いない。
灯りを消して鍵を掛け、それを確認して振り返る。
と同時に、声が掛かった。
「お疲れ様」
「はい、お疲れ……って、ええ?!」
反射的に応じてから鈴は悲鳴をあげる。他に雇う者もいない閉店した店内に、彼女以外の人間がいること自体おかしいのだ。
咄嗟に巡らせた視線の先、カウンターの端に腰をおろした少年。
後で考えると、『彼』を『彼』と認識した理由は自分でもよくわからなかった。
容姿は整っているが、やはりどこか人形めいた生き物の体温を感じさせない。掛けられた声も顔立ちも、男とも女ともつかない無個性さで、まるでマネキン人形のよう。年の頃なら小学生高学年くらい。シャツとパンツも無個性極まりないテクスチャー、それが彼の作り物めいた感をいっそう強めている。
この上なく怪しい存在だが、恐怖は感じなかった。作り物っぽ過ぎて却って現実感がないというか、よくわからない精神状態だった。
「……あのー……どちら様ですか?」
鈴の問いに相手は至極当たり前のように頷く。
「うむ、肝の据わった者だな。こういうときはこう言うのだったか。『はじめまして』」
あくまで真面目に返されて再度反射的に鈴も応じてしまう。
「はじめまして……それで、あなたは?」
「私は、リンティス・トゥトゥミーアという。君は?」
「……私は、遠江鈴、です。ご用件はなんでしょうか」
人が出入りする店だからこそ、防犯には気をつけている。誰もいなかったはずの閉店後の店内に唐突に現れた存在が真っ当なものであるはずがない。
ぐるりと店内を見回した『彼』はあくまで淡々と告げた。
「あなたのお店を、私の世界でも営んでもらえませんか」
「……はい?」
彼、リンティスと名乗った少年は実は異世界の神だという。とは言えそこまで力はない、辺境の土地に産まれた言わば土地神、というのが本人(本神?)の主張だった。
辺境なので彼の土地は栄えておらず住人も少ない。けれど人が増え、栄えればそれは即ちその地を豊かにすること、リンティスに力を与えることになるという。
また、リンティスが鈴を選んだのは彼女の「名前」が彼と通じるものだったから、だそうだ。名前が通じ合う者は力や運命も近い、ならばきっと互いに上手くやっていけるだろう、と。
「いや、そんなこと言われてもですね。今ここでやってるのもやっとのことでだし、人手もないし……」
「それに関しては気にせずとも良い。我が力を貸し与えれば疲れもしないし……そうだな、夢の中で私の世界に来てもらうと思えば」
呆れて反論しても相手は聞いてくれない。自分の加護を与えるし彼の地が豊かになればその力も増えるという。
結局肉体的な疲れはなくその世界での売上は鈴の世界の金銭に換金するとか、異世界でかかる動力、電力やガス・水道はリンティスが補填するとか、いろいろ条件付きで承諾することになった。
「辺境、って神様……リンティス様のところは、どんな場所なんですか」
「人が少ないのだ。土地は痩せて作物も育ちにくく、ほぼ狩りで生計を立てている」
「……狩る獲物はいるんですか」
「いるが、多くはない。山の方へ行けば実りもあるが、人間を養うには足りん」
「……それは、そっちを先にどうにかした方がいいんじゃないですか……」
思わず口にした鈴の本音に、彼は真顔で頷く。
「そうだ。だが私には自分の土地を豊かにするだけの力がない。それを、貸してほしいのだ」
リンティスにとって人の往来が盛んになることがその力を増幅することにつながる。そのため、鈴の店を置くことで住民達の停滞した暮らしを活性化出来ないか、というのが彼の考えらしい。
「努力はしますけど……リ、リンティス様のお役に立てるかどうか」
何となく名前が似ている相手の名は呼びにくい。口ごもる彼女に頷くリンティスは過ぎるほど冷静だ。
「出来るだけのことはやってみたいのだ。協力を頼む、私の力が増せば鈴に返せるものも大きくなろう」
「そういう、ものですか……」